第4話 A組の一日と、ひとつの敬礼
1 朝の点呼
目覚ましより早く目が覚めた。海は静かで、雲は薄い。
澪と詩音はすでに制服に袖を通し、鏡の前で「こっちのリボン」「いや今日の気分はこっち」と小声で揉めている。
「……同じに見えるのは僕だけ?」
「全然ちがう!」と二重のハモり。
(潤しゃん、今日は“無害オーラ”多めで!)アメ。
(四拍吸って、四拍止めて、四拍吐いて)ムス。
(目線は柔らかく、歩幅は半足分短く)カミ。
「はいはい」僕はネクタイを結び直し、寮を出た。校門前の桜は新芽がふくらみ、芝には朝露。学園は、戦場の顔をしまって「普通」を見せようとしていた。
2 ホームルーム(出席確認)
A組の教室。黒板の前で久遠院先生が出席簿を開いた。白衣の袖を一折りまくり、眼差しだけで教室を整える。
「最初のホームルーム。全員の顔と声を覚えたいから、出席を取ります。返事ははっきり」
空気がきゅっと締まる。
◆男子5名
• 更屋敷 潤
「はい」
声が少し硬い。妹たちの視線を背中に感じる。
(硬さ、−10%)カミ。(よろしい)
• 天城 蓮
「いる」
淡々。鉛筆を回す指がやたら器用。
• 八神 颯真
「おう!」
炎属性らしい熱のある声。僕に向ける目だけ少し尖っている。
• 久世 晴斗
「は、はい!」
声が裏返って、クラスに笑いがこぼれ、当人は赤面しながらも律儀に立ち上がった。
• 香坂 凌
「……はい」
窓の外に視線を投げながらぼそり。けれど耳は教室全体を逃さない。
◆女子25名
• 御影 さな
「はーい!」
狐耳と尻尾がぴょこん。ムードメーカーの自覚アリ。
• 白兎 イリア
「はい」
落ち着いた声。模擬戦の余韻が一瞬だけ目で合図になる。
• 澪
「はい!」
元気の塊。声量だけはクラス一。
• 詩音
「……はい」
小さく、それでも確かに届く声。
• 鳴海 エリカ
「はい、先生。で、このあと理論の——」
「出席中だ。黙れ」先生のツッコミが最短距離を走る。
• 神代 雫
「……はい」
氷のように澄んだ一音。感情は薄く、観察眼は濃い。
• 花房 マリア
「はぁい!」
明るい。購買の限定パンの位置を既に押さえていそうな笑顔。
• 柊木 結菜
「はい」
優等生の響き。机の端は角度ぴったりに整えられている。
• 秋月 玲奈
「はい」
冷静沈着。立ち姿は剣。
• 篠原 紗月
「はぁい♡」
抑揚で笑いを取りにいくタイプ。噂の中心にいそう。
• 真壁 ほのか
「はい!」
体育会系。声に雷鳴の予告が混じる。
• 小鳥遊 芽衣
「はい……」
おっとり。声だけで空気を柔らかくする。
• 桐生 天音
「はいっ」
歌うみたいな発声。自分で少し照れている。
• 高良 琴葉
「はい」
ペン先は止めずに即答。几帳面の権化。
• 南雲 沙羅
「おう、はい!」
拳を握る。武器召喚系らしい骨太さ。
• 大森 ひなた
「はーい!」
快活。太陽の名に恥じない。
• 如月 美咲
「はい」
冷たく短く。視線の温度も低め。
• 佐伯 友里
「はい」
控えめ。聞き役になりがち。
• 橘 佳乃
「にゃっ、は、はい!」
猫耳ぴくっ。笑いの波がふわっと広がる。
• 西園寺 百合
「はいですわ」
上品な一礼つき。立ち居振る舞いに名家の影。
• 芹沢 沙希
「はい!」
歯切れがいい。努力は声に出る。
• 東雲 葵
「はい」
真面目。ノートの罫線に沿って呼吸していそう。
• 北条 美琴
「はーいっ!」
元気+雷。前の席がびくっとする音量。
• 藤宮 璃子
「……はい」
本から顔を上げずに小声。
• 森下 桜子
「はい!」
演劇調の一礼まで完璧。舞台で生きるタイプ。
先生は出席簿をパタンと閉じ、微笑んだ。「全員出席。——いいクラスになりそうだ」
(名簿インストール完了!)アメが得意満面。
(テンポ維持、情報量も良し)ムス。
(ここから“日常”を積む)カミ。
3 基礎術式・小テスト
配られたプリントには三課題。
Ⅰ:詠唱省略の初級魔弾を一定出力で三発。
Ⅱ:単層結界を30秒維持。
Ⅲ:簡易陣の誤差補正を暗算で。
「出力のばらつきは減点。安全第一。はい、開始」
教室に微かな光と風の音。
僕は指先に“わざと”微小の乱れを混ぜ、三発を±5%に見せかけて着弾させる。結界は単層で薄く張り、27秒目に端をふるわせ“人間味”。暗算は天城の鉛筆の速度に合わせて“凡庸”を演出。
(えらい。凡庸の作法)カミ。
(内心のどや顔、消して)ムス。
(消してる)僕。
提出のとき、久遠院先生が小さく笑った。「“無難”は高等技術よ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
4 昼休みの雑談
購買の限定パン(揚げ焼きカレーパン“八名スパイス”)。御影が三つ抱えて滑るように現れた。
「最後の三つ確保! 一個は潤、一個は蓮、残りは私!」
「自分の取り分の確保が早い」
「戦場でも食糧は最優先」
「比喩が物騒」天城は眉をひそめつつ受け取る。
「模擬戦、見たよ。“風の当て札”、教えて」御影が身を乗り出す。
「紙飛行機の折り目。空気に“お願い”して道を作る」
「お願いって何?」
「概念」
「ずるい」御影は頬を膨らませ、でも嬉しそうだ。
(青春)アメ。
(アメ、声漏れてます)ムス。
(あっ)アメ。
5 防災演習の集合
午後。校内放送が鳴り、島全域で同時訓練。A組は東門ブロックで避難経路の確認と、パトロール隊交代式の見学。
「列は二人組。離れない。号令に従う」久遠院先生の声がよく通る。
東門は海風が強い。灰青の制服が整列し、号令で靴音が一糸乱れず揃った。
——背中の古いスイッチが入る。胸骨の奥で、染み付いたリズムがうずいた。
(動かない)カミ。
(視線は水平、顎は少し引く)ムス。
(呼吸、一定)アメも珍しく真面目。
6 敬礼
交代式の終わり。整式が返され、短い沈黙。
金縁眼鏡の矢来教官がこちらに歩み、立ち止まる。
——彼は最高幹部式の敬礼を“半分だけ”掲げた。誘いか、確認か。
体は頭より先に動いた。背筋が伸び、踵が揃い、右手は肩へ。完璧な軌道。刃のような静止が一拍。
風の音が消え、空気が硬くなる。御影の目が丸くなり、天城の鉛筆が足元に落ちた。久遠院先生の睫毛がかすかに震える。
(やったね!)アメ。
(アメ!?)ムス。
(今のは止められなかった)カミの声に叱責はなく、薄い諦念だけがあった。
「——礼式のデモンストレーションはここまで」矢来が、あたかも授業の一部のように声を張る。「学生諸君、姿勢を身につけること。以上」
凍っていた空気が少しずつ動き出す。ざわめきが遅れて戻ってきた。
7 火種
列が解散しても、微細な波紋は残った。
「今の、デモ……だよね?」
「合図してないのに、あの角度」
「寸分違わない。何者?」
久遠院先生は何も言わず、いつも通り点呼を取り、隊列を動かす。
歩きながら天城が小声で言った。「やっぱり、君は軍人だ」
「散歩の仕方を知ってるだけ」
「散歩であの敬礼はしない」
(火種、点火)カミ。
(でもまだ延焼してない)ムス。
(延焼させないのが今日の課題!)アメ。
8 演習後の面談
解散後、久遠院先生に呼ばれ、職員棟の小部屋へ。窓の向こうに海。
「更屋敷くん」先生は机上で指を組む。「今日のは——“きれいすぎた”。事情は聞かない。ひとつだけ」
「はい」
「ここは学校。あなたは学生。あなた一人で、何もかも背負わないこと。非常時は命令系統に従う」
「……わかっています」
先生はふっと笑った。「なら良いわ。小テストは“無難”に満点」
「満点で無難って、矛盾してません?」
「学生あるある」
9 屋上の約束
放課後。屋上に御影と天城、澪と詩音。
風は穏やか。海は青い。遠くで屋台の準備の音。
「お兄ちゃん、さっきの敬礼……」澪が言い淀む。
「演習の一部だよ」
「ほんとに?」詩音の声は不安を含む。
「詮索はしない」天城は手すりにもたれる。「でも、合図は決める。逃げる方向、合流地点、役割」
「賛成!」御影の尻尾がぴん。「私は結界。蓮は判断。潤は——」
「“普通の新入生”。必要最低限だけやる」
「出たよ保身」御影は笑うが、声は軽くない。みんな、どこかで“来るもの”の匂いを嗅いでいる。
(良いチーム)ムス。
(守る対象が定まると、戦い方が決まる)カミ。
(お祭りの屋台は私が守る!)アメ。
10 黄昏の校内放送
島全域のスピーカーが鳴る。
『——定時防災テストを開始します。担当者は持ち場を確認——』
ざわめきが一瞬だけ揺れに変わり、すぐ日常に戻る。
警備兵の一人は無線を耳に当てたまま顎で短く返事。癖のない動き。
(タイミングが早い)カミ。
(海側の“それ”に合わせてる)アメ。
(足音が近い)ムス。
11 夜の見回りと掲示
寮へ戻る途中、東門の灯りが一度だけ濃淡を変えた。
警備ドローンの軌道が修正され、対空センサーが海の方角へ少しだけ首を振る。
掲示板に臨時の紙:防災レベルβ+(ビー・プラス)。備蓄水の点検、窓の施錠、外出制限は“任意”。——任意の文字の裏に薄い圧。
(β+。間隔が詰まってる)カミ。
(波頭が、見えない場所で立ってる)アメ。
(スープが飲みたい)アメ。
(可愛い話題を挟むな)ムスが笑う。
12 寮の窓と短波
夜更け。寮の窓から海を覗く。
風は穏やか、星は冴えている。なのに水面の皺が“逆向き”に走る。灯台の明滅は正常。だが光の届き方が違う。空気の層が一枚、裏返っているように。
机の端の短波ラジオを回す。砂嵐の中、ノイズの縁に何かが混じった。
——ザ……ra……zard……
聞き間違いだ。そうであってほしい。
(聞こえた)アメ。
(聞こえた)ムス。
(聞こえた)カミ。
僕は見ないふりをして、窓枠に指を置く。木の感触が現実に繋ぎとめる。
13 小さな訪問者
軽いノックもなく、澪が扉を開けた。「……眠れない」
「大丈夫。ここは安全だよ」
「……うん」
詩音も顔だけのぞかせ、小さく会釈して戻っていった。
(約束は、できる範囲で)ムス。
(背負い込み過ぎない)カミ。
(焼きイカは明日に回そう)アメ。
遠くで係留索が一度だけ、きゅ、と短く鳴った。
それだけの夜。
——それだけで、充分に不穏な夜。
“普通”は、薄い皮膚だ。薄いから、守る価値がある。
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