第28話 偵察
数日の間に、領民たちの大移動が始まった。スキウルスとカリタスが先導して避難地域へと移動を始め、レオと自警団の面々が子どもたちや身体が不自由な人たちのサポートをしながら進んでいく。
オービスと従士たちは、その背中を見送って訓練所へと向かう。
「耐火装備で備えるように」
「はい!」
現在は沈静化しているとはいえ、火口の中へと下りていくことになる。耐火は万全に。荷物には水を大量に入れ、食糧は少し。
「今回の目標は、偵察。可能なら討伐をするが、竜が相手では難しいだろう。自分の命を大切にすることを前提として行動してくれ」
「了解!」
従士たちの返事を聞きながら、オービスは毎日手入れをしている剣を腰に下げる。クリオはその剣の鞘に染み付いた赤黒いシミを見つめ、奥歯を噛み締める。オービスはその様子に気が付きながらも何も言わなかった。
「行くぞ」
オービスを先頭に、従士三人が続いていく。タルパが管理していた鉱山を目指し、水がちょろちょろと流れるだけになった坑道をびちゃびちゃと進んでいく。
「この先にある水源の、その奥だ。壁を壊して進むぞ」
オービスの指示に、従士たちは頷く。そして順に水源の中へと進むと、熱くなった壁をツルハシでなるべく静かに打ち砕く。
ネルヴァが小さな穴を開くことに成功し、オービスを手招く。頷いたオービスは、その小さな穴から向こうにできた空間を覗き込む。熱がオービスの黒い瞳をジリつかせる。
そこにいたのは、翼のない真っ赤な鱗を持つ竜。サラマンダー。オービスはゴクリと唾を飲み、穴から目を離した。
その様子に全てを察した従士たちは、顔を見合わせる。ドラコが震える唇を微かに開く。
「戻りますか?」
オービスはジッと考え込む。そして黙って、再び穴を覗き込む。
サラマンダーは眠っている。この空間の熱さはサラマンダーが放つ熱によるものだと分かる。サラマンダーは体温が高く、その体温を保つために火山にいるはずだ。しかし、それにしては温度が低い。そもそもオービスたちが同じ熱さの空間にいられることがまずおかしい。
「一度戻ろう」
オービスの言葉に従士たちが戻るための準備を始める。オービスも穴から目を離そうとしたとき、サラマンダーのそばに真っ黒な何かを見つけた。艶のある、球体。
オービスは咄嗟に穴から見える範囲で周囲を見回す。サラマンダーは一体だけ。オービスの眉間に皺が寄る。そして、穴から離れて坑道の外へと向かう道を辿る。その間一言も話さないオービスに、従士たちは視線を交わし合いながらも何も言えなかった。
辺境伯邸に戻ったオービスは、執務室でスキウルスが残した書物を読み漁る。王家の秘蔵書庫からカニスが写本を持って来てくれたと言い、何かの役に立てばと置いていってくれた。オービスは感謝しながら、丁寧にページを捲り考え込む。
「やはり、そうか」
書物を閉じ、片手間に記していたメモを見る。そこに纏められた情報を辿り直せばそうするほど、眉を下げて涙を堪えるように瞳を閉じる。
メモに記された、火山が噴火したころの記録。一体のサラマンダーの討伐記録や、討伐が噴火を誘発したという討伐隊員の日記の隠された記載。そして最新のサラマンダーの生態や子育てのこと。調べるほどに、点と線が繋がっていった。
「行くしか、ないか」
オービスは椅子に深く腰掛けたまま、星空を見上げた。
「ごめんなさい、スキウルス様」
その声が震える。ただの婚約者。国王に決められた、身勝手な政略結婚。第三王子の身の安全を考えたときに、国内でも珍しく年間の死者数が少ないこの地が選ばれただけ。元々の婚約者はラナの予定だった。
考えるほどに、スキウルスへの愛着なんて持ち合わせていなかった。それでも、今のオービスの足を重たくさせるのはスキウルスの存在だった。
「この世に、ラナと同じくらい愛おしい存在がいるなんて」
オービスの小さな呟きは夜風に掻き消される。
小さく息を吐き、スキウルスが残していった茶器や衣服、書物を見つめる。その全てに過るのは、二人のときに見せる子どもっぽい表情だった。
王家にいるときのような固い、苦し気な表情。領民と関わるときの優しさと慈愛に満ちた愛される第三王子らしい姿。そのどちらとも違う姿がオービスの脳内を占拠する。
「もう一度、会いたいです」
最後にスキウルスを抱き締めたときの熱を手繰るように、手のひらを見つめる。約束をした。悲しませないと。
「約束を破ろうとしている俺を、どうか、許してくださいね」
オービスは部屋着のまま、リュックに毛布やタオルを大量に詰め込む。そしてそれを背負うと、いつものように剣へ伸ばした手を止める。
「いらないな」
オービスは武器も装備も何も持たないまま執務室を出て行く。そしてエントランスに向かうと、玄関から入って正面に見える父インウィクスの肖像画へ向けて胸に手を当てて一礼する。
「行ってくる、父様」
オービスは顔を上げて肖像画を見つめながら、口角を小さく上げる。
「万が一のときは、母様たちを守ってください」
祈るような言葉を残して、オービスは辺境伯邸に背を向けて出かけていった。
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