影武者アイドル:鏡像の光

Tom Eny

影武者アイドル:鏡像の光

冷房が効きすぎた会議室。肌を刺すような冷気は、まるでガラスの破片が突き刺さるようだった。その冷気が、何年もの間、完璧な虚像を保ってきたユメの神経を逆撫でする。


目の前のテーブルに置かれた、ユメの顔が印刷された甘ったるい香りのパンフレット。その匂いが、彼女をさらに不快にさせた。


無意識に拳を握りしめる。その拳は、まるで冷たいガラスのように固く、触れれば砕け散りそうだった。ふと、窓の外に広がる高層ビルのガラスに目が留まる。そこに映る自分の顔は、何年も埃をかぶった宝石のようだった。輝きを失い、ただ虚しく自分を映すだけの、冷たい鏡像。


完璧な虚像を保つという重圧は、まるで何年も続いた孤独な塔に彼女を閉じ込めていた。冷たい壁に囲まれ、聞こえるのは自分の息遣いだけ。すべての仕事が、その完璧なイメージを傷つけるように感じられたのだ。


「もう、いいわよ!」


ユメはテーブルを掌で叩きつけ、マネージャーの言葉を遮った。苛立ちを露わにしたその声には、冷たい命令が宿っていた。「私にふさわしい仕事がないだけ。代わりを探しなさいよ。私のイメージを完璧に保てる、そっくりな人間をね!」


その言葉が、自分の虚栄心だけでなく、もう一人の少女の純粋な夢を打ち砕くとは、ユメはまだ知らなかった。事務所は呆然とユメの要求を受け入れた。そしてユメの代わりに、もう一人の自分が生まれることになった。


代役としてスカウトされたアカリは、歌もダンスも完璧な実力派だった。合格の電話を受けた夏の日、自分の実力が認められたと信じて疑わなかった。その日の夜、真実が告げられるまでは。


「あなたはユメの影武者です」。


その言葉は、冷たいナイフのように、彼女の心の奥深くに突き刺さった。夢が砕け散る音は、耳鳴りとなって周囲の音を遠ざける。それでも、いつか本当の自分を試すチャンスが来ると、かろうじて信じていた。アカリは影武者になることを受け入れた。


イヤホンから流れる指示に従う。「今は笑顔。手を振れ。歩幅は60cm」。


満員のホールを埋め尽くす熱狂的な歓声。その輝く光の中心で、完璧な演技を続けるアカリ。彼女は、一瞬だけマイクを握る手に力を込めた。自分の笑顔がひどく冷たいことに気づいていた。マイクを握る手のひらは汗でじっとりと濡れているのに、心だけは北極の氷のように冷たく固く凍りついていた。


ファンから手渡されたプレゼントの温かい感触が、かえって自分の孤独をえぐるように感じられた。ファンからの「ユメちゃんのおかげで頑張れる」という手紙を読むたびに、喜びと同時に「これは私の存在ではない」という痛みが募っていった。


ステージの熱が引いた後、楽屋の壁にもたれかかり、イヤホンを外す。汗と香水の甘い匂いが充満する中、ついさっきまで鼓膜を揺らしていた熱狂的な歓声が遠ざかる。代わりに自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえた。その静寂に、自分が誰なのかわからなくなっていた。


完璧な演技は、ユメが投げ捨てたはずの感謝や笑顔を拾い上げ、ファンの心を再び掴んだ。「ユメちゃん、ありがとう!」「会いたかったよ!」自分に向けられた言葉ではないと知りながら、アカリは少しずつ歓声に酔いしれていった。


心の奥底では「ユメの偽物」であることに苦しみ、その自己矛盾を埋めるために、より強く、傲慢に振る舞うようになる。ユメがかつて抱えていた孤独と自己の喪失感。それらはすべて、今やアカリのものとなっていた。


干されたユメは、テレビに映るアカリを見て笑った。「私みたいに、わがままを言ってる」。


だが、その姿はまるで自分を映す鏡のようだった。笑いが止まり、まるで心臓を掴まれたかのように息苦しくなる。画面の中のアカリの疲れ切って青白い顔。その目に映る疲労と孤独は、かつて自分がステージの上で感じていたものと寸分違わなかった。鏡像の愚かさに、ユメは初めて自分の過ちに気づく。


テレビを消し、立ち上がる。まるで、何年も着続けた重い鎧を脱ぎ捨てるように深く息を吐き出す。そして、埃をかぶったダンスシューズに、そっと手を伸ばした。冷たい革の感触が、遠い昔に足元から失くした情熱を思い出させた。


一方、アカリはわがままな振る舞いが原因で大きな失敗を犯し、すべてを失った。ファンを侮辱したという記事がSNSで炎上し、世間からの非難を浴びた。ステージも仕事もなくなった。口の中は砂を噛んだようにザラザラしていて、彼女は初めて、誰からも必要とされない孤独を知った。


凍えるような冬の午後、ユメはマネージャーに深々と頭を下げた。「私に…もう一度だけ、チャンスをください。今度は、ちゃんと努力しますから」。


その頃、アカリもまた、ユメの事務所へ向かっていた。彼女の目には、もう偽りの光はなく、ただ涙が溢れていた。ユメが改心したというニュースを耳にし、自分自身の罪を認める勇気を得たのだ。


事務所のエントランスの、冷たい大理石の床。その無機質な空間で、二人は偶然にも再会した。


アカリは震える声でユメに告げた。「私、あなたと同じように傲慢になってしまったんです…」。あふれ出た涙が唇に流れ、ひどくしょっぱい味がした。


ユメは何も言わず、ただ静かにアカリを見つめた。その目に、かつての傲慢な光はなかった。


ユメは、涙を流すアカリを強く抱きしめた。その温もりは、ユメが何年も前に手放した、自分の弱さや優しさを思い出させた。「もう大丈夫よ。あなたは私じゃない。あなたは、あなたなのよ」。その言葉は、ユメが長年の孤独を乗り越え、やっと自分自身に言えた言葉でもあった。


そしてユメは、マネージャーにこう提案した。「この子を、私の妹分としてデビューさせてほしいんです」。


ユメは、かつての「女王」としての傲慢さを捨て、等身大のアイドルとして再起した。ステージの上でファンに頭を下げ、「もう一度、努力させてください」と告げる彼女の表情には、偽りのない感謝が宿っていた。


そして、アカリは「ユメの妹分」として、新たなスタートを切った。初めて自分自身の名前でスポットライトを浴びたとき、温かい光が顔に降り注ぎ、彼女がマイクを握ると手のひらにじんわりと温かさが広がる。そのとき、彼女の目から溢れたのは、熱く、しょっぱい、偽りのない本物の涙だった。


同じステージに立つ二人の姿は、もうお互いを映すだけの鏡ではなかった。それは、埃をかぶった過去を脱ぎ捨てたユメが再び履いたダンスシューズと、偽りの光を捨ててアカリが心から掴んだマイクだった。


壊れた鏡の中から見つけた二つの光が、互いを温かく照らし始めた。


ユメがアカリにそっと微笑みかける。それは、遠い昔に失くした自分自身を見つけたような、温かい微笑みだった。


二人はもう、誰かの影を追うことも、誰かの鏡像として生きることもない。それぞれの道が、それぞれの光で輝き始めたのだ。

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