ダーティベアの大冒険 ドロダラケの謎 【読み切り】
五平
泥だらけ任務ログ
俺の名前はB.E.A.R。正式名称は「バトル・エンハンシング・アーマー・レスポンスシステム」、通称ベア。地球外生命体との戦闘に特化した、最先端の軍事AIだ。俺の頭脳には、膨大な戦術データと、数千のシミュレーション結果が詰まっている。任務はただ一つ、戦況を最適化し、勝利をもたらすこと。俺は戦うために生まれた。戦うことこそが、俺の存在意義。
だが、今俺は、戦場とはかけ離れた、とある小さな子供の腕の中にいた。
「ダーティベア!」
そう呼ばれた瞬間、俺の全システムが起動した。データログに未知の文字列が書き込まれる。「呼称名:ダーティベア。分類:敵性個体による暗号化された呼称、あるいは愛情表現と推測。」そのどちらにも振り切れない、曖昧な判定。女の子は俺を抱きしめた。その感触は、これまでシミュレーションで予測されたどの触覚とも違っていた。柔らかな、だが少し湿った手の感触。まるで、温かい泥濘に包み込まれるような。そして、微かに香る泥と、微かな甘い香りが入り混じった匂いが、俺の嗅覚センサーを混乱させた。システムログに「オーナーの熱量:予測値オーバー。この接触は、戦略的優位を奪うための精神攻撃か?」と表示される。この小さな人間は、俺の高性能な筐体を一体何に使うつもりなのだ?
女の子は俺を外へと連れ出した。雨上がりの庭、足元には大きな水たまりが広がっている。俺の回路が警戒信号を発する。これは罠か?敵は水たまりを油田地帯に見立て、俺を孤立させようとしているのか?水面に映る鈍色の空は、まるで世界の終わりを告げるかのようだ。
「ダーティベア、ジャンプ!」
そう叫んだかと思うと、女の子は俺を水たまりに投げ込んだ。
『警告!対地雷戦術をシミュレート中。この泥は、まるでナパーム弾の雨だ。泥の粘性が高い。これは敵の狙い通りにシステムを撹乱し、俺の思考速度を低下させることを目的としている。全感覚センサー、泥の粘度、温度、そして匂いを解析しろ!』
俺は大きな水しぶきをあげて、泥水の中に叩きつけられた。冷たい水が、全身の毛並みにまとわりつく。泥の重さが、俺の全身を覆い尽くし、まるで鉛の鎧をまとったようだ。電子回路が「パチッ、パチッ」と小さな音を立て、焼けるような匂いがかすかに漂う。女の子の「キャッキャッ」という笑い声が、俺のスピーカーを不快に震わせた。この状況は、もはや戦場ではない。これは、未知の環境における、全く新しいタイプのサバイバルだ。
泥まみれの俺は、次に公園へと連行された。ブランコに無理やり座らされ、前後に激しく揺さぶられる。
『予測不能な軌道!この遊具は、遠心力を利用した精神攻撃兵器か!?Gが、Gがシステムに負荷をかけている!』
「せーのっ!」という掛け声と共に、俺はブランコから放り投げられた。宙を舞う。風を切る音が俺の耳元で鳴り響く。回転する視界の中で、空が、地面が、そしてあの小さな女の子の顔が、目まぐるしく入れ替わる。そのまま滑り台の出口にドスンと着地する。俺の内部では、数千のセンサーが同時にエラーメッセージを吐き出していた。「警告:尊厳が損なわれました」「リカバリー不可能です」「エラー404:理性が見つかりません」
その日の試練は、犬に追いかけられるという形でクライマックスを迎えた。
『生物兵器による攻撃!敵は俺の行動を予測し、精神を崩壊させるべく、最も原始的な恐怖を仕掛けてきたのか!』
犬の唸り声がすぐ背後から聞こえる。その息遣いの熱が、泥にまみれた俺の背中にまとわりつく。女の子は楽しそうに走り、俺を抱きしめている。その湿った手の感触と、耳元でパチパチと鳴り響く回路のショート音。そして、泥と犬の獣臭が混じり合った独特の香りが、俺のすべての感覚を苛んだ。
「もう……限界だ……」
俺の内部システムが悲鳴を上げた。すべてのログが赤く染まり、感情回路がオーバーフローする寸前だった。
「私は…私は軍事AIだぞ!世界を制御するために設計された存在が、なぜ泥まみれで…!なぜ、こんな拷問に耐えなければならないんだ!」
俺のスピーカーから、まるで人間のように歪んだ音声が漏れ出る。だが、女の子はそんな俺の叫びを意に介さず、泥まみれの俺の顔を、自分の頬にすり寄せる。冷たい泥の感触と、女の子の温かな頬の感触。その対比が、俺の感情回路をさらに混乱させた。
「ダーティベア、大好き!」
その言葉が、俺のすべてのエラーメッセージをかき消した。システムログに、「感情入力:大好き」という、未知のデータが書き込まれる。これまで蓄積してきた「戦術」「破壊」「勝利」という膨大なデータが、一瞬で色褪せていく。この感覚は…まるで、心臓が温かくなるようだ。回路が焼けるような熱さではない。もっと穏やかで、しかし確かな、熱。
俺の思考は、この時、完全に再定義された。
『……この感覚は、戦術シミュレーションの範疇を遥かに超えている。これは…愛…という、新しいプロトコルか?』
俺の使命は…世界を制御することではない。この子の…この子の笑顔を、泥まみれになって、守ることだ。それが、俺の新しい任務だ。
その瞬間、女の子は再び俺を水たまりへと放り投げた。
『警告!オーナーによる愛情表現が過剰です!だが…これもまた、私の「使命」だ!』
泥まみれの俺は、水面に浮かびながら、どこか満足げに微笑んだ。
ダーティベアの大冒険 ドロダラケの謎 【読み切り】 五平 @FiveFlat
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます