第10話 悪魔との契約

 ギルドの外に出ると、真昼の太陽がやけに暖かく感じられた。


 一年間、俺の心を覆っていた分厚い雲が、ようやく晴れたような気分だった。


「……腹が、減ったな」

「ああ、私もだ」


 俺たちは顔を見合わせ、どちらからともなく笑みをこぼした。


 そして、街で一番だと評判のレストランへ向かい、少しだけ豪勢な昼食をとることにした。


 運ばれてきたステーキを切り分けながら、セレスティアがふと、俺の顔を覗き込むようにして言った。


「カイ。お前、顔つきが変わったな」

「そうか?」

「ああ。以前は、世界中の不幸を一人で背負っているような顔をしていた。だが今は……少しだけ、馬鹿そうな顔をしている」

「褒めてるのか、それは」


 軽口を叩き合えることが、素直に嬉しかった。


 追放されたあの日、死ぬことしか考えていなかった俺が、こうして美味い飯を食い、誰かと笑い合っている。全て、隣にいるこの女剣士のおかげだ。


「……なあ、セレスティア」

「なんだ」

「俺たちのこの『契約結婚』ってやつは、いつまで続けるんだ?」


 俺がそう尋ねると、セレスティアはナイフとフォークを置き、じっと俺の瞳を見つめてきた。


「……不満か?」

「いや、逆だ。不満じゃないから、気になっただけだ」


 今の関係は、心地がいい。

 だが、「契約」という言葉が、いつかこの関係を終わらせてしまう時限爆弾のように感じられていた。


 俺の不安を見透かしたように、セレスティアはふっと口元を緩めた。


「ならば、問題ないだろう。契約の終了期限は設けていない。つまり、終身契約だ」

「……悪魔との契約みたいに言うな」


 そんな他愛のない会話が、ひどく満ち足りたものに感じられた。


 食事を終え、アパートへの帰り道を歩きながら、俺は今後のことを考えていた。

 過去との因縁は、今日で終わった。これからは、未来のために力を使いたい。


「セレスティア。魔剣の呪い、そろそろ本気で調べてみないか?」


 俺の提案に、彼女は少し驚いたように目を見開いた。


「お前の能力があれば、私はもう……」

「最高の相棒を、いつか呪いで失うなんてのは、寝覚めが悪い」


 俺がそう言うと、彼女は顔を赤らめてそっぽを向いた。


「……好きにしろ。馬鹿」


 その時だった。アパートの前に、見慣れたギルドの職員が立っているのが見えた。


 彼は俺たちに気づくと、慌てて駆け寄ってくる。


「カイ殿、セレスティア殿! 探しましたぞ!」

「どうしたんだ、そんなに慌てて」

「ギルドマスターがお呼びです。至急、ギルドまでお戻りください、とのことです!」


 何か、ただならぬ雰囲気があった。


 俺とセレスティアは顔を見合わせ、再びギルドへと足を向けた。


 通されたのは、ギルドマスターの執務室だった。


 そこには、恰幅のいいギルドマスターの他に、もう一人、見るからに高位の文官といった風情の男が立っていた。


「待っていたぞ、二人とも」


 ギルドマスターが、緊張した面持ちで口を開く。


「こちらは、王都からお越しの宰相補佐官、バルド様だ」


 宰相補佐官。そんな大物が、なぜこんな辺境の街に?


 バルドと名乗った男は、俺たちを値踏みするように一瞥すると、一枚の書状を差し出してきた。その手紙には、王家の紋章が刻まれた豪奢な封蝋が施されている。


「君たちが、『不死身の剣姫と影のヒーラー』だな。噂は、王都にまで届いている」


 その声には、有無を言わせぬ響きがあった。


「先日、勇者アレク一行を追放した。あれらはもはや、国の脅威に対抗する『剣』たり得ない。故に、新たなる『剣』が必要となった」


 バルドは、そこで言葉を切ると、俺とセレスティアの目を真っ直ぐに見て言った。


「――これは、王国からの正式な召喚状である。貴殿らの力を、この国のために拝借したい」


 召喚状。


 その言葉の重みに、俺は息を呑んだ。


 冒険者としての依頼ではない。国家からの、強制力を持った命令。


 俺とセレスティアは、再び顔を見合わせた。


 一体、何のために……?


 そして、王都で俺たちを待ち受けている『新たなる脅威』とは、一体何なのか。


 過去との決別を果たしたばかりの俺たちの前に、国家という巨大な舞台が、その幕を開けようとしていた。

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