第6話 和洋折衷の使い方
客の少女は少しおどおどとしながら、
「まあ、黒の帯を合わせたのは悪くないね。静かな顔立ちをしているし、ハズレってわけじゃない」
「そうなんですか……?」
「うん。でも、あんた──」
周はかごめに背中を叩かれて言葉を切る。
「何するんだよ」
「相手はお客様です」
「……」
かごめにぴしゃりと言われた周は顔を引きつらせた。かごめは続きを催促するように周の肩を突く。
「──……、君はまだ十五か十六だろう。黒の帯でまとめると大人っぽく見えすぎる。特に君は童顔だし」
「あ⋯⋯、なんだかおかしいって思ったのはそういうことだったんですね……」
客は自信の顔に手を触れながら、納得したように頷いた。そしてすぐに落ち込んだように表情を曇らせる。
「じゃあ、この着物を買ったこと自体が……」
「そう落ち込むのはまだ早い」
周はかごめを指で呼び寄せた。かごめは首を傾げながら耳を寄せる。
「黒のショールをあるだけ持って来て。あと、黄色か紺色の帯。黄色は淡いものか、からし色。紺は青が強いやつ。それから⋯⋯革のベルトはある?」
ふんふん、と頷いていたかごめの首が止まった。
「ベルト?」
「幅の細いのがいい」
「洋装用ならいくつかあったような気がするけど。でも何に使うの?」
和装にベルトなんて聞いたことがない。もちろんどうやって使うのかも全く想像がつかない。
しかしとりあえずかごめは店内を奔走して、頼まれたものをできる限りかき集めた。周は両手いっぱいに荷物を抱えたかごめの姿に苦笑いを見せる。
「やる気だね」
「もちろん。最初のお客様なんだし、頑張らないと」
周は「まあね」とそっけない返事をすると、するりと一枚の黒のショールを抜き取った。紗でできた刺繍のない透け感のあるショールだ。簡素で、かつとても安い。しかし黒という色だけで騙されてしまいそうな高級感があった。
ショールを広げると客の体にゆったりと羽織らせる。ショールの端は前に流しておくと、今度は紺の帯を手に取った。青みが強く、白で刺繍の入ったものだ。
しかし周を一目見ただけで端に据え置くと、七宝柄のからし色の帯を少女の腰に当てた。
「どう?」
周に聞かれて少女は姿見を見ると、目を瞠る。
「すごい。初めとは全然違います」
「からし色なんて着物の新橋色と真逆なのに⋯⋯」
かごめも同じく、驚いて口元に手を当てていた。周は二人からの称賛に自慢げに胸を張る。
「反対色は互いの色を引き立て合う。さらに黒のショールを挟めば、喧嘩しない。……さ、帯を持っていて」
周はかごめが持ってきた細い革のベルトを引っ張り出すと、帯の上から巻き付けた。
帯締めにベルトを使う。それは誰も思いつかない組み合わせだった。帯留めの代わりに銀のバックルがきらりと輝いている。
華麗なる変身に、少女は目を輝かせて姿見の中の自分に見惚れた。
「帯、可愛いだろ? 君の顔は愛嬌があるから、これくらい可愛らしい方がいい」
「あ⋯⋯あの、これ一式いくらですか⁉」
少女は鏡から振り返ると、かごめと周を交互に見遣って、食い気味に尋ねた。
かごめはその食いつき具合に、咄嗟に脳内でそろばんをはじく。
思い切って出してみよう、と思う価格帯だ。
「計、三円五〇銭です」
「か、買います! 全部くださいっ!」
「で……ではこちらへどうぞ……!」
かごめは隠れて歓喜のあまり拳を握り締める。周を振り返ると、「当然」という風に鼻を鳴らしてさっさと片づけを始めたが、彼の横顔も心底胸躍るという心中が透けていた。
客の少女は入店した時とは打って変わって、自信に満ちた嬉しそうな表情で店を後にした。見違えるようになって出て行った客を見た他の客らが、衝立の向こうでいそいそと片づけを進める周に目を止める。
そしてついに一人が少女客を送り出していたかごめを呼び止めた。
「この着こなし指南というもの、今の方みたいにしてくださるの?」
「わ、私も! いつも小物の合わせ方に迷ってしまって……」
かごめは次々に声を掛けられ、戸惑いながらも順に受け答えする。
周の指南は大好評。いつしか客の間では、美しい顔立ちで的確な指摘を飛ばす周の存在が、文目堂の一大名物となっていた。古い在庫の小物や帯が飛ぶように売れ、ショールもまたピンからキリまで
周は暖簾を下げる時刻になって、やっと詰まっていた息を吐いた。しかし同時に自身の腕を認められ、心は満たされていた。明日も忙しくなるだろうことに、どこかで喜んでいた。
かごめは木の台に上り暖簾に手を掛けて、せっせと店じまいの支度をしている。
周がその背中を眺めていると、ふと一つの疑問が思い浮かんだ。
どうしてかごめは結婚しないのか。
十八で、
年頃の娘で、かつ店が倒産寸前なら、真っ先に取るべき行動は怪しい女装の男を捕まえることではなく、結婚して支援を受けられるように契約することだ。
「お疲れ様。大盛況だったわね!」
かごめは少しだけ疲れの滲んだ表情で、しかしそれを上回る満面の笑みで周に笑いかけた。ふうと一息ついて、周の隣に腰を下ろす。
「久々にしっかり疲れた気がするよ」
「私もよ」
かごめはぱたぱたと手で顔を仰いで、店に吹き込むささやかな夜風を感じていた。疲れたと口にしつつ、かごめは充足感ある表情をしている。
かごめのすっかり気の抜けた横顔を見て、周はさりげなく疑問をぶつけてみることにした。
「なあ、一つ聞いてもいい?」
「なぁに?」
「なんでかごめは結婚しないんだ?」
かごめは緩んでいた表情を瞬時に強張らせた。しかし周はそれに気づくことなく続ける。
「普通は店が傾きかけたときに若い娘がいるなら、支援を受けられるように契約結婚を考えるだろ? それが一番丸いやり方だし、みんなそうしてる」
「……」
かごめは過去の嫌な出来事を思い出して、奥歯を噛み締めた。
(私も店のためにやったわよ)
しかし、それを口に出す勇気はなかった。ぐっと喉の奥に押し込める。
「それに店を続けるには、跡継ぎの問題も出てくる。結婚して悪いことなんてない」
けれどその一言が、かごめの堪忍袋の緒を切った。
「何も知らないくせに⋯⋯!」
周は突然叫び出したかごめに、目を丸くする。
「は? なんで急にそんな……」
「こ……こっちにだってれっきとした理由があるのっ。結婚は絶対にしないって決めてるのよ!」
かごめは顔を真っ赤にして言い放つと、足音を立てながら店の裏へ姿を消した。
「……俺、別に変なこと言ってないじゃん」
取り残された周は、従業員たちの視線を集めながらも不満げに言葉を漏らす。
そのとき周はふいに肩を叩かれ、びくりと振り返った。
背後に立っていたのは長谷川だった。長谷川が動きを止めている従業員らに軽く目配せをすると、彼らはしぶしぶ店じまいの作業を再開する。
「まさか早々にその話題に触れられるとは思っておりませんでした」
長谷川が意味深にそう告げるので、周はこの奇妙な状況に眉をひそめることしかできなかった。
かごめは店の奥にある休憩場所で、壁に向かってちびちびとお茶を飲んでいた。膝を抱えて、悶々とする。
(周に悪気はなかったってわかってるのに……)
結婚という選択は本当に当たり前のことなのだ。ただ遠藤家が割りを食いそうになったのは、かごめやかごめの父親が相手の腹の内を見抜けなかったからというだけのこと。
ついかっとなって叫んでしまった。
謝らなくては。そう思うほどに口が重くなっていく。
ふいに障子が滑る音が聞こえて、かごめは肩をびくりと震わせるも、さらに抱える膝を深くした。
「かごめ」
入ってきた周の声にかごめは沈黙を返した。
そんなことで怒るなんてと呆れるか、はたまた器の狭さをなじるだろうか。もしかしたら契約解除の可能性もある。
そう考え始めると、かごめは一気に指先が冷たくなっていくのがわかった。
謝らなくちゃ。
「……ごめん」
しかし聞こえてきたのは絞り出すような謝罪の言葉だった。
かごめは思いもよらず、顔を上げる。
「かごめ、ごめん」
「……」
まさか、謝られるなんて思っていなかった。
まだ出会って数日だが、かごめは周の矜持の高さをよくわかっている。かごめが振り返ると、周は苦虫を潰したような顔で立っていた。
「謝らないで、周は悪くないのに」
「俺、普通って言葉の強さを知ってたはずだったのに……無神経だった」
周もまたその格好を周囲から歓迎されていない。周は自分がされてきたことを無意識にかごめへとぶつけてしまっていたのだ。
(きっと私も知らない間にやってしまってるんだわ)
「私も……急に怒ったりしてごめんなさい」
かごめは周の顔色を窺って、短く息を吸った。
「跡取りのことも……もちろんちゃんと考えなくちゃいけないってわかってるけど、今はそれよりも店を盛り上げる方が先だと私は思ってる」
「……それもそうだね」
「今日の活躍、凄かったわ。やっぱりうちには貴方が必要だってわかった」
かごめの称賛に周は照れ臭そうに後頭部を掻く。
今日はかごめが小さかった頃のような活気を感じることができた。この勢いを殺すにはあまりにもったいない。
「明日もお願いできる?」
「……もちろん。俺は契約を投げ出すほど、いい加減な男じゃないよ」
周がぼそりと呟くと、かごめははにかんで手を差し出した。しかと握り返されて、かごめは少ししんみりとした空気の中で、交わされた手をぶんぶんと縦に振る。
「じゃ、よろしくね」
周は「痛いよ」と文句を言いながらも、笑みをこぼした。
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