第12話 弟

 長木には弟がいた。ノウラと言う。四つ年下で、今年度から中学に上がるはずだった。

 母の運転する車で褻比夷市郊外のお寺へ向かう。父が眠る墓を参るためである。中学の制服を身にまとった姿を見せに行ったのだ。父が亡くなって早十年。母は一人で子二人を育ててきた。職場復帰もする。制服を着るというのが年月の長さとともに、子供の成長を知らせるものであり、そうした記念であれば父に知らせておこうというものであった。

 その帰り道。遠出をしたこともあり、ドライブがてらおいしい物でも摂ろうなどと話をしている時のことだった。運転している母の様子がおかしくなった。声の質が変わり、どこに向かって運転しているのか分からなくなっていた。まるで何者かに操られているようだった。長木は嫌な予感を持った。車は荒れ地で停まった。母はそこでハンドルに伏せてしまった。母を起こそうと車外へ出、運転席のドアを開ける。呼びかけ、揺さぶってみたりしてようやく母は目を覚ました。

「何?……ここ……どこ……?」

 戸惑いの色が声に表れていた。長木は辺りを見渡して背筋が寒くなる思いがした。朽ちた神社の境内。鳥居は崩れ、狛犬は、台座を残し姿がなかった。小さな社には蔓が絡まっている。

 ――ここはまずい

 直感が告げていた。卜部の神社とはまるで異なる。陰湿で禍々しい気配さえもする。長木の懸念が杞憂となることはなかった。

「アンジュ! 後ろ!」

 母の声で振り向くより先に長木は襟首を掴まれ後方に飛ばされてしまった。雑草が生い茂っているとはいえ、それらがクッションの役割となるわけはなく、地面にたたきつけられた背中に激痛が走った。それに耐え、身を起こし自動車に目を向ける。全長が十メートルはあろうかという大きさの影があった。四足で闊歩する姿は犬のようにも、狐のようにも、また別の生物のように見えた。

 ――《異人》だ

 鈍い黄色をした目が長木をにらんだ。思わず身がすくむ。これほどまでの妖気・霊気は感じたことがなかった。そいつは車内に顔を向け、運転席で震える母の口に咥えると、勢いよく車外へ放り出した。長木は飛ばされた方向へ駆け、落ちてくる母の身を支えた。さらにそいつは車内を物色するように自動車の周りをゆっくりと旋回し、獲物を見つけたようにして立ち止まった。

「逃げて!」

 長木の叫びを後押しにして、ノウラはそいつがいるのとは反対側のドアを開け、駆け出した。そいつは不敵な笑みを口元に浮かべると、一足飛びで車を飛び越え、さらにその前足で弟を地面に踏みつけた。大きく開いた口を彼の顔に近づける。

「止めろ!」

 長木はそいつに向かっていく。拳をぶつける。しかし如何せん女子の力である。腕力にしてみれば、《異人》(今回のそいつは、アヤカシの類か)をなぎ倒す力はない。しかし、彼女の手にはパワーストーンがある。その力(悪霊を払うとか、清めるとかいった)だろうか、そいつは渋い顔をつくると、少しばかり後退の跳躍をした。

「人間如きが調子に乗るなよ」

 そいつの声はおぞましさをさらに加速させる。

 ――怖い

 しかし、そうは言ってられない。

 ――逃げよう。でもどうやって……

 迷いが一瞬そいつに身を整える猶予となってしまった。そいつはノウラに再び覆いかぶさり、口に咥えて飛行して消え去ってしまった。

 それを呆然自失としてしか見ることが、母にもそして長木にもできなかった。

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