第4話 家名のしがらみ

 闇に沈む屋敷の玄関をそっと開く。


 周は誰にも気づかれないように、忍び足で家に上がった。屋敷の中はしんと静まり返っており、住まう人たちがすでに休んでいることは明白だ。

 あとは就寝前の女中たちに気づかれなければいい。

 周は板張りが軋む音に顔をしかめながら階段を上がる。


 そのとき、周は自分のものではない衣擦れの音に足を止めた。


「こんな時間までどこに行っていたんだ、周」


 周は低く、逃げ道を塞ぐような声音に呼び止められて、ため息を吐いた。

 気づかれてしまった。


「しかもまた、そんな恰好をして」


 わざとらしくとげを含ませた語調に周は苛立ちを覚えながらも振り返る。

 そこには予想通り父親が立っていた。整えられた口髭くちひげはいかにも厳格な父親の象徴のよう。


 父親──蒔田まきた将作しょうさくは目を細め、周の頭の天辺てっぺんからつま先までを舐めるように眺めた。周はその値踏みするような目つきに眉根を寄せて、後ずさる。


「……父さんに言われた通り、文目堂を偵察してきていたんですよ」


 周は最低限の敬語を持って父親に接する。その不遜ふそんな態度に将作は表情をわずかに歪ませたが、別段指摘するようなことはなかった。


「どうだった、新しい社長は」

「父さんの心配には足りません」


 父親に背を向けながら周は吐き捨てるように言う。


「あんな小店、放っておけばじきに潰れます」


 俺が介入しなければ。

 周は続くべき言葉を飲み込んだ。

 しかしそれを鋭く見抜こうとする眼光があった。周の肩はしかと掴まれ、無理やり振り返らさせられる。


「本当だろうな」

「……本当です」

「これくらいの働きはやってもらわんと困るぞ」

「……」


 周は一瞬、言葉に詰まった。


 まさかそんなことを言われるとは思わなかった。すでに見捨てられ、どうでもいい駒同様に扱われているとばかり思っていたからだ。

 まだ家名に縛り付けるつもりなのだ。それを悟った瞬間、周は掴まれた手を振り払っていた。


「呉服に全く興味のない兄さんに、二号店を任せると言ったのはあんただろう⁉」


 感情に任せて叫んだそのとき、周の頬に伝わった衝撃とともに視界がぐるりと回った。足がもつれ、その場に崩れ落ちる。


 残っているのは頬に響くひりつくような痛み。

 周は受けた屈辱に絶句して、叩かれた頬を押さえながら父親を睨み上げた。しかし瞬時に胸倉をつかまれ、うめき声が漏れる。


「お前の母親はお前が正気になることを望んでいる。わかったならさっさとその馬鹿な格好と反発的な行動はやめなさい。⋯⋯それに将一郎には商才がある」

「『正気』……? あんたらは俺が病気か何かだとでも思ってるのか」


 父親は周の胸倉から手を離した。支えを失った周は重力に従って、地面に叩きつけられる。


「そうだ」


 父親は冷酷な言葉を女装する息子に浴びせると、きびすを返して自室へ消えていった。


 周は一人きりに戻った廊下で、力任せに拳を床にたたきつけた。





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