第9話 決別と選択
絶対零度の宣告。
セレスティアの瞳には、一切の躊躇いがなかった。本気で斬る気だ。
その殺気に、ギルドにいた誰もが息を呑む。だが、プライドをズタズタに引き裂かれ、怒りで我を忘れた勇者アレクには、その警告も届かなかった。
「この女がッ…! 調子に乗るなァ!」
アレクは絶叫と共に、聖剣を抜き放ちセレスティアに斬りかかる。勇者の名を冠するに相応しい、神速の一撃。
しかし――。
キィン!
甲高い金属音と共に、アレクの聖剣はセレスティアの魔剣によって、まるで子供の玩具のようにあっさりと受け止められていた。
「なっ……!?」
「遅いな。勇者の名が泣くぞ」
セレスティアは片手でアレクの攻撃を防いだまま、もう片方の手で背後の俺を庇うように押しやる。その圧倒的な実力差に、アレクは愕然とする。
「アレクに加勢するわよ!」
「ええ!」
背後からリナが、側面からマヤの魔法が、同時にセレスティアを襲う。
だが、リナの剣撃は空を切り、マヤが放った炎の魔法ファイアボールは、その目標に届く寸前で、突如現れた水の障壁によって呆気なくかき消された。
「なっ…!? アクアウォールですって!?」
マヤが驚愕の声を上げる。その視線の先にいたのは、静かに片手を前にかざす、俺の姿だった。
「お前……治癒魔法だけじゃなく、そんな高度な魔法まで……!?」
「あんたたちと一緒にいた一年間で、見て覚えただけだ」
俺の無感情な言葉に、マヤは絶句する。
かつて自分たちが無能と蔑んでいた男が、今や自分たちの攻撃を、こともなげに防いでいる。その事実が、彼らの心をへし折るには十分だった。
連携を完全に分断され、動揺したアレクとリナに、セレスティアの反撃が突き刺さる。
それは、殺すためではなく、戦意を砕くためだけの、的確な一撃。
剣の腹で鳩尾を打たれたアレクと、柄で手首を砕かれたリナは、呻き声を上げてその場に崩れ落ちた。
勝負は、一瞬で決した。
かつての英雄パーティー暁の剣は、たった二人の冒険者の前に、完膚なきまでに叩きのめされたのだ。
「……とどめは、刺すか?」
セレスティアが、倒れているアレクに魔剣の切っ先を向けながら、静かに尋ねる。
俺は、静かに首を横に振った。
「やめておけ、セレスティア。もう、いいんだ」
「……カイ?」
「こいつらは、もう俺の敵ですらない。俺の人生に、もう関係のない人間だ」
その言葉は、どんな暴力よりも、アレクのプライドを深く、鋭く抉ったようだった。
彼は、信じられないという顔で俺を見上げる。武力で負けること以上に、「眼中にない」と宣告されることが、彼にとって最大の屈辱だった。
俺は、倒れている彼らに背を向けた。
過去との、完全な決別だった。
その時、騒ぎを聞きつけたギルドマスターが、奥から姿を現した。恰幅のいい、百戦錬磨の風格を漂わせる男だ。
「……そこまでだ」
ギルドマスターは、倒れているアレクたちを一瞥すると、失望のため息をついた。
「暁の剣、アレク、リナ、マヤ。ギルド内での抜刀、および他の冒険者への一方的な襲撃。ギルド規約への重大な違反とみなし、お前たちの冒険者ライセンスを、これより剥奪する」
「なっ……! そ、そんな……!」
「ゼーブルクからの追放も命じる。二度と、この街の敷居をまたぐな」
それは、彼らの冒険者生命の終わりを告げる、あまりに無慈悲な裁定だった。
周囲の冒険者たちは、誰一人として彼らに同情の視線を向けることはない。自業自得だという冷ややかな視線が、地面にへたり込む三人に突き刺さる。
俺は、セレスティアと共に、静まり返ったギルドの出口へと向かう。
扉を開けると、外の明るい日差しが目に眩しかった。
まるで、俺の未来を照らしているかのようだった。
一年間、胸につかえていた黒い澱が、すっと消えていくのを感じる。
「……よかったのか? カイ」
隣を歩くセレスティアが、俺の顔を覗き込む。
「ああ。良かったんだ」
俺は、心の底から、そう答えていた。
自然と、口元に小さな笑みが浮かぶ。それを見たセレスティアもまた、嬉しそうに、そして優しく微笑んだ。
「さて、カイ。依頼を受け損ねたな。これからどうする?」
「そうだな。……まずは、美味い昼飯でも食いに行くか」
「賛成だ」
過去は、終わった。
そして、俺とセレスティアの、本当の物語がここから始まる。
俺は、彼女と共に歩む未来へ、確かな一歩を踏み出した。
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