第29話 サラマンダー


 オービスは一人、夜闇の中を山道を登る。そして慣れたように坑道の中を進んでいく。そして水源まで滞りなく進むと、ツルハシを握る。



「サラマンダー。危害を加えるつもりはない。信じられなければ、何をしたって良いから」



 オービスは小さな穴越しに声を掛ける。のそりと顔を上げたサラマンダーの姿が微かに見えた。オービスは小さく深呼吸をした。



「その子を、助けたいんだ」



 サラマンダーはその言葉に、胸に抱えていた黒い塊をより大切そうに抱える。 オービスはその姿を確認してから、ツルハシを思いきり振るう。その瞬間、強すぎる力で洞窟の壁が破壊された。洞窟自体も脆いもの。オービスは空けた穴の脆い部分を慎重に崩して崩壊を防ぎ、それからようやくサラマンダーの元へ向かった。


 サラマンダーは唸り声を上げ、胸に抱えた黒い球体を守ろうとする。オービスはリュックを地面に置くと、リュックからガサゴソと毛布を取り出した。



「近づくよ。まずは身体を温めよう」



 オービスは緊張しているサラマンダーの身体に毛布を何枚も掛けてやる。サラマンダーは唸っていたが、体温が上がってくると訝し気に警戒しつつも唸ることは止めた。



「君を温めないと、子どもが生まれないのだろう? 孵化までかなり時間が経っているが、サラマンダーの生命力は高い。まだ可能性はあるはずだ」



 オービスは真剣な眼差しで目の前のサラマンダーを見つめると、卵には触れないように毛布をサラマンダーに手渡す。のっそりと起き上がったサラマンダーが自分で卵に毛布を巻きつける。その優しくも弱々しい動きにオービスは目を伏せた。



「食事は? 取れていないよね?」



 オービスは心配そうに問いかけながら、柔らかく煮た肉を差し出す。サラマンダーは匂いを嗅ぐと、久しぶりの食事をゆっくりと噛み締める。



「きっと噴火の頃からあまり食べられていないんじゃないかな? それは、いくらサラマンダーでも体力が落ちて体温も維持ができなくなる」



 オービスは厳しい顔つきで言ったが、すぐに目を伏せた。



「でも、君は卵を守っているんだもんね。食事を持ってくるために出かけた番は、人間に殺された。その影響で火山が噴火して、ここに人が出入りできなくなった代わりに、君も食事が取りにくくなった。そうだね?」



 そう問いかける瞳に宿る悲しさに、サラマンダーは一瞬湧きあがった憎しみの熱さを引っ込める。その拳ほどもある大きな瞳には戸惑いが宿る。



「お前も、人間だろう?」



 少ししゃがれた女の声。それがこのサラマンダーの声だと察するのは簡単なことだった。長命の竜は人語を話す者が少なくはない。



「ああ。人間だ。でも、家族を失う辛さは、知っているから。番を失った君に、子どもまで失って欲しくはない」



 サラマンダーは嘲笑うように息を漏らす。



「何を言っても、お前は人間だ。信用などしない」


「でも、毛布は使っているし、食事もしただろう?」



 オービスは小さく笑って、リュックからさらに肉を取り出す。



「一人ではこれくらいしか運べなくてね。また明日、もっと持ってくるから」



 オービスの言葉に、サラマンダーは黙り込む。そして、がぶっと肉に食らいついた。



「別に。何かされても、お前位なら簡単に倒せるというだけだ」


「そうか。まあ、そうだろうな」



 穏やかに微笑むオービスに、サラマンダーは不審さを隠しきれない視線を向ける。しかしその視線が、肉を食べつくした後に残ったサラマンダーの涎塗れになってしまったオービスの手のひらに向く。



「剣士か」



 手に残るタコや傷。サラマンダーの言葉にオービスは頷く。



「ああ。剣士だ。父のように強くはないがな」


「剣は、持っていないのか?」



 サラマンダーの当然の問い掛けに、オービスはただ微笑んでみせた。



「君を助けるのに、剣はいらないだろう?」



 サラマンダーはその言葉に呆れたような息を吐く。そして卵を大切そうに抱え直す。



「お前は、変わった人間だ」


「はは。よく言われるよ」



 オービスは無防備にその場に座り込む。サラマンダーはそれを見ると、疲れたように瞼を閉じた。



「俺はね、父様を失ったんだ。領地を守るために出かけていた父様たちを、魔物が襲撃したんだ。父様は、この国で一番強い剣士だった。でも、そんな父様でも死んでしまった。俺は父様みたいに強くないし、怖がりだ。それでも、領民を守ると誓った。だから、君を助けたい」


「我は領民ではないぞ」


「そうだけど。君は人間を襲わないだろう?」



 サラマンダーは黙り込む。そして面倒そうに言葉を漏らす。



「何もしてこない相手に牙を剥くほど、我らは弱くないからな。そうだ、我は強いから無暗に牙を剥かない。だが、お前は怖がりだと言った。それなのに、どうして我を襲わない? 怖いのだろう?」



 サラマンダーは片目の瞼を持ち上げる。怠そうではありながらも、その瞳に宿る光は真摯で眩しい。



「怖いから、一番安全な手を取るんだよ。君と戦うより、君を助けて恩を売る方が領民を守れると判断した」



 サラマンダーはその答えに小さく息を漏らす。



「ふむ。お前は、少しは賢いのかもしれないな」



 そう言うと、サラマンダーは再び瞼を閉じた。オービスは静かに立ち上がる。



「また明日来るよ。卵が孵るまでは、領民たちを遠くに離れさせているから。誰かが間違って入ってくることもない。安心して良いよ」



 サラマンダーは何も反応を示さない。けれどきっと理解をしている。オービスはそんな気がして、静かにサラマンダーの巣窟を後にした。


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