第16話 相互実演、本番—他人の旗を正しく振る

 講堂の空気は、朝の冷えをそのまま飲み込んでいた。金具の匂い、幕の重さ、照明の熱。

 アプリの通知が小さく点る。

《最終ステージ:相互実演・本番》

《ルール:AはBの証拠を、BはAの証拠を説明/引用は一行以内/比喩は一回/擬態語ゼロ》

《評価:誠実・継続性・公共性・相互理解》

《現在LAP:954pt(暫定3位)》


(今日、俺は——鷹宮怜央の旗を俺の言葉で振る。怜央は、俺の“続ける”を怜央の言葉で立たせる)


 舞台袖。

 白亜莉玖が短く息を整えて、俺の袖をつまむ。

「語順、忘れないでください。結論→段取り→全体像」

「ああ」

「沈黙に倒れても、待てるが味方です」

 真壁茉凛はバインダーを脇に抱え、手の甲で親指を立てた。

「前は任せて。椅子の角度、通路、荷物の置き場、全部揃えた。後もやる。忘れ物、ゼロにする」

「頼んだ」

 斑鳩澪音はタブレットのタイマーを見せる。

「比喩一回。引用一行。擬態語ゼロ。

 ——**『安心だけ増やす=待てるが増える』を核に。“手すり”**は怜央側の比喩、明示して一回」

「了解」

 狛井迅は袖で息を止めるジェスチャー。「俺は空気。拍手の間は作るけど音は出さない」

「最高の空気になれ」


 榊原の声が、幕の向こうで低く響く。

「相互実演を開始する。他人の旗を正しく振れ」


 最初に呼ばれたのは俺だった。

「発表者、崎津英樹。——鷹宮怜央の証拠を説明」


 スポットが上がる。

 足音を一つだけ置いて、マイクの前に立つ。

 結論から言う。

「『みんなが待てるように、待たせない準備を標準にする』。

 これが、鷹宮怜央の“続ける計画”です」

 スクリーンに、導線図が現れる。

「段取りは四つ。

 一、混雑の導線を事前に描く。

 二、係の配置を“目の高さ”で揃える。

 三、緊急時の手順をカードで標準化する。

 四、合図の共有——たとえば手話の『ありがとう』」

 ここまで、息が揺れない。

 全体像に降ろす。

「この段取りは、個々の善意ではなく標準で回るように作られている。標準が増えるほど、笑顔までの段差に“手すり”が増える——(比喩、引用先=鷹宮)」

 会場に軽い頷きが伝播する。

「公共性は“誰かのため”ではなく**“全員のため”として設計されている。

 先に片付ける人の労力は見える化され、交代可能に設計。——英雄化しない。だから続く**」

 スライドの最後に、一枚だけ紙を出した。

 そこには「ありがとうの窓口」と書かれ、受付の場所と時間が明示されている。

「感謝の導線まで段取りに入れる。これが、続けるための準備です」


 深呼吸を一つ。

「——質疑を」


 最前列の女子。

「“先に片付ける人”が燃え尽きたら?」

「交代表と休憩の固定。**『誰が何分どこにいたか』**を記録し、感謝の窓口を通す。役割の分散が前提。英雄は作らない」


 教師席の手。

「家族や来訪者への配慮は?」

「“外の目線”で表示を二段に。漢字+ふりがな、案内図の色弱対応。“校内語”で喋らない」


 最後に、後方の男子。

「**“待たせない準備”**が完璧じゃないときは?」

「不完全を許容する段取りにする。遅延時メッセージのテンプレートを用意、謝罪の窓口を一つに集約。誤差が戻ってこれる場所を先に用意する」


 言い終えると、講堂の空気がわずかにほどけた。

 俺は一礼し、袖に下がる。

 戻る途中で怜央とすれ違う。短く、掌を合わせた。

「正確だった。ありがとう」

「正確に話せた。次は頼む」


 * * *


 舞台に怜央が立つ。

 彼はスライドのリモコンを持たず、まず手ぶらでマイクに向かった。

「——手順から話す。

 “沈黙30分”。28分で本を閉じる合図。2分は目を閉じる。終わったら、“ありがとう”を一つ心で数える」

 スクリーンに映るのは、チェックだけが並ぶ沈黙ログ。コメント欄は、空白。

「意味を置く。

 『約束は叶えるより、続ける。だから見せるのは、結果より手順』——(引用一行、出典=崎津)。

 『安心だけ増やす=待てるが増える』。これも、彼の核だ」

 次のスライドには、『片付けから』の結び目の写真。

「未来を描く。

 月に一度、“片付けから”の写真を残す。誰の手かわからない結び目が、公共の時間へ続いていく。

 境界は紙に落とす。22時以降は連絡しない。返信は24時間“目安”。“不在の許可”——『了解。待つ練習します』」

 怜央は一拍おいて、客席へ向けて短い実演を提案した。

「60秒だけ、僕とここで沈黙してほしい。

 合図は作らない。否定の合図だけ——僕が手のひらを裏返す。それは“合図を作らない合図”だ」

 講堂が静かになる。

 彼は20秒で手のひらを裏返し、そのまま何も足さず、60秒を淡々と通過させた。

 終わった瞬間、彼は言った。

「“待てる”の練習は、相手が誰かに付属しない。自分の中に残る。

 だから複製できる。相互に持ち寄れる」

 拍手が起きた。間が正確で、音は揃っている。迅が袖で作ってくれた拍手の窓だ。


 Q&A。

 前列の女子。

「“不在の許可”って、相手に甘えじゃない?」

「許可は相手に渡すものではなく、自分が“待つ練習を受け持つ”宣言です。要求ではなく、配慮」

 教師席。

「“やめた”は?」

「“続けるためにやめる”を記録する欄を最初から作る。例:即レスをやめた。赤い付箋が悪者にならない設計」

 後方の男子。

「“沈黙”って、ただの仲良しアピールじゃ?」

「違う。“言葉を増やさない”意思決定は相手の自由のためにある。早口の安心より、遅い安心を選ぶ訓練」

 怜央は一礼し、袖に戻ってきた。

 すれ違いざま、彼は笑った。

「君の地図、ちゃんと案内できた」

「お前の家、ちゃんと掃除してきた」

「表現が君らしい」

「そっちもな」


 * * *


 審査の間、講堂の照明がひとつ落ちて、客席にざわめきが薄く散った。

 俺たちは袖で短く集まる。

 莉玖が小声で言う。

「“説明される不安”、ありませんでした?」

「少し。でも、預けて良かったと思えた」

 茉凛は深く頷く。

「前後は完璧。忘れ物ゼロ。封印も続行」

「よく耐えた」

「優勝したら一回だけ解除させろ」

「検討する」

 澪音はタブレットの端を指で叩く。

「相互理解の点、入る。“語順の交換”が美しかった。——間も良い」

 迅は息を吐いて胸を張る。

「俺の仕事は拍手の窓を作ること。完遂!」

「最高の空気だった」


 照明が戻る。舞台中央に榊原。

「発表する。相互実演・本番の評価——」

 瞬間、喉が乾く。

「鷹宮怜央:誠実+30/公共性+25/相互理解+20/継続性+10=+85

 崎津英樹:誠実+35/継続性+25/公共性+10/相互理解+20=+90

 ——両名、最終決選へ進出」

 拍手。視界が少し揺れた。勝ち負けではなく、通過の音だ。

 アプリが震える。

《相互実演・本番 集計》


他者説明の誠実:+35


継続性(空白の証拠の提示・複製性の立証):+25


公共性(段取りの翻訳・“前後”の実演):+10


相互理解(語順の交換・沈黙の共同):+20

合計:+90

《LAP:954 → 1,044pt/暫定順位:2位》


(——二位。肩にのしかかっていた何かが、ようやく形を持った。届きうる距離になった)


 舞台裏の通路で、怜央が待っていた。

「正しく競おう」

「最後まで」

 拳を軽くぶつける。

 その時、アプリがさらなる通知を落とす。

《最終決選:一対一“生活の温度”/内容:“結果ではなく、手順を一日で再現”/観客参加型/評価:誠実・持続・公共性・未来》

(最後は、一日で、いつも通りを再現するのか。出来事を飾らず、生活を置く)


 袖から出ると、通路の端で莉玖が待っていた。

「二位、おめでとう。“預ける勇気”、好きです」

「ありがとう。……来週の沈黙、いつも通りで」

「28分で本を閉じて、2分は目を閉じる。“ありがとう”を一つ数える」

 茉凛が合流して、口角だけで笑う。

「封印、続行。決選の日まで」

「無理はするな」

「無理は続かない。私は続けるほうを選ぶ」

 澪音はタブレットを閉じ、目を細める。

「“比喩一回、擬態語ゼロ”、最後まで守った。——次は**“未来の温度”を見せる番」

 迅は両手を広げ、肩で息をした。

「俺、明日から拍手の筋トレ**する」

「必要あるのか」

「ある(気持ちの問題)」


 講堂を出ると、冬の日射しが玄関の床に薄く伸びている。

 俺は踵を返し、掲示板の隅に貼られた**「忘れ物のお知らせ」の紙を見た。

 そこには、マフラー一枚の写真と「ありがとう窓口でお預かりしています」の文字。

 怜央の段取りが、もう標準**になっている。

 胸の内側で、小さな熱が灯った。

(他人の旗を振った手で、自分の旗をもう一度握る。

 結果より、手順。

 最後の一日も、手を離さない練習から始める)

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