第5話 新生・文目堂、一人目の客

 出来上がった引出ビラは白黒の写真に手彩色てさいしきで簡素に色を付けた華やかなものに仕上がっていた。上部には『文目堂あやめどう』と主張強く店の名前が書かれているし、華やかな引出ビラは目を引く。


 かごめは目を輝かせて、誰よりもその引出ビラを愛おしそうに見つめた。


「自分の写真が使われているのは恥ずかしいけど、まあご愛嬌よね」

「思ったよりもいい出来になったね」


 あまねの言葉にかごめは同意する。


「初めて作ってみたけど、これならお客さんたちも興味を持って入ってきてくれるは、ず──……」


──一人五十銭で個別着こなし指南対応します。


 かごめは引出ビラの下部に記された見覚えのない文字に目を止め、周に紙を突きつけた。


「なにこれ!」

「俺が書いた」


 しかし周は涼しげな表情で言ってのける。昨日とは違う、蓮の花から地獄を見下ろすお釈迦様が描かれた扇子を仰ぎながら。


 今日は『蜘蛛の糸』か。かごめはどこかで感心しつつも、不測の事態に周へ詰め寄る。


「ちょっと相談してくれないと!」

「別にぼったくりじゃないんだからいいだろ。それにちゃんと『購入者は無料』って書いてある」

「も⋯⋯もちろん、貴方がするのよね?」


 かごめは周の飄々ひょうひょうとした態度に、恐る恐る尋ねた。周は昨日から突拍子もない発言を繰り返して、かごめを驚かせ続けている。


 しかし、やはり着こなしだけはだめだ。今日のかごめの恰好も周が選んだものを着ていた。


 生成りのような白地が真っ赤な大柄のいちごで満たされた、可愛らしくも大胆な銘仙。からし色と黒の市松模様の帯は毒気もありつつ、奇抜になりすぎていない。


 そして何よりも、かごめが驚いていたのはさらなるショールの新しい使い方だった。かごめの胸上からおはしょりまでを覆うように紗のショールが着物の上から巻き付けられており、その上から帯が締められている。


 柄がむき出しの袖と、透ける紗のショールで覆われた胸元を見た時では印象が変わるのだ。


「もちろん、着こなしは俺の専門分野だ。⋯⋯もしかして、かごめもやりたかった?」

「冗談言わないで! 私は大人しく引出ビラを配ってきます」


 にやりと笑う周に、かごめは叫びながらも内心ほっとしながら、引出ビラの束を持ち上げる。

 その足取りは今だ倒産寸前とはいえ、弾んでいた。周がくれたおめかし自信はかごめの心を一転させたのだ。


「俺も行くよ」

「お待ちください」


 かごめに続いて立ち上がろうとした周はふいに呼び止められた。周は男性の静かなたたずまいに内側からにじみ出る敏腕さを察知して、彼が文目堂の番頭だったことを思い出した。


「えっと、たしか……長谷川、だっけ」


 番頭の長谷川は仰々しく頷く。

 かごめはついて来ない周を不思議がって、軒先から店内に戻った。


「どうしたの、周」

「ちょっと話があるらしいから、先に配ってて」

「そうなの? わかったわ」


 かごめは素直に納得して、再びぱたぱたと暖簾をくぐって外へ出て行く。周はその能天気そうな後姿を見送ると、長谷川に向き直った。


「で、何の用?」

「……蒔田まきたあまね様、心してお聞きください」


 妙に構えた前置きに、周は眉をひそめる。


「もったいぶって何」

「社長はまだ若くて純粋、とてもいい人ですから、貴方を疑ったりしていません。しかし私ども従業員は貴方の素性がわからないことについて、不信感を持っていることをお伝えします」


 周はそりゃあそうだろうな、と頭の隅で思う。かごめは良くも悪くも真っ直ぐすぎる。


「社長は年頃の女性です。もし貴方が社長の優しさに付け込むようなことをすれば──……、おわかりですね?」


 長谷川の射貫くような視線に、周は父親の影を見て眉間にしわを寄せた。どこだって周ははみ出し者だ。


「……わかってるよ。でも、とりあえず信じてくれない?」


 黙りこくってじっと見つめ返され、周は首筋を掻く。


「……って言っても無理か」


 長谷川は沈んだ声色の周を前に、神妙な面持ちで俯いた。


「しかし、私どもは今の社長の決断について行くことを約束しております」

「約束⋯⋯? 誰と」

「先代社長である、かごめお嬢様の亡きお父様です」


 周は事前に得ていた情報を思い返す。先代社長や先々代が文目堂をここまで大きくした。経営状況が悪くなったのは、先代社長が病で潰れてから。


「ですから、かごめお嬢様──現社長が貴方を信じている間は、私どもも貴方を信じることにいたしました」


 差し込まれる短い呼吸に、周は少しだけ身構えた。続く言葉を受け止めるために。


「周様、どうか我々を失望させないでください」


 周は長谷川の真剣なまなざしを見つめ返す。周は心中を見透かすような目つきに、心臓がどきんと大きく跳ねたのを感じた。


 さて、いつまで父親たちを騙くらかせるだろうか。バレた時が全ての終わりだ。

 周は目を細め、口の端を吊り上げて、無表情だった顔に笑みを作ってみせた。


「もちろん」







 予想以上の好調に、かごめは驚いていた。

 暖簾をくぐるという行為はほぼ直接的に購入へとつながる。そのため入店は若い女性にとって敷居の高いものだが、価格の安いショールを売りにしているとなれば話は別。

 井倉屋の二号店へ向かっていた客たちの足止めを、文目堂は一人、また一人と成功させていた。


「あの……」


 かごめの配ったビラを片手に、少女がかごめに声をかける。

 かごめは暑さに額に浮かんだ汗を拭いながら、にこりと微笑んだ。


「どうかされましたか? あ、入口はこちらです。どうぞご遠慮なく──」

「こ、この、着こなし指南って……この着物にどんな帯を合わせたらいいのかも教えてくれるんですか……?」


 少女は恥ずかしそうにもじもじと下を向いて、いかにも自信なさげに言う。


 かごめは少女の全身をさらりと眺めた。

 彼女が身にまとう駒絽こまろの着物は、一目で奮発して購入したものだとわかった。鮮やかな新橋色の地に紅色をした大輪のダリアの絵羽えばがらは、夏らしい華やかさと涼しさを表現している。


 まったくと言っていいほど着こなしセンスがないかごめの目で見ても、彼女の悩みは明白だった。


「あの……この着物、思ったより派手で困ってて」


 無難に白の半襟に黒の帯を合わせて、帯揚げや帯締めも着物に使われているものと似た色を持ってきている。流行りを聞きつけて、頑張って購入してみたものの、扱いに困ってしまっているのだ。


「その悩み、すごくわかるわ」


 かごめは少女の手をさっと取ると、暖簾を景気よく捲った。


「周!」


 外に出ようと、草履をつっかけていた周が呼び止められて顔を上げる。


「うるさいな、今行くってば」

「違うわよ、貴方の最初のお客さん!」


 かごめは少女を周の前に突き出した。


 周は一瞬目を丸くするが、すぐに少女の着物に目を留めると顎に手を添えて彼女をまじまじと観察し始める。

 そしておもむろに口を開こうとしたので、かごめははっとして、慌てて袖を引いて耳打ちした。


「あくまでもお客様だから、丁寧な対応をお願いね。少なくとも、私と初めて会った日に言ったような歯に衣着せぬ物言いは、絶対にだめだから」

「……。努力はする」

「一応、私も側で見てるから!」


 かごめは周に念押しすると、表情をころりと変えて客に微笑んだ。


「ではこちらへどうぞ!」


 少女は不安げな表情を残しながらも店に上がった。

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