第21話「ホルモンうどんの匂いと、優しさと」

前書き



柔道は技術だけでなく、環境が育てる。

飢えの夏、そして出会い。

小さな命が見つけた、心を満たす優しさの味。



【第21話】「ホルモンうどんの匂いと、優しさと」



四年生の夏休み。

小猿にとっては「きつい休み」の始まりだった。

理由は一つ――給食がない。


道場でもらえるパン一つで飢えを凌ぐ毎日。

猛暑の中、体重も増えず、練習に力は入らない。

本調子ではない父は外で働いている様子だが、

まだ借金があるのか、食卓は潤わない。


そんなある日。

道場からの帰り道、小猿はふと足を止めた。

古びたトタン屋根の小さな店――

「ホルモン」とだけ書かれた赤提灯。

そこから立ちのぼる香ばしい煙と笑い声。


空腹に刺さる匂い。

ダクトから漏れる香りに誘われ、

小猿は思わず目を閉じ、胸いっぱいに吸い込んでいた。


すると裏口から一人の女の子が現れた。

空き瓶を運んでいたその子が、目を丸くして言った。


「小猿……?」


咄嗟に逃げようとした小猿に、彼女は言った。


「ちょっと待って!」


クラスメイトらしいが、あまり関わったことはない。

けれど彼女は、小猿を“あだ名”で呼んだ。

その響きは、どこか優しくて、逃げる気持ちを止めた。


「待っててね」


彼女は店の中に消えると、数分後、

使い捨ての皿に盛られた料理を差し出してきた。


「これ、食べな」


そこには――

野菜炒めと少しの肉、ホルモン、そしてうどん。

まさしく「ホルモンうどん」だった。


「また柔道帰り、この時間においで。匂い嗅ぎにくるんでしょ?」


恥ずかしさも、見栄も、今の小猿には関係なかった。

その一皿が、何よりもありがたかった。


思いもしなかった出会い。

この娘とのやり取りは、やがて小猿の心を強く支えていく。

それは、ずっと後に語られる物語だ。


家庭では…


一方、家の中も少しずつ変わり始めていた。

父親は酒も煙草もやめ、外に出る姿も見かけるようになった。

まだ働いているのかは分からないし、

給食費も払えていないが、

罵声の飛び交う日々はなくなった。

静かで、ただ、それだけでも幸せだった。


学校では…


学校では、変わらず人との距離を保ちつつも、

道場での稽古は欠かさなかった。

食料事情は少しずつ改善し、

新しい友達もでき、

年相応とはいかずとも、

確かに――成長していた。



後書き



ホルモンうどんの匂いと、たった一つの優しさが、

小猿の人生を少しだけ変えました。

栄養ではなく、心を満たしてくれる味。

出会いは突然ですが、物語に深く繋がっていきます。

この先の「絆」の芽吹きを、どうか見守ってください。

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