第5話 校外デートウィーク、選び抜いた素直さを連れ出す

週明けの朝、アプリが派手に花火を上げた。


《イベント開幕:校外デートウィーク(指令付き)》


《概要:3日間で3つの指令を達成せよ。校外でのマナー・安全配慮・相手理解を評価》


《現在LAP:228pt(22位)》




(校内だけでも心拍が持たないのに、外に持ち出すのかよ……!)




 教室に入ると、狛井迅が勝手に演台に立って宣言する。


「諸君! 外は自己責任! だが俺のギャグだけは責任を持って自粛!」


「最初からするな」


 笑いが起きる。迅は指を二本立てて説教臭く続けた。


「公共の場では“声量”“歩きスマホ禁止”“列の譲り合い”——三種の神器を心に!」


「お前が一番守れ」


 袖を引っ張る手。真壁茉凛だ。


「英樹、外で迷子になったら“幼馴染GPS”が迎えに行くから」


「お前の位置情報、信用に値しない」


 窓際で白亜莉玖が小さく笑う。


「——楽しみですね」


 その一言で、俺の足が自然に前へ出た。




Day1 指令①「待ち合わせ±0分/雨天対応を準備せよ」




 指令の通知は素っ気ないが、要するに“段取りと気遣いを見せろ”ってことだ。待ち合わせ場所は駅前の古い時計台。金属の針が十一時を指す少し前、空の色が急に薄くトーンダウンして、風が湿ってくる。




 五分前行動、折りたたみ傘二本、ハンカチ二枚、モバイルバッテリー。準備は完璧……のはず。


「英樹くん、早いですね」


 鐘の下で立ち止まった莉玖は、いつも通り落ち着いていた。トートから覗く薄い本の背表紙。


「時間は味方にしたいタイプで」


 言っているそばから、冷たい滴が額に落ちる。——来た。


「折りたたみ、どうぞ」


「ありがとうございます。でも——」


 莉玖は自分のトートを持ち上げ、細い傘の柄を見せる。


「私も持ってきました。二人分あるなら、片方はあのベビーカーの方に」


 視線の先で、小さな子を連れた親御さんが空をにらんでいる。俺は頷いて駆け寄った。


「よかったら使ってください。返却はいりません」


「え、いいんですか!助かります!」


 戻ると、莉玖がほっと息をついた。


「こういうの、好きです」


 アプリがポンと跳ねる。


《時間厳守 +10/事前準備 +8/他者配慮 +5 合計 +23》




 傘をさして歩くのは、思ったより難しい。歩幅が合わないと肩が濡れる。俺が半歩引いて角度をあわせると、傘の内側の世界が少しだけ広くなった。




 向かったのは駅の裏手にある古書店と喫茶。鈍い真鍮のドアベルが鳴り、紙とインクの匂いが雨音の上にふわりとかかる。


「好きな分野とか、ある?」


「絵本と写真集です。言葉が少ないのに伝わるものが好きで」


「わかる。ページをめくる音で、気持ちが整うよな」


 手に取ったのは、ページが分厚い小さな写真集。雨粒の光だけを撮った、不思議な一冊。


「これ、きれいですね」


「題名、“濡れた街の点滅”。……今の空みたいだ」




 隣の喫茶は木のテーブルに白いカップ。少し古いジャズ。


 ここで小さなアクシデントが起きた。


「すみません、アイスコーヒーがホットに……」


店員さんが恐縮して俯く。


 俺が口を開くより先に、莉玖がやわらかく笑う。


「大丈夫です。今日は少し肌寒いので、温かいのがぴったりです」


 流れに乗って俺も言葉を足す。


「ゆっくり話せるので、むしろありがたいです」


 店員さんの表情が明るく戻る。カップから立つ湯気の向こうで、雨脚が少し弱まった。


 アプリがまた震える。


《トラブル寛容 +6/場づくり +5 合計 +11》




 帰り際、莉玖が写真集を指差した。


「また今度、この本の“好きな一枚”を教え合いっこしませんか」


「いいね。選ぶの、時間かけたい」


 言葉を交わすたび、足元の水たまりを踏む音が軽くなっていく。初日は穏やかに、でも確かに前へ進んだ。




Day2 指令②「多様性指令:ランダムペアで校外体験を一つ」




 嫌な予感は、よく当たる。


《本日の相手:真壁茉凛》


「はーい、ラッキー☆」


「お前、引いたな? システムを」


「引かれたの。縁ってやつ」


 アプリの推奨はアーケード商店街。雨上がりの石畳にネオンが反射して、色だけで祭りのあとみたいだった。




 最初に入ったのは射的。茉凛が真剣な顔でコルク銃を構える。


「英樹、見てて。私、こういうの外す天才だから」


「胸張るな」


 パン、と乾いた音。見事に景品のラムネはびくともしない。


「でしょ」


 俺が代わる。息を止め、狙いをほんの少し下に。パン——カラン。


「やるじゃん!」


「小学校のとき、祭りで外しまくって、父さんに“下に狙え”って言われた」


「思い出補正うらやま」


 景品のラムネは二人で分けた。ガラス瓶の口にビー玉が当たる音が心地いい。




 次はレトロ喫茶。銀色のスプーンでナポリタンを巻く茉凛は、子猫みたいに落ち着きがない。


「英樹、ほら、ほっぺついてる」


「自分で言うな」


「取って」


「自分で取れ」


 どうでもいいやり取りで笑える相手が、俺には貴重だ。




 締めにボウリング。茉凛はわざとガーターを連発して俺を笑わせ、俺は真面目に投げてスコア98という、語りにくい数字を出した。


「英樹、そういう“微妙さ”好きだよ」


「褒められてる気がしない」




 帰り道、アプリが「距離感適正」とかいう曖昧な項目のチェックを促す。


 アーケードの端、シャッターの波が風に鳴るところで、俺は立ち止まった。


「なあ、茉凛」


「ん?」


「今日は“指令”だから一緒にいたけど、気持ちを曖昧にしないって、俺は決めてる。お前は大事だ。でも、からかい合うだけの相棒じゃなくて——ちゃんと正面から向き合う」


 茉凛が、一拍だけ黙る。


「……そういうとこ、ずるい。好き」


 目線が少し泳いで、すぐ戻る。


「了解。今日は任務完了。次は幼馴染として本気で来るから覚悟」


 アプリが鳴る。


《多様性指令達成 +8/境界の明確化 +12/共感 +6 合計 +26》




 商店街の出入口で、迅が唐突に現れて標識の前でポーズを決めた。


「見よ、これが公共マナー芸・横断歩道は手を上げて渡ろう!」


「年齢いくつ設定だよ」


「心は永遠の小学生」


 近所の子どもが笑って一緒に手を上げ、親御さんが礼を言う。こういう場の空気を軽くできるのは、こいつの才能だ。悔しいけど。




Day3 指令③「弱さを一つ共有し、小さな未来を一つ決める」




 最終日の相手は——またも白亜莉玖。


 場所は海沿いの遊歩道。冬の入り口、海は鋼みたいな色をしている。波が均等に崩れては、細かい泡になった。




「弱さ、ですか」


「うん。俺から言う。……俺、昔から**“待たされること”が苦手でさ。置いていかれるの、怖い。だから遅刻に過剰反応する」


 言ってから胸の奥がふっと軽くなる。


 莉玖は手すりに指をそっと置き、視線だけ海から外した。


「私は、“期待されること”が怖い。みんなに公平でいたいのに、時々、誰かの特別になってほしい視線が怖くなる。……わがままですよね」


「わがままじゃない。怖さに名前をつけただけだ」


 名前が付けば、たいていの不安は少し扱いやすくなる。俺は澪音の言葉を思い出す。“言葉は輪郭を作る”**。




 遊歩道を抜けると、小さな公園。ベンチのペンキは端から剥げて、子どもたちの笑い声が木々を揺らす。


 俺は背筋を伸ばし、呼吸を整えた。


「じゃあ、小さな未来。来週の図書室、“自習30分の沈黙”を一緒にしない? 喋らないで隣に座って、ページをめくるだけ」


 莉玖は少し驚いた顔をして、すぐに頷く。


「いいですね。それ、約束です。……沈黙が苦手な人もいるけど、私たちは大丈夫な気がします」


「俺もそう思う」




 帰り道、横断歩道の信号待ち。俺たちは列を邪魔しないよう半歩下がって並び、ベビーカーの人が前に入れるよう間を空けた。


 外国人観光客が地図アプリを見て困っているのが目に入る。


「“station?”」


「Right, two blocks, then left.」


 つたない英語でも、指と笑顔でなんとか伝わる。


 アプリが静かに震えた。


《弱さ共有 +20/相互理解 +10/未来の合意 +15/公共マナー +5 合計 +50》




 海風は冷たいけれど、不思議と肩の内側は温かい。俺は、俺が選んだ“素直さ”を外の世界でも使えたんだ。




 週の終わり、アプリの通知がまとめてやってきた。


《Day1 +34(時間厳守/準備/他者配慮/寛容/場づくり)》


《Day2 +26(多様性/境界の明確化/共感)》


《Day3 +50(弱さ/相互理解/未来/マナー)》


合計:+110




 画面の数字が跳ね上がる。


【現在LAP】228 → 338pt




 ランキングも更新。




1位:鷹宮怜央(LAP 700)




15位:崎津英樹(LAP 338)




43位:狛井迅(LAP 96/称号【教師に愛されし者】【手続きは正義】)




(十五位。見える。上が、やっと)




 その夜、ベッドの上で天井を見ながら、俺は指で空に小さな四角形を描いた。写真のフレームのまね。そこに入れるのは、言葉が少ないのに伝わる景色。


 “濡れた街の点滅”の一枚みたいに、光が少なくても輪郭は消えない。


 スマホが最後の通知を鳴らす。


《次イベント予告:冬休み直前・二者面談(恋愛計画書提出)/評価:現実性・誠実性・自律度》




(次は、言葉だけじゃなく計画で勝つ)


(“こぼしてからが本番”の俺で、前に出る)

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