第3話 模擬告白大会、ステージの上で言えること

「告白に必要なのは、結論→理由→未来。以上」


 昼休みの教室、黒板にチョークで三角形を書いているのは狛井迅だ。なぜお前が講師面だ。




「お前、いつから恋愛塾を開いた」


「今。受講料は親友割で無料」


「胡散臭ぇ……」




 来週に迫った“模擬告白大会”。アプリの通知は朝から晩まで俺の神経を刺激してくる。


《大会ルール:持ち時間3分/相手への敬意を忘れない/台本丸読みは減点》


《加点項目:真摯さ、具体性、相手理解、未来提案》




「はい質問!」


と、隣の席で真壁茉凛が手を上げる。


「“未来提案”って、たとえばどんな?」


「“来週の購買の焼きそばパンを半分こしよう”とか?」


「さすが迅、庶民的」


「褒めてんのか?」




 俺はノートに小さく書く。(結論→理由→未来)


 言葉にすると途端に怖くなるけれど、逃げずに向き合う。それがこの学校のルールで、この物語のルールだ。




 ふと、窓際。白亜莉玖が英語のプリントをまとめながら、そっとこっちを見る。目が合うと、微笑んだ。


(大丈夫、って言われた気がした)




 放課後、PC室の奥。


 静かなキーボードの音の中に、異質な存在が紛れている。


 覗くと、ショートボブに冷たい光を宿した瞳の女子が、ディスプレイとにらめっこしていた。斑鳩澪音いかるがれいね


 噂の“分析系恋愛強者”。アプリ攻略勢の筆頭だ。




「何見てるんだ?」


「校内SNSのデータ」


澪音は視線を上げずに答える。


「告白に使われる語彙と成功率の相関。『好き』は強いけど、『好きすぎる』は弱い。過剰さは信頼を削ぐから」


「……理屈、すげぇな」


「あなたは?」


ようやくこちらを見る。


「本番で噛みそうな顔」


「......図星だ」


「深呼吸三回、背筋を伸ばす、笑いは0.5秒。やってみて」


「0.5秒ってどうやって測るんだよ」


「体内時計の精度を上げるの」


「人間やめる訓練じゃねぇか」


 でもやってみた。案外、心拍が落ち着く。


 澪音はほんの少しだけ口元を緩めた。


「今の顔、舞台映えする」




 ——準備は、きっとできている。たぶん。




 * * *




 大会当日。講堂のカーテンは濃い赤、スポットが白く床を切り取っている。


 ステージ袖で、榊原玄道が淡々とルールを読み上げた。




「本イベントは模擬である。だが、真剣さを欠く者は失格だ。観客はアプリ内で匿名投票、審査は誠実点と共感点、そして未来点。——最優秀者にはLAPボーナスと“校内広報トップ枠”が与えられる」




(トップ枠……つまり、全校に名前が出るってことだ。逃げるな、俺)




 アプリが震える。


《あなたのペア:斑鳩澪音》




「え」


 袖の向こうから、同じ通知音。澪音がこちらを一瞥し、小さく頷いた。


「なるほど。あなた、私とすれ違うたびに心拍数上がってたものね」


「何で知ってるんだよ!」


「歩幅が乱れてた」


「観察眼怖すぎだろ!」




「二分だけ、打ち合わせ」


澪音は耳打ちした。


「あなたの“本気”の形を借りる。私は“受け手”として正面から受け止める」


「借りる?」


「私は今は誰とも付き合わない主義。でも——模擬は真剣勝負。だから、あなたが誰かにいつか言う本当の言葉で、今、私に告白して」


 俺は、息を呑んだ。


「わかった」




 * * *




 ステージに上がると、ライトが熱に変わる。客席の顔は見えない。


 深呼吸、三回。背筋を伸ばす。笑い、0.5秒。


 目の前に、澪音。まっすぐに立つ彼女に、逃げ場はない。




「結論から言う」


 自分の声が、思ったよりも落ち着いていた。


「俺は——君が好きだ」


 ざわ、と客席の空気が動く。アプリのタイムバーが滑っていく。




「理由は三つ。ひとつめ。君はいつも、言葉の芯を探す。俺が誤魔化したときも、目で『それ本音?』って聞いてくる」


「ふたつめ。君は静かだけど、静かさで人を突き放さない。PC室で俺に呼吸の仕方を教えてくれたとき、俺は初めて“落ち着いて言えば届くかもしれない”って思えた」


「みっつめ。……君は、俺の“足りない”を笑わない。数字で見抜いて、それでも『今の顔、舞台映えする』って言ってくれた。あの一言が、俺の今日をここに連れてきた」




 自分でも驚くほど、言葉が出てくる。


 ライトの向こう、誰かが小さく息を呑んだ気配がした。




「未来の話をする。俺はまだ弱い。ランキングも低いし、スマートでもない。でも、逃げずに言葉を選ぶ人になりたい。君がそうやって世界を見てるように、俺も俺のやり方で、君をちゃんと見る人になる」


「だから——いつか本当に誰かを好きになったとき、今日みたいに逃げない俺でいたい。その“練習相手”としての君に、ありがとうを言わせてほしい」




 最後の言葉は、自然に出た。


 澪音はまぶたを一瞬だけ閉じ、次に開いた瞳は少し柔らかかった。


「——受け取った。誠実さ、合格」


 彼女は客席に向き直る。


「これは模擬。でも、彼の“いつか”は本物。今、ここに宣言された未来は、嘘じゃない」




 会場が、温かく沸いた。


 アプリが弾むように震える。


《審査:誠実点 +45/共感点 +38/未来点 +40 総合:A-》


《称号:「舞台で言えた」獲得/LAP +70》




(……やった。俺、言えたんだ)




 ステージから降りるすれ違いざま、澪音が小声で言った。


「“いつか”を引き伸ばし過ぎないこと。データ上、待ちすぎは熱が冷める」


「参考にする」


「それから——さっきの二つめの理由、少し嬉しかった」


 それだけ言って、彼女は姿勢を崩さず袖の向こうに消えた。




 * * *




 続いてのステージ。


 名前が呼ばれた瞬間、客席の空気密度が変わる。鷹宮怜央。


 彼が向き合う相手は——白亜莉玖。


 胸が、ぎゅっと鳴った。




 怜央は一歩で距離を詰め、観客にも届く声で笑う。


「結論。白亜さん、君のことが好きだ」


 完璧な笑顔。会場が光に包まれたみたいに明るくなる。


「理由は二つで充分。ひとつ、教室で誰かの助けになるタイミングを、君はいつも逃さない。もうひとつ、僕が今日ここで言葉を選ぶ勇気を、君は“みんなで行こう”の一言で教えてくれた」


「未来。学園内の全部を案内する。君がまだ知らない景色を、一緒に見たい。これは模擬だけど、僕は君に嘘をつかない」




 うまい。完璧すぎる。


 アプリが即座に弾ける。


《審査:誠実点 +44/共感点 +52/未来点 +48 総合:S-》


 歓声。


 莉玖は、丁寧にお辞儀をして言った。


「ありがとうございます。……“みんなで”を大切にしてくれて、うれしいです」


 それは肯定でも、約束でもない。だけど、怜央の笑顔は崩れなかった。


(強い。さすがランキング一位)




 袖で見ていた俺の横に、茉凛が来る。


「英樹」


「ん」


「さっきの、良かったよ。……なんかムカつくけど」


「最後の一言?」


「うん。『練習相手にありがとう』って、ズルい。私にも先に言いなさい」


「ありがと、茉凛」


「よろしい」


 茉凛は笑って、それから少しだけ視線を泳がせた。


「でも、負けんなよ。……負けると、私がつまんなくなる」


「負けない」


 そう返した声は、自分でも驚くほど迷いがなかった。




 * * *




 エンディング。


 榊原が淡々と結果発表を読み上げる。


「最優秀:鷹宮怜央。優秀:斑鳩澪音(受け手評価)、崎津英樹」


 講堂が拍手に包まれる。


 アプリの通知が一斉に走った。


《LAP反映:鷹宮 +120/崎津 +70/斑鳩 +60》


《ランキング更新:


 1位 鷹宮怜央(LAP 520)


 ——


 34位 崎津英樹(LAP 124)


 48位 狛井迅(LAP 61/称号【教師に愛されし者】継続)》




「三十四位……!」


 スマホを握る手が少し震える。


(届く距離になってきた。まだ遠いけど、もう“最下位の俺”じゃない)




 講堂を出る廊下で、莉玖が待っていた。


「英樹くん」


「お、おう」


「今日の言葉、好きでした。……“いつか”を約束に変える人になりたいってところ」


「見てた?」


「はい。ちゃんと届いてました」


 莉玖は少しだけ、意地悪そうに笑った。


「でも、“いつか”を伸ばしすぎると熱は冷めるらしいですよ?」


「だよな。さっき言われた」


「ふふ。じゃあ、次の“いつか”、早めに見せてください」


 胸の奥に、また小さな火がともる。


「見せる。約束する」




 そこに迅が駆けてきた。


「英樹ぃぃ! 俺の模擬、見た!?」


「見てない。どうだった」


「俺、榊原先生にやっちゃって、誠実点は高かったけど“法令順守点”で減点された!」


「そんな項目あんのかよ!」


「今できたっぽい!」


 俺と莉玖は同時に笑った。講堂裏の春風が、少しだけ甘い。




 スマホが最後の通知を鳴らす。


《次の大型イベント:文化祭・恋愛アピール勝負(二週間後)》




(次は——舞台じゃない。学園全体がフィールドだ)


 俺は画面を閉じ、顔を上げる。


 遠くで、怜央が誰かに囲まれて笑っていた。澪音は静かにこちらへ視線を寄越し、わずかに頷く。茉凛は「勝負、続行」とでも言いたげにグッと拳を握って見せた。


 ——進もう。ランキングも、強者も、臆病な自分も、まとめて越えていくために。

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