第30話 命の重み


 数日の間、オービスはサラマンダーの巣窟へと通い続けた。その間、従士たちには状況だけを説明して近づかないようにと伝えた。



「まったく、領主様は」


「それで何かあったらどうするつもりだったんすか!」



 ネルヴァとドラコは呆れたり怒ったり。クリオは額に手を当ててやれやれとため息を漏らした。



「まあ、領主様ですからね。ですが、私たちのことも少しは頼っていただきたい」



 クリオの鋭い視線にオービスは肩をすくめて軽く笑う。



「ごめん。でも、やっぱり俺は、みんなを守りたい」


「それは領主様のエゴです」



 オービスの穏やかな声をクリオの鋭い声が遮った。空気が一瞬にしてヒリつく。ネルヴァとドラコは息を飲み、オービスは困ったように笑うばかりだ。



「領主様が皆を守るために死ぬことを、領民たちが望むとお思いですか? 領主様が無事であることを何よりも望み、変わらぬまま、増えることはあっても減ることはないままに平和に暮らしたいというのが領民の願いです。ましてやこの非常事態。領主様がいなくなることは大きすぎる損害です」



 クリオの真っ直ぐすぎる眼差しに、オービスは項垂れた。ネルヴァとドラコは互いに顔を見合わせると、クリオの言葉に同意するようにオービスを見つめて何度も頷く。


 三人の腹心の気持ちが伝わってくると、オービスは嬉しいような申し訳ないような様子でぎこちなく笑うほかなかった。



「分かったよ。次からは気を付ける」


「領主様の気を付けるは信用ならないっすけどね」



 ドラコが揶揄うように言うと、その場の空気が緩む。ネルヴァはその肩をぽんっと叩き、ドアの方へと向かう。



「ひとまず、私は状況報告に向かいます」


「ありがとう。ではクリオとドラコは放棄させた畑の管理を頼む」


「了解!」



 従士たちは各々の方へと向かう。ネルヴァは領民たちが避難している地帯へと走り、クリオとドラコは畑の世話へ。オービスが執務室で書類仕事をこなす。非常時であっても管理者たちは日常の時間を進めなければならない。



「あ、あの」



 不意に玄関の方から声が聞こえた。オービスは顔を上げ、首を傾げる。聞いたことがない声に来客だと判断すると、すぐに外套を羽織って服装を誤魔化してからエントランスへと向かった。



「はい。どちら様でしょうか」



 玄関を開けると、そこに立っていたのは東国風の衣装を纏った男。その男の手には、見覚えのある懐中時計が握られていた。



「もしや、尋ね人でしょうか?」



 オービスの言葉に、男は瞬時に腰に下げていた刀の柄に手を置いた。けれどそれを引き抜こうとした瞬間、トンッとオービスの短刀が男の手首に軽く当たる。



「何をお考えですか?」



 そう言うオービスの笑顔は冷ややかで、男はヒュッと情けなく息を飲んで柄から手を離さざるを得なくなった。両手を上げた男に、オービスも短刀を懐に戻す。



「二三お伺いしても?」


「は、はい」



 男はゴクリと唾を飲む。オービスはそんな男に柔らかく微笑む。



「尋ね人というのは、商人でしょうか?」


「は、はい。私と同じような服を着た三人組の男です」


「では、その男たちは、貴方と同じ懐中時計をお持ちですか?」


「はい。これは我々の家紋と呼ばれる一族の証のような模様です。そしてこの懐中時計は一族の当主の息子であることを示します」



 ネルヴァの報告によれば、懐中時計を持っていた男は三人の内の一人。オービスは少し悩みつつ、慎重に口を開いた。



「その懐中時計を持っていた方と、あとの二人は御付きの方でしょうか」


「はい。そうです。二人は我々の家の商店で働いていた男たちです」


「お三方は、亡くなられました」



 オービスの言葉に男は再び柄に手をかける。オービスはそれに対して今度は何もせず、むしろ背を向けた。



「懐中時計やその者たちの遺品、遺骨はこちらで保管しています。どうぞ」



 オービスはそう言いながら先に外に出て行く。男は悩みながらも、慎重にオービスの後について行く。


 オービスが向かった先は、倉庫。ネルヴァが書庫と共に管理している倉庫で、大切なものを仕舞っておくための場所だった。



「こちらを」



 湿度管理が難しい漆塗りの懐中時計は、濡れた布に包まれて管理されていた。さらに他の遺品も麻袋に詰められ、そのまま運べるようになっていた。



「それから、これが彼らの遺骨です」



 元々ゴーフィス王国では火葬よりも土葬が一般的。けれど土葬では旅先から遺体を運べないため、ピンパル辺境伯領では火葬が一般化していた。東国も火葬が一般的。男は遺骨が納められた骨壺を前に膝をついた。



「兄様」



 涙を流す男の前に、オービスは膝をついた。



「森の中で、十体のオークの群れに襲われたようでした。普通ならあり得ないことですが、最近はこの辺りで魔物の異常な動きが報告されています。貴方も、お帰りの際はお気を付けください」



 男はオービスの言葉に奥歯をギリリと噛み締めた。



「それは、兄たちが不運だったと?」


「そうでしょう。この領地も、近頃は魔物の群れの襲撃を受けることが多くなっています。その影響でこの通り、領民たちを非難させているような状況です。今この地では、何が起きてもおかしくはないのです」



 オービスの言葉に、男は罵倒の言葉を飲み込んだ。領民たちがすっかりいない、まだ生活感の残る村の様子。それを見ればオービスの言葉の真偽などすぐに分かった。



「我が兄と同志の遺骨、遺品を預かっていただき、ありがとうございました」



 絞り出すように言うと、男は後ろを向いて去っていく。それ以上はもう語れないというように。オービスはそれに不快感を示すこともなく、ただ見送る。そして潤む瞳を瞼で隠し、天を仰いだ。


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