第45話 門野と秋津
朝霧だとそれが分かるのは、夏にしては少し肌寒いし、朝特有の匂いが辺りに充満していたからである。その肌寒さを感じているのが誰かと言えば、門野である。彼は石畳を歩いていた。どうやって来たかの記憶はないが、参道を歩いているのだとすぐにわかった。来たことのある神社だったからだ。しかし、参拝客はいない。いるのかもしれないが、濃い霧が人を見させない。いやきっといないのだろう。靴音も話し声もないのだから。それでも門野は一人歩いていた。社殿がもうすぐ、ということで霧の中からシルエットが一つ小さい円から徐々に人の形になって迫ってくる。不思議と身構える、心持だけでも用心するということも浮かべることはなしにそのまま歩み寄った。
「何だ、お前か」
門野の声に振りむいたのは、秋津文綿だった。すっかり毒気を抜かれたというのは、彼女に対して失礼だが、門野にはそのように見えた。地味なクラスメートという感はぬぐえないが、どこか清麗な雰囲気が出ていた。
「門野君……私どうしてここにいるの?」
彼女は気づいたらここに立っていたと言った。歩こうとはした。どこなのかも知りたいし、誰かに尋ねでもしたい。しかし歩く気にならなかった。ただ立っていることを選んだのだと。
「でも……ずいぶん前に来たこともあるような……」
「そりゃ、来たことあるだろ。褻比夷市民ならな。ここは褻比夷市の一の宮だ。七五三の時にはほとんどの子供が来るぜ。何て言ったってここは子供の成長にご利益があるらしいからな」
「詳しいのね」
「俺も来たからさ。それだけだよ」
「そうね……私も来たわね……あの時は両親がいたから……」
うつむいて涙声になる秋津にどう言葉をかけていいか分からない。
「でも、それも思い出。今の私にとってはとても大切な」
「なあ、お前これからどうするだよ」
「こんなに静かなところならここにずっといたい気もするわ」
それを聞いて、人はなかなか変われるものではないと、門野は思った。自分もきっとそうなのだろうがなと自虐的になりながら。
「降りようぜ。こっからよ。言い方変だが、娑婆でこそ何か見つかり、できるんじゃないか? ここにいたってただ突っ立ってるだけだぜ」
「門野君も、長木さんもすごいね。みんなには言わないのに、抱えているものを…なんか言葉にできないや」
「何言ってんだよ。お前だってそうだろ」
「?」
「お前だって誰にも言わずに抱えて、戦ってきたんだろ。それで勝てなかっただけだ。なら、戦法を変えるだよ。お前はどんな風にしたいんだよ。さっき言ってたじゃねえか」
「私は……私は……みんなが、《異人》も人も笑顔で、それで心から相手のことを思えて、助け合って、支えあって、それで…仲良く暮らせる。そんな世界にしたい」
「ならよ、それを勝ち取りに行こうぜ」
「うん」
秋津はこの上もない笑顔をつくった。瞬間、霧が辺りを包み、門野は意識を喪失した。
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