第1話 現世——失われた約束

俺は、四十歳の冴えないサラリーマン。

朝は満員電車に揺られ、夜はコンビニ弁当を食べ一日が終わる。

そんな日々をただ惰性で繰り返している。


もし、この暮らしを瑠璃が見たら、どう思うだろう。

「お兄ちゃん、また時間を無駄にしてる」

きっと、あの子らしい笑顔で、でも少し困ったように叱るに違いない。


視線を部屋の隅の写真立てに向ける。

制服姿の瑠璃は、今も変わらず俺に微笑みかけている。

「お兄ちゃんはいつも頑張ってる」

根拠なんてなくても、その言葉はとても温かく俺は幾度となく救われてきた。


だが、瑠璃は十六歳と言う若さで、この世を去った。

身体中の筋肉が急速に衰弱していく不治の病によって。

発覚してから、わずか半年。あまりにも早すぎる別れだった。


最後の会話は、今も鮮明に覚えている。

秋の夕日が差し込む病室で、ベッドに横たわる瑠璃は微かに笑っていた。


「お兄ちゃんの買ってきたプリン、すっごく美味しい」

「瑠璃の好きな季節限定のやつ、楽しみにしてだろ?」

「次は冬だから・・お抹茶かな? 食べられるかな」

「一緒に食べよう。約束だ」

「うん、約束」


小指を絡めた約束は、冬の訪れを待たずに途切れた。

あれ以来、俺はプリンを口にしていない。

見れば、あの笑顔が声が胸を締めつけるから。


「・・瑠璃」

写真にそっと語りかける。


その瞬間、額縁から淡い光が滲み出した。


「えっ・・?」


光はみるみる強さを増し、狭い部屋を包み込む。

俺は思わず目を細めた。


——そして。

「お兄ちゃん」


確かに聞こえた。

あの懐かしい声が、耳元で。

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