第28話 病室
「いや、しかし、すごい回復力ですね」
翌日、とある病院の一室。メンバーが揃っていた。卒倒した門野は卜部の元へ、外傷の長木は病院へ搬送し処置を施してもらったのだった。無論当初は門野も病院に来ていた。しかし、処置不能の診断が下されたために卜部の元へと変更になった。病院自体が市長のお墨付きなため、弾正が事情を話したら、それなら専門家の所へという方針でもあった。
それで……わずか一昼夜にして二人ともものの見事に覚醒。弾正は週末ともあり休暇でも良いとしたかったのだが、事が事だけに両名ともあの後のことを気にしており、門野が病院に足を運んで、ここミーティングルームを借りて面を突き合わせているのであった。
「あの後はですね。結局一つ目入道の事情聴取を始めちゃいました。というわけで僕もほとんど寝てません……いやはや。激務ですね」
「それで。あいつなんて言ってたんです?」
「ええ、ちなみ霊獣も一緒に行ってもらいました。彼曰く、『オサムなんぞの力の影響を受けないで出る方法などいくらでもある。それに今あいつは昏倒しているからな、私は私本来の存在体として自由にいられるのだ』とか言ってましてね」
「じゃあ、普段からそうしてろよ。俺に憑いてないでよ」
身体の不調や病み上がり時は、罹患者は愚痴が多くなるものである。
「まあまあ」
「それで? どんな話が?」
門野の大活躍を目撃していない長木は、病室ですでに顛末を聞かされていた。もう一度話が始まる。
「契約違反が発端のようです」
「契約違反?」
「ええ、湖を汚さない。その代りに湖の幸が滞ることのないようにする。それが契約内容だったそうです。一つ目入道と人間との間の。大分古いことのようでしたが、妖怪の時間と人間の時間の感覚は違いますからね。人間の方はすっかり忘れて、伝承することも薄くなり、機械を入れたり、ゴミを落としたり流したりし続けたので、堪えきれなかった。というのが趣旨ですね」
「なんか……」
「どうしました?」
「なんか、あいつの話をもっと聞いてやればよかったかなって。啖呵の切り方が…」
「それは気にしなくてもいいのではないでしょうか。考えに齟齬が生まれるのは、だから故互いに理解しようとしますし、だからこそコミュニケーションが起こるわけですから」
「はあ……」
弾正に今励まされても、門野には一つ目入道をいささか可哀そうだと思ってしまったからには気になって仕方ないのだ。
「でも、あの……増幅した力っていうのは。私あの言葉がやたらに気になって」
「鋭いですね。僕も気になってました。それを一つ目入道に尋ねると、そこはどうも分からないと答えました。でも、こんなことも言ってました。ある日ふと力がみなぎるのを感じた。そして感情が止めどもなく抑えようにも抑えれないものになっていった、と」
長木と弾正は一つ目入道の暴走原因をこれから追求せねば、という方向へ舵をとろうとしていた。
「本当にドーピングですね。寝ている間に誰かに注射でもされたんじゃないですか?」
門野は後ろ手に手を結んで、チェアの背もたれに背を預けて反り返って笑った。あくまで冗談のつもりで言った言葉だ。誰も好き好んで妖怪に経口薬を渡したりはしまい、注射を打つなんてことはなおさらである。
「それです。門野君!」
どれなんですかと聞こうと思ったが思いつきのまま話していることに突っ込まれても困るだけだったのでスルーして
「何がです?」
と差し障りのない返し方をした。
「妖怪にドーピングをした人がいるんです」
弾正が強く言うものだから驚いたのだが、その言いようよりも門野が冗談交じりに言った内容をそうだと肯定した点にあった。
「いえ、弾正さん、それ俺の冗談ですから……」
言った当の本人が解説をしようとかと慌てて訂正をかける。
「いえ、門野君のそれは正しいと思います。恐らく誰かが一つ目入道の力を増強させるようなことをしたんです。間違いなく。それも一つ目入道が知らない方法……いや所で」
「いや、でもあれに注射針なんて刺さりそうにありませんよ」
こういう真面目な返答をしてしまうのが、長木の性分であった。しかしそれも無理はない。一つ目入道のあの体躯である。見た目からして皮膚が厚そうな、いやその前にぬめり気のある液体が覆っていたのだ。針など滑ってしまう。そのように見えたとしても考えすぎではない。
「いえ、注射針は例えですが」
門野はドーピングという言葉自体が例えなんだがと内心思ったが、饒舌に拍車がかかっている弾正を妨げるのもいかがなものかと思い、止めておいた。
「それに代わるものを使ったと考えられます」
「ちょ、ちょっと待った。弾正さん。あくまでそれは弾正さんの推理ですよね。お供え物に薬物仕込んだとしても、効くとは思えないんですが」
以外にも冷静に論理を導く門野の弁は、弾正に再び考える時間を設けさせた。それに人間用の増強剤が《異人》(この場合は妖怪)に適合するのか、それも疑問であった。
「それもそうですね……しかし、良い線だと思ったんですがね…」
一つ目入道のパワーアップ。体力だけでなく、思考までも過剰にさせてしまうものがいったい何なのか、議論は暗礁に乗り上げてしまった。
「考えていても埒が開きませんね。お二人は今日一日休んでいてください。僕は調べてみますから」
「でも、弾正さん。あまり寝てないんでしょ。少し休んだほうが…」
「女性にそう言うこと言われるのは、うれしいものなんですね。でも、大丈夫。事が事だけに……という思いなのは、あなたたちと同じですよ」
そう言って弾正が立ち上がろうとした。
「おい、待て」
三人とは違う声が届いた。三人は動きが止まった。
「誰だ」
門野が一番早く口を開いた。身構える三人。一体どこから声が聞こえ、その声の主は誰なのか。
「ここだ、ここ」
声が聞こえる方向に三人は顔を向け、ゆっくりと近づく。窓。
「だから、ここだ」
声源は、窓の外側に張り付いている、一枚の葉っぱからのように聞こえた。
「だから、そうだと言っておる」
やはり葉から聞こえる。三人は不審げな表情でその葉に顔を近づけた。
「あまり、近づくな」
葉に二つの目と一つの口が浮かんだ。
「キャー! 気持ち悪いィー!」
長木が高音で叫んだ。女子らしい素振りであった。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
たまたま廊下を通りかかったのだろう、女性の看護師がドアをノック後、顔をのぞかせた。
「ええ、大丈夫です。体調が回復したか、発声練習で確認しようとしていたんです。紛らわしくてすいません」
こういう時には、弾正の口から出まかせが役に立つ。それにしても、条件反射のようによく対応ができるものだ。言い訳が苦しいこともある。今回がそうだ。看護師はしぶしぶと引き下がったが、どう見ても怪しんでいる表情だった。
「すまんな。驚かせたか」
「ええ、女性には十分」
「話がある。そっちに行けるか?」
「待てよ。いったい何の話だってんだよ」
門野はすっかり用心深くなっている。
「一つ目入道の異常行動の件だ。どうだ? 行ってもいいのか、それとも帰ってもいいのか」
開閉範囲が限られている窓を開けると、その一枚の葉はスルスルと風に乗ったように入室をし、机上に降りた。
「どんな話でしょう」
三人は再び着席をし、予想もしていなかった訪問者の話に耳を傾けることになった。
「私は、湖の上流にある池の傍にある木の枝に付いていた一枚の葉だ。その池の主様の使いで来た」
「というと……山の中腹にある池のことですか?」
弾正には見当がついたのだろう。葉は同意を示す。首肯しているつもりなのだろうが、どう見ても葉が二つ折に曲がったとしか見えない。
「そうなると池の主というのは白蛇ですか」
「そうだ。よく知っているな」
「自分が住んでいる地域ことですから。伝承は一通り」
しかし同市居住のはずの門野はそれに疎かった。
「あ、池の白蛇の話ですか? 私も聞いたことがあります」
長木も思い出したようだ。そういう話があることを。
「……思い出せねえな」
旧家で地域のことを良く知っているはずの門野家の次男坊には、思い出すことができなかったようである。きっと教えられてきているはずである。しかし、門野にはその記憶がない。姉兄妹はきっと知っているのだろうが。
「続けるぞ。今回の一件、欄干の霊のことから一つ目入道を大人しくさせてくれたことまで、一部始終見ていた。私が見ていることは遠く離れていても、私が属していた木に伝わり、主様の知るところとなる。主様がそなたたちと会いたいと申させておる。異常事態が起こっている。それは人の手で収めるべきこと。一つ目入道もそれに巻き込まれたのだと。どうだ? 主様自らお目通りを許されるのは稀有なこと。参るか?」
「その高飛車な言いようが気に入らねえな」
「門野君、僕たちが今使っているような感じで受け止めるとそのように聞こえるかもしれません。が、適切な表現だと思います。相手を敬い言葉を使う。この葉はそれを教えてくれているようです」
「そんなもんかね」
門野は合点がいかない。が、ここは個人で、言いようがどうということで張っていても仕方がない。情報源は必要であるのは分かっていた。
「会わせていただきたい」
弾正がチーム代表として総意を伝える。
「そうか。では、参ろうか」
「しかし、今からというのは待っていただきたい。この二人はまだ負傷の身。少し休ませてやりたい。あなただって見ていたでしょう、一つ目入道との格闘を。それに今日は人間たちにとっては平日と言って、学生は学校に行っているもの。学校を欠席した者が、山で姿を見られたら、さすがに怪しまれます。学校が土曜日で休みになる明日にでも構わないだろうか」
弾正の弁は滔々としかもまっとうであって、反論の余地を残さないように相手に思案させる。しばしの沈黙の後、葉はこう言った。
「今、主様からのお言葉が届いた」
(すげー携帯要らねえのな、便利な生き物だな)
なんて門野はその光景に耳を傾けていた。
「明日で構わない。今日はゆっくり休まれよと」
「そうですか。感謝いたします」
その後、また明日会いに来ることを告げ、葉は飛んで行ってしまった。それでもきっとどこかで三人のことを見ているのだろうと弾正は推測していた。
池の位置を確認したり、病み上がり二名は治療に努めたり、弾正は池に向かうための段取りを整えたりした。
その晩は巡回の必要がないほど、静かな夜となった。
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