第27話 一つ目入道

 門野、長木、弾正が揃ったのは、卵形をした湖の岸を沿って欄干から一キロほど北西に進んだ所だった。林の中に設けられた小さな祠がある。街灯などなく、薄暗い。月の灯りもぼんやりとしか降りてこない。夏の夜のじっとりとした空気が不気味さを増幅させる。

「さすがに誰もいないな」

「人通りどこか、車も音さえ遠くでしか聞こえないわね」

 祠を見通せる位置で木陰に隠れている。門野は場の雰囲気にいたたまれなさもあり、小声でそんなことを言うと、それに呼応して長木も付け加えた。欄干の霊、ムジナの除霊と言ってもそれは市街地近く。そんな場所的な安心があったのかもしれない。しかしこの場にはそんな余裕などない。

「でも、なんでこんな時間なんです。こいつの話だと日がまたぐ時間だったって」

 門野は手元にある檻の中のムジナに目をやりながら弾正に尋ねた。

「まあ、ムジナの報告を聞きたいでしょうから早い時間がいいと思いまして。というわけで」

 弾正を合図に、門野は檻の柵を開けた。すでにムジナには言ってある。檻から出たら、祠の前にいるだけでいい。湖の主が現れても何も話さなくてもいいと。

 檻から出されたムジナは最初の一・二歩は怯え怯えの足取りだったか、意を決したのか祠に駆けて行った。

「後はご登場を待つだけ……って!」

 門野が檻を地に下ろして、祠の方を見ると、ムジナは何を調子づいたのか、祠に供えられた果物を手に、大きな口を開けている。

「あのバカ、何やってんだよ」

「待ってください。あれ」

 湖面に波紋が起こり、それが湖岸まで来ると影がその中からゆっくりと立体に浮き上っていく。水の滴る音があり、ビチャビチャという足音もしているのに、ムジナは聞こえないのか、あるいは聞きたくないのか、果物を頬張り、さらにもう一つを手にして、またしても大きな口を開けた。

「おい、ムジナ」

 その声にムジナは口を開けたまま硬直し、蒼白に変わっていく。声が湖の主だと分かったからである。ゆっくりと顔を振り返る。案の定、ムジナはそこに一つ目入道が直立しているのを目撃する。留まることを知らぬ汗が噴き出ている。

「見つかったか?」

「あ、え……あ、……あの……」

 一つ目入道の問いにも、ムジナはすっかり怯えきって言葉が続かない。

「見つかったのか?」

 一つ目入道の語気が強くなる。

「……はい」

 ムジナは三人がいる木陰に顔を向け頷いた。

「あのアホ。こっち見やがって」

「仕方ありません」

「行きます」

 ムジナの視線に合わせて木陰に顔を向けた一つ目入道に向けて、三人は駆け寄った。

「でけえな」

 そばまで来ると、門野は一言目にそれを選んだ。登場した月が灯りで、一つ目入道の身体を染める。身の丈二メートル半といったところであろうか。全身が深い緑色をしている。その肌は水滴で濡れている一方、ぬめり気のある液体が所々流れていた。顔には中央よりやや上に大きな目が一つ。鼻筋、口の辺りは人間に似ている。耳がとがっており、頭部は河童を彷彿とさせた。

「人間。なんだ、お前たち」

「しばし待ちな」

 三人の前に正対する一つ目入道の前に霊獣が割り込む。

「霊獣。なぜ、ここに。人間を守るようにしている」

「そこにいるオサムに憑いている。それよりムジナを使って、松のしめ縄の件を探っているのはなぜだ」

「人間の肩を持つようになるとは、情けない。あれは必要なことだ。ここに人を招きよせるためにな」

「ちょっと待て。あの霊を使って、湖に引きづり込むとかって言ってんのか」

 啖呵を切る門野に一つ目入道がにらみを利かせる。

「ああ、そうだ」

「なぜでしょう」

 今度は弾正だ。

「餌にする」

 単刀直入な返答に門野は

「何言ってやがる。人間餌にして何になる」

「ああ? お前たちだって他の生物を食っているだろう。我が他の生物、例えば人間を食ったところで、お前たちのいう生態系だろ。何に問題がある」

「その考え方自体に問題があるわけではありません」

「おいおい、弾正さんそれは……」

「門野君、それはそうですよ。生物間の食物網はあくまで人間を頂点として、言い換えれば人間を食べる生物がいないという前提で作られています。が、こうして人間を食べると言っているんですから、その図式が変更されたところで、大いなる自然の中の循環です。問題はありません。食べられないように防備すればいいだけのことです。ただ……」

「ただ?」

「ならばなぜ、あのしめ縄なのでしょう」

「語る必要はない。あれが合理的だったからだ。あの霊は水辺に人を連れ込むことを望んでいた。その想いがあった。それで湖中に入った人間は俺がもらう。そう話した。だからあのしめ縄を切った」

 一つ目入道は、腰から碇を取り出した。いかにも鋭い刃のあるものだ。その刃で切れば、確かにあの断面図になるだろうと、弾正はしめ縄の切断面を思い出していた。

「なんか溜飲が下がらないな。霊獣お前はどうだ」

「オサム、珍しく同意だ。何だか腑に落ちない。こいつはこんなことを考える奴じゃなかったはずだなが」

「じゃあ、いっちょ矯正しねえか?」

「無論」

 その一言を合図に霊獣は一つ目入道に突進する。一つ目入道は碇を持ったまま、その霊獣を正面から抑えた。力比べが行われる。

「やるじゃないか。ええ。根性は曲がったが、力は曲がってはいないな」

「ぬかせ。手加減無用だ」

 一旦互いに距離をとるために後方へ下がり、間合いを詰める。

「オサム」

「なんだ?」

 霊獣の声がいつもよりもかなりシリアスに聞こえ、それだけで門野は実はピンチなのではと鼓動が動く。

「おかしい」

「何が?」

 霊獣は一つ目入道との一組で受け止めた感覚を伝えた。それは確かに身なりは一つ目入道だが、力の出所、底力が生身とは違っている。強引に増強された力を感じると。

「何だよそれ。妖怪がドーピングでもしたっていうのか」

「例えるならそんなところだ」

「てかよ、ドーピングって、科学的なもんだろ。妖怪がそんなもんに手を出すわけがないだろ」

「ああ、その通りだ。だから、《異人》の世界にだけ通用するようなドーピングが行われたんだろうな」

「んなことって……いや、それは後だ。霊獣。まだいけるか」

「当たりまえだ。見くびるなよ」

 霊獣は再び一つ目入道に突進、振るってくる碇を交わし、体当たりを見舞おうと何度も行ったり来たりを繰り返す。が、決定打になるような打撃に至らない。

「やるな」

「霊獣こそ」

 そんな荒い息をしている傍らで、

 バタ

 門野が倒れてしまった。

「門野」

「門野君」

 長木と弾正が近づく。弾正が門野の身を起こし顔色を窺う。ひどく憔悴しているような、疲労しているような色を見せていた。

「弾正さん、門野は……」

「恐らく、霊獣が戦っているためでしょう。いつもは短時間でしたから気にはなりませんでしたが、霊獣が憑いて、なおかつ戦っている。霊獣が活動に必要としているエネルギーの高揚や打撃の痛みが直接門野君に流れている、体感できるような体質になっているのでしょう」

「やはり長すぎたか」

 霊獣は一つ目入道から距離を測り、三人を足元に置く。

「弾正、オサムはどうだ」

「大丈夫です。ただ、今起こすのは」

「まずいか。弾正。こいつと対峙できるか」

「いや、僕一人ではさすがに」

「私もいます」

「長木君」

「門野が先陣を切ったのなら、次は私です。私も一員です」

「しかし、君の術はどちらかと言えば攻撃的ではない…」

 そんな否定的な弾正の止めを耳に止めることなく、長木は颯爽と一つ目入道に向かって駆け出していた。

「止めなさい。長木君。落ち着きなさい」

 弾正にしては珍しい声を荒げた制止も、長木が聞くことはなかった。

 長木は、欄干の霊を拘束したように、ブレスレットの直径を拡大して一つ目入道に投げつけた。一つ目入道の身を捕らえたのも一瞬、拘束したはずのパワーストーンを四方に弾き飛ばす。個々の石の玉を括っていた糸を強引に切ったのだ。

「それなら」

 もう一つのブレスレットを今度は地に放る。坂上を拘束した時のような円陣に変わる。進行先に築かれたそれは、一つ目入道が一歩を踏み入れた途端発動し、全身を硬直させる。

「よし。今度こそ」

 長木はチャンスとばかりに更に詰め寄ろうと駆ける。が

「危ない。まだ行ってはならない」

 弾正が二度目の叫び声を出す。

「え?」

 長木が弾正の声をとった瞬間、一つ目入道が我が力を振るって、円陣から歩み出て更には円陣を破壊してしまった。

「左足が入ってなかったんです」

 弾正は円陣に右足だけしか入っておらず拘束力としてはまだ甘く、下手をすれば一つ目入道が拘束を破るのではと予想し、声を荒げたのであった。そしてその予想は運悪く当たってしまった。

「小娘、よくも~」

 形勢逆転。一つ目入道が自分の間に長木を入れた。一方の長木は躊躇が挟まった分、身を整える暇をつくることができなくなっていた。

「まずい。引きなさい。長木君」

 それは遅い判断だった。一つ目入道は腕を払い、長木を吹き飛ばした。木の幹にもろにぶつかる長木は力なく根元に伏せった。

「長木君」

 思わず身を伸ばす弾正をそれ以上行かせない力が胸元にあった。はたとしてその力の元を見る。

「弾正さん……」

 門野だった。門野が腕に渾身の力を込めて、弾正の胸ぐらをつかんでいた。ケンカを売るためではない。それは弾正にはすぐ分かった。立ち上がろうとしていたのだ。

「長木を、長木の所に行ってください。あいつを治療して……」

「ダメだ。君も動いては。ここはいったん引くしかない」

「弾正さん……。分かったよ。何とか俺は一人で立てそうだ。だから、長木を先に診てやってくれ。スゲー音立ててぶつかったんだ、意識がねえだろうからな。担いでやってください」

「分かった。それなら」

 弾正は紙人形を左の掌に置くとまた息を吹きかけた。直立するそれは一体ではなかった。

「行け」

 数十枚の人型の紙が一つ目入道を取り囲むように、旋回する。それに惑わされるように、鬱陶しがるように一つ目入道は振り払おうとする。

「さあ、今のうちに。少しはもちそうだ。木に伝いに歩けば、幾分楽だろう」

 弾正は長木を起こす。彼女は意識を失っていた。負ぶってから

「さあ、行こう」

と門野の方を見た。そこにいたはずの門野がいない。

「門野君」

 視界を躍らせる。焦点があった。門野は紙人形に弄ばれている一つ目入道の正面に立っていた。

「門野君! 何してる。引くんだ」

 弾正のその一瞬のせいか、紙人形の動きが鈍くなった。一つ目入道はそれを見逃すことはなく、身をよじって風を巻き起こし、紙人形をすべて蹴散らしてしまった。必然、一つ目入道の眼光は鋭く一人に絞られる。門野である。

「またお前か」

「……」

「ふん。立っているのもやっとか、あるいは威勢良くは見せているが、やはり臆しているのか」

「……」

 なおも門野は無言を通している。肩で息をしながら。

「ならば、一思いに」

 一つ目入道はその碇を振りかぶり、門野の頭めがけて勢いよく下ろした。

「何やってんだ」

 ようやく開いた門野の口はそんなことを呟いた。

「何を今さら言っておる」

 加速度を増して碇が振ってくる。それでも

「何やってんだって聞いてんだよ!」

 門野は事もあろうか、その碇を真正面にして、ぶつかる直前にグーパンチで薙ぎ払ってしまった。

「な……門野……君」

 それを見ていた弾正が驚愕の言葉を漏らす。

「こしゃくなぁ、人間のくせに」

 再び振り下ろす碇を前にしても門野は動じない。

「そういうのがうるせぇって言ってんだよ」

 そして、またしても鈍く光るそれを薙ぎ払った。それは一つ目入道をして、怒りという油に火を注ぐに足るものだった。何せ、一つ目入道はその言から窺えるように人間を見下している。その人間が自身の攻撃を、しかも素手で返したのである。これは一つ目入道にしてみれば屈辱のしるしであり、それは全く喜ばしくない記録であった。

 三度目、碇を振り下ろすために掲げる。

「おい」

 門野はそれでも動じず問う。

「もう一度だけ聞く。お前何やってんだよ」

「言わずもがな、恨み返しだ」

「ああ?」

「言うのもはばかれる。人間の所業は目に余るもの。だから我が自然の摂理に則って、人間が顧みるよう行動しているのだ」

「んでよ、そのオエライ活動のどこに長木をブッ飛ばしていい何て条文があるんだよ」

「そやつが我の邪魔をするからだ。お前だってそうだ。黙って我の邪魔をせねば痛みなど感じなくてもよいものを」

「そうかい。でもよ、お前は邪魔しねえような人間まで食っちまおうとしてんだよなぁ。結局、お前が好き勝手やってるだけじゃねえか」

「黙れ。人間如きに我らが自然界の力を象徴する存在の気持ちなど分かるはずがない」

「分からねえよ、そりゃ。そんなちんけな考えは特にな」

「黙れと言っている。そこで伏せっておれ」

 碇を構える一つ目入道に向かって

「眠っている霊を使って、一匹のムジナを恐怖で操作して、『我らが』だあ? 『ら』てどこのどいつだよ。勝手に仲間つくって責任転嫁してんじゃねえよ。それによ、何より気に食わねえのはな、長木をブッ飛ばしたことだよ。分かってるよ。この仕事が危ねえことだって。こんな現場だ。怪我どころか命がけさ。長木と話なんて、最近ようやく始めたばっかりでよ、こいつがどんな奴かなんて本当はちっとも知っちゃいないかもしれない。ただこいつがとんでもねえものを背負っているのは分かる。女子だぜ。お前みたいのが怖くないわけねえんだよ。怖ええのによ、こいつは立ち向かおうとしてんだ。それをなんだ、人間を食う? 人間が気に食わねえ。ああ、俺にだっているさ気に食わねえ人間、でも妖怪には絶対いねえのかよ、気に食わねえのがよ。俺が妖怪気に食わねえつって、手当たり次第にぶちのめしてもいいっつうわけか。違うよな。お前にはそんな理屈もない。ただ自分を憐れんで人間のせいにしてんだよ。なめんなよ。お前の言う自然界の摂理ってのは、そんなに脆弱なもんじゃねえんだよ」

 長い啖呵を切る。

「黙れ! お前には分からんことだ!」

 今まで以上のスピードで碇が門野に向かってくる。

「それによ、やっぱりチームメイトが傷ついたら倍返しだよな!」

 その碇に向けてやはり、拳で応戦しようと突き出す。

「ダメだ! 肉体が破壊されるぞ!」

 弾正の声はもはや聞こえない。気合一線。門野は引かない。

 バリバリバリバリ、シューン、ギューン、シャー。

 闇を裂く、光のウェーブがそんな音をするのではないかというような音が、門野の背後からしたかと思ったら、霊獣が勢いよく飛び出してきた。しかもそれは通常ではない。金色の靄を体の周りに漂わせ、首、四足に円形の陣が巻かれてあった。霊獣は一線、一つ目入道の碇を振り払い、勢いそのままに体当たりし、一つ目入道の手足を四足で押さえつけた。

「終わりだ」

 霊獣はそういうと頭を一つ目入道の首に突き立てた。途端、金色がさらに強い光となって辺りを覆った。それは長い時間ではなかったが、あまりのまぶしさに目が暗闇に慣れるまで随分と時間が過ぎた。

 弾正がようやく視界が開けて見たものは、いつも通りの霊獣とその現前で茫然自失としている一つ目入道。そして、卒倒している門野の姿だった。

「門野君!」

 長木を負ぶったまま、門野の所まで駆ける。門野はひどくグッタリしていた。

「霊獣。これは……」

「説明は後だ。オサムと長木を連れて一旦戻るぞ」

「ええ、それは構いませんが。一つ目入道は……」

「逃げはしないさ。ただ起きたことの整理がついてないだけだ。それより」

「ええ、そうですね。協力してもらえますか」

 林の外の車道まで弾正が長木を背負い、霊獣が門野を背に乗せて出て来た。まもなくサイレンも点灯もない救急車が到着。弾正が段取ったのだ。薄暗い車道をそれは静かにそれでいてそれなりのスピードですべっていた。湖畔がやたらに静かだと、しばらく経って一つ目入道は我に返った。

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