第17話 最終決選・一対一「生活の温度」

 朝のアプリが、目覚ましより少し早く震えた。

《最終決選:一対一「生活の温度」》

《形式:一日で“いつも通り”を再現(観客参加型)/評価:誠実・持続・公共性・未来》

《チェックポイント:①沈黙の時間(公開版10分)②「片付けから」③“待てる”の設計(不在の許可)④終日ログ(言い訳のない記録)》

《現在LAP:1,044pt(暫定2位)》


(今日、装飾は要らない。結果より、手順。一日かけてそれを置いてくる)


 校門前の広場は、土曜日の朝らしく少し眠そうで、それでも人が集まり始めていた。講堂前には二つのエリアが並んでいる。右は鷹宮怜央ゾーン——導線図と手すりの模型、係の札が整然と並ぶ。左は崎津英樹ゾーン——小さな机と椅子、ホワイトボード、写真パネル、そして静けさを受け止める席。


 開会十分前。

 白亜莉玖が、配布用の小さなカードを持ってくる。カードには「“不在の許可”テンプレート」とだけ書いてある。

「英樹くん、受付の前後は私が回します。沈黙の合図は28分ではなく10分版に合わせて“8分で本を閉じる動作”に変更」

「了解。2分は目を閉じる、“ありがとう”を一つ数える」

 真壁茉凛は走ってきて、指で丸を作った。

「ステージ脇の荷物置き場、動線確保済み。忘れ物カゴ置いた。——ドヤ顔封印、継続」

「助かる」

 斑鳩澪音はタブレットを掲げ、短く。

「観客参加ログ、三択で記録。『安心だった/ふつう/少し違う』。**“やめた欄”**も最初から用意。比喩一回・擬態語ゼロは公式ルール通り」

「了解。最後まで守る」

 狛井迅が両手を広げる。

「俺、**ありがとう窓口の“呼び込み”**やる! “ありがとう”って言いたい人、こっちだよー! ……小声で」

「よくできました」


 開始の合図は、怜央の透明な声だった。

「一日、いつも通りを置きましょう。——始めます」


 * * *


 午前の部:沈黙の公開(10分)。

 俺たちの席は四人掛け。俺と莉玖、体験希望の二人が座る。澪音がタイマーを開始し、合図は無い。8分のところで、俺はゆっくり“本を閉じる動作”だけを空中でなぞり、2分、目を閉じる。

 空気が少しだけ重く、でもやわらかい。椅子のきしみ、紙の擦れる気配、遠くの笑い声。

 終わると、ホワイトボードに一行を書いてもらう。

「『声を減らしても、いっしょにいられる』(1年・女子)」

「『急がないで済む約束は、体に優しい』(2年・男子)」

 莉玖がカードを手渡す。「“不在の許可”テンプレート。使うかどうかはあなたが決めてください」

 体験者の一人が首をかしげた。

「“待てる”って、今すぐ役に立つの?」

「今すぐじゃないけど、明日必ず助かる。だから今日、練習する」

 俺は余計な説明を足さず、窓口を指し示す。ありがとうの窓口へは、迅が静かに道を開けている。


 向こうの怜央ゾーンでは、混雑導線の実演が始まっていた。仮設の通路に色の違うテープ、案内札の高さを揃える作業、手話の「ありがとう」を教えるミニ講座。“揃えることも速さ”——何度聞いても筋が通る。

(同じ方向を見ている。みんなのためと一人のためが、互いの背中を押し合ってる)


 中間質問コーナー。

 観客席から手が上がる。

「“不在の許可”って、本当に渡すの?」

「渡す。要求ではなく宣言。『俺は待つ練習を受け持つ』って」

「“やめた欄”って、書くと恥ずかしくない?」

「恥ずかしい。でも、続けるためにやめるのは負けじゃない。戻ってくる場所を作るための記録」

 俺の説明は短い。長くしないことが、今日は正しさだと分かっていた。


 * * *


 午前後半:前後の公開。

 講堂前のベンチで、紙コップが風に転がる。茉凛がすっと拾って、黙ってゴミ袋へ。俺は落ち葉の溜まる角に手を伸ばし、莉玖は段差の黄色テープの端を整える。

 通りがかった下級生の女の子が、俺の手元を見て言う。

「それ、誰の得?」

「次の人」

 女の子は一秒だけ考えて、うなずいた。

「やる」

 袋を支えると、彼女は笑って紙コップを落とした。ありがとう窓口へ向かうと、迅が小さく手話の「ありがとう」を教えていた。


 昼の中間発表。

 スコアボードが一度だけ更新される。

《午前の集計(暫定)》


沈黙公開(10分×3回):誠実 +18/持続 +12


前後の公開(ベンチ清掃・段差テープ・落ち葉回収):公共性 +15


不在の許可配布(カード):未来 +10


参加ログ回収(安心68%/ふつう27%/少し違う5%):継続性 +8

午前合計:+63


(焦らない。午後が本番だ)


 怜央と通路で目が合う。

「午後、雨が来るかも。段差の見える化、もう一段強くしよう」

「こっちは沈黙の回を一回屋内へ。**“やめた欄”**の話も入れる」

「良いね。——**最後に“未来の一行”**を残そう」

「ああ」


 * * *


 午後:雨と段取り。

 予報通り、細かい雨が落ち始めた。路面の色が変わる。滑る段差が増える。

 俺はカッパのフードをかぶり、テープとポスターを持って走る。

「右側スロープ優先! 段差二段目が低いです!」

 声量は必要最低限。並走するように、怜央のチームがコーンと簡易手すりを置いていく。

 小さな子どもを連れた母親が、濡れたベビーカーを押しながら困っていた。

「先どうぞ」

 俺は列を譲り、後ろに下がる。間に入ろうとした男子には、“謝罪の窓口”の札を指し示す。怜央がすかさず柔らかい声でフォローした。

「ありがとうの窓口は右手、謝罪はこちら。列はそのままお願いします」

 列が波立たずに収まる。

 澪音が横で短く言う。

「“待たせない準備”と“待てる練習”、相互運用。——ログ、取れた」

「頼んだ」


 公開沈黙(雨天版10分)は、屋内の教室で行った。

 外の雨音が、ちょうどいい余白になる。8分で本を閉じる動作。2分は目を閉じて“ありがとう”を一つ心で数える。

 終わってから、俺は**“やめた欄”を示した。

「今日は、即レスをやめて**ここに座りに来た人がいる。赤い付箋に書いていい。戻る場所のために」

 躊躇していた三年生が、そっと赤い付箋に「即レス」と書いて貼った。

 彼は照れたように笑って言った。

「戻ってくる場所、あると安心するな」

「安心だけ増えるのが、俺の狙いだ」


 ありがとう窓口は午後に入ってから忙しくなった。

 迅が受け取った言葉を、短い付箋に写していく。

「『列を譲ってくれて助かった』」「『段差にテープがあって安心した』」「『落とし物がすぐ見つかった』」

 付箋は見える化ボードに貼られ、感謝の導線が形になる。

「英樹、“感謝の窓口”が渋滞しないように、二段目作っといた」

「二段目?」

「オンライン目安箱。後でアプリに入れる用のQR。ありがとうが溢れても戻れる場所」

「天才か、お前」

「落とし物案内長は伊達じゃない」


 * * *


 夕方:未来の一行。

 雨がやみ、雲がほどけた。光が薄く差し始める。

 怜央と俺は講堂前の欄干に、ひとつの紙を並べて立った。各自の“未来の一行”を、写真+一言として残す時間だ。

 俺は結び目の写真パネルを手にし、レンズを少し下げる。背景の玉が、遠くの灯りで柔らかく滲む。

 指が迷わないように、短く打つ。


『“待てる”を持ち寄れる街にする。

明日も、結果より手順。』


 送信。

 怜央は隣で、段差に貼ったテープの端を指で押さえ、一行を打った。


『笑顔までの段差に、手すりを足す。

先に片付けるを、標準に。』


 どちらの言葉にも、誰かの顔が具体的に浮かぶ。それで十分だった。


 最後の公開Q&A。

 観客席の一番後ろから、控えめな手。家族で来ていた母親だ。

「**“待てる”って、子どもにもできる?」

「できます。秒で測れる練習から始める。10秒だけ待つ。次は20秒。できたら一緒に“ありがとう”を一つ数える」

 怜央が続ける。

「段取り側は、待たせない工夫を増やします。ベビーカーの導線、段差のテープ、休めるベンチ。両輪で行きましょう」

 母親は「ありがとう」と言って、ありがとう窓口に向かった。迅が小声で「こっちです」と手話を添えていた。


 * * *


 撤収:片付けから。

 日が落ちるのを待たず、俺たちは前後の後に取りかかった。

 茉凛が無言で椅子の角をそろえ、落とし物カゴの中身を一つずつ確認して分類する。

 莉玖は段差テープの剥離を、糊跡を残さない角度で続ける。

 澪音はログの最終確認。「安心だった」68→72%に上昇。「少し違う」は5→6%に微増——改善余地として記録。

 迅は最後の最後、ありがとうボードの付箋をまとめ、オンライン目安箱に順次転記していく。

 俺は結び目の紐をほどき、次に使うために巻き直す。誰の手か分からないままに。


 片付けが終わると、講堂の前に小さな輪ができた。怜央が俺の方を見て、いつもの笑顔を半分だけにする。

「生活の温度、置けたね」

「ああ。一日分、ちゃんと」

「最終発表は——明朝」

「了解。沈黙5分、しておこう」

 俺たちは、輪から少し離れて、沈黙5分。

 合図は作らない。否定の合図だけ。

 終わると、怜央が小さく言った。

「正しく競ってくれて、ありがとう」

「こっちこそ」


 解散の前に、莉玖が俺の袖をそっと引く。

「英樹くん。“不在の許可”、明日の朝は家の用事があるので、返信遅くなります」

「了解。待つ練習」

 茉凛が横から顔を出す。

「封印、発表まで続行」

「無理すんな」

「続けるって言ったもん」

 澪音がタブレットを閉じる。

「比喩一回・擬態語ゼロ、遵守。今日の比喩は**『手すり』と『待てる』**、それで足りた」

「十分だった」

 迅が両手を広げて深呼吸。

「拍手の筋肉、育った気がする!」

「おつかれ」


 * * *


 夜。家の机の前で、今日の終日ログを整理する。

 チェックだけの沈黙欄に、丸を三つ。

 **“やめた欄”**に、俺は小さく一つ書き足した。

『今日だけ“即レス”をやめた(沈黙の公開のため)』

 そして、未来の一行をもう一度、手帳の隅に書く。

『明日も、結果より手順』


 ベッドに入る前、アプリが暫定集計を落とした。

《最終決選(当日)・暫定集計》


沈黙公開(10分×5回/屋外2・屋内3):誠実 +20/持続 +20


前後の公開(清掃・テープ・動線整備):公共性 +24


不在の許可(配布・説明・実施):未来 +18


“やめた欄”の明示(即レスの抑制・復帰案の提示):持続 +12


感謝の導線(窓口・板・オンライン目安箱):公共性 +16


参加ログの改善(安心72%/ふつう22%/少し違う6%):持続 +10

本日仮合計:+120

《LAP:1,044 → 1,164pt/暫定順位:1位タイ》


(並んだ。——最後は、明朝の公開講評で決まる)


 スマホがもう一度だけ震えた。

鷹宮怜央:

『明日、正しく受け取りに行こう』

崎津:

『正しく受け取りに行こう』

白亜莉玖:

『“待てる”は味方です。おやすみ』

真壁茉凛:

『封印、継続中。おやすみ』

斑鳩澪音:

『比喩一回、擬態語ゼロ。おやすみ』

狛井迅:

『拍手も寝る。おやすみ』


 画面を伏せ、暗闇の中で拳を握り、もう片方の手で包む。手を離さない練習。

 明朝、結論が出る。

 それでも、やることは一つだ。

 明日も、結果より手順。

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