第3話

 どれほどの時間が経っただろうか。

 

 巣穴に朝日が差し込む頃、そこには完全な静寂が広がっていた。


 リオンは、積み上がった数十体のゴブリンの死体の山の上に、一人静かに立っていた。


 全身が返り血で赤黒く染まり、息は激しく上下している。だが、その黒い瞳は、前世の彼とは比べ物にならないほど力強く、そして、氷のように冷たい光を宿していた。



 夜が明けきり、村に朝の光が満ちる頃、一人の少年が森の入り口から姿を現した。


 ゴブリンの返り血と泥に汚れ、服はところどころ引き裂かれている。


 その姿は満身創痍のはずなのに、足取りに一切の乱れはない。


 まるで、己の庭を散歩でもするかのような、奇妙なほど落ち着き払った歩みだった。


「……リオン!」


 徹夜で息子を探していた父が、その姿を最初に見つけた。駆け寄り、その小さな体を力強く抱きしめる。遅れてやってきた母も、息子の無事な姿に泣き崩れた。


「よかった……本当によかった……!」

「ああ、リオン……!」


 両親の温もりに包まれ、リオンの体が微かにこわばる。


 懐かしいはずの温もりなのに、どこか遠い世界の出来事のように感じられた。


(嬉しいはずなのに。安心するはずなのに。どうして、何も感じないんだ……?)


 その瞳からかつての怯えは消えていたが、代わりに宿っていたのは、氷のような光と、自分自身への深い戸惑いだった。


「リオン!」


 息を切らして駆けつけてきたのは、幼馴染のセリアだった。彼の姿を見るなり、その場にへたり込んで泣きじゃくる。


「よかった……生きてたんだね……! 心配、したんだから……!」


「……ジークに、ゴブリンの巣へ突き落とされた」


 感情を押し殺し、絞り出すように告げられた言葉。その子供らしからぬ声音が、かえって事の異常さを際立たせ、大人たちの怒りに火をつけた。



 村人たちの怒りは、領主の館へと向かった。


 リオンの父を先頭に、村の男たちが領主へ詰め寄る。しかし、豪華な椅子にふんぞり返った領主は、彼らを鼻であしらった。


「下民の戯言に付き合う時間はない。失せろ」


「戯言などではありますまい! 我が息子は、あなたの息子に殺されかけたんですよ!」


 父の悲痛な叫びも、領主には届かない。そこへ、当事者であるジークが、欠伸をしながらのっそりと現れた。


「なんだよ、朝から騒々しいな。……ああ、リオンじゃねえか。生きてたのか、しぶといな」


「ジーク様! あなたがリオンをゴブリンの巣へ!」


「は? なに言ってんだよ、おっさん。全部そいつの嘘っぱちに決まってんだろ」


 ジークは悪びれる様子もなく、リオンを指差して嘲笑う。


「平民の分際で僕を陥れようとするなんて、万死に値するぜ。なあ、父さん」


「その通りだ。身の程をわきまえろ、下郎ども」


 そのあまりに卑劣な態度に、村人たちは怒りに震える。


 絶対的な権力の前では、拳を握りしめることしかできない。


 リオンは、唇を噛み締め、血が滲むほど拳を握る父の姿を、ただ静かに見ていた。


(まただ。前世と何も変わらない。弱い者は、強い者にただ奪われるだけ)


 しかし、とリオンは思う。今の自分は、本当に「弱い」のだろうか。


 ゴブリンの巣で得た、あの万能感。体の奥底で静かに渦巻く、未知の力。


 リオンは、ゆっくりと一歩前に出た。誰もが諦め、うつむいていたその場で、彼の小さな背筋だけが、まっすぐに伸びていた。


「決闘を申し込みます、ジーク様」


 凛とした、しかし感情の温度を感じさせない声が、その場に響いた。声の主は、リオンだった。


 一瞬の静寂の後、場は騒然となる。


「リオン! お前、何を言って……!」


 父が慌てて止めようとするが、リオンは振り向かない。


 ジークは一瞬きょとんとした後、腹を抱えて大笑いした。


「ヒャハハハ! おい、聞いたかよみんな! このゴミが、この僕に決闘を申し込むだとさ!」


「ジーク様は天才魔道士なんだぞ! 強力な炎の魔法が使えるんだ!」

「お前みたいな貧乏人に勝ち目なんかねえよ!」


 取り巻きたちが囃し立て、村人たちの顔に絶望の色がさらに濃く浮かぶ。


 侮蔑と、面白い玩具を見つけたかのような残虐な喜びに満ちた瞳で、ジークはリオンを睨みつける。


「いいぜ、面白い。その決闘、受けてやる。ただし、条件がある。僕が勝ったら、お前は一生僕の奴隷だ。いいね? 平民に拒否権はねえぞ?」


「……あなたが勝てば、の話です」


 リオンはまるで意に介さず、氷のような瞳でジークを真っ直ぐに見据える。


「では、僕が勝った場合は、あなたの悪事を全て認めた上で、僕とセリア、そして村の皆さんに土下座をして謝罪していただきます」


 ジークも領主も、自分たちが負ける可能性など微塵も考えていないと言わんばかりに、顎を上げ見下す様に承諾した。



 舞台は、領主の館に併設された訓練場。


 村人たちが固唾をのんで見守る中、豪華な仕立て服に身を包み、自信満々の笑みを浮かべるジークと、村の服のまま、剣を携えたリオンが、静かに対峙していた。


 ジークの瞳には、リオンへの侮蔑と、獲物を嬲るかのような残虐な喜びが浮かんでいる。


 領主が二人の間に立ち、尊大な態度で決闘のルールを宣言する。


「この決闘は、この私、バート・フォン・アドラーが審判を務める。武器の使用、魔法の使用、共に制限はない。我が息子ジークは寛大だからな、貴様のような下民にも全力を出す機会を与えてやろう」


 その言葉は、リオンが魔法を使えないことを知った上での、明らかな挑発だった。


「勝敗は、一方が降参するか、戦闘不能になった時点で決する」


 ジークはリオンを見据えふっと口角を釣り上げた。


「……もっとも、貴様が降参を口にする前に、再起不能になるのがオチだろうがな」


 ジークの言葉に領主が蔑みの笑みを浮かべた。


 そして、大きく息を吸い込み、高らかに叫んだ。


「始めッ!」

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