信都 その2

 劉秀、昌成しょうじょう県へ進めば、数千の兵で城を守っていた劉植りゅうしょく、字は伯先はくせんが、弟劉喜りゅうき、字は共仲きょうちゅう従兄弟いとこ劉歆りゅうきん、字は細君さいくん共々、門を開いて迎え入れる。

 ここで劉植、劉秀を歓待かんたいするが、その最中に劉秀に問い掛けて、曰く「明公、恐れるは王郎に非ず、如何」

 劉秀答えて曰く「王郎を恐れず、誰を恐れると」

 劉植返して曰く「真定しんてい劉揚りゅうようなり、如何」

 劉秀、微塵みじんの酔いがめたれば、素直に答えて曰く「まさしく」

 劉植曰く「では真定王が恐れるは誰と思われる」

 劉秀答えて曰く「王郎か」

 劉植返して曰く「否、真定王が恐れるのは、百万軍を破りし、今上帝の大司馬、即ち明公なり」

 劉秀、鄧禹がいた噂がこのように実るかと思う。劉植、劉秀が黙ったままなので、続けて、曰く「我も宗族ならば、真定王の話をつまびらかに知れり。強を装いても小心で御座れば、明公敵するを望まず」

 劉秀曰く「しかし、我は如何にして真定王と和するかを知らず」

 劉植曰く「明公、真定王といさかいを起こしたいわけで無く、むしめいを結びたい所存なりや」

 劉秀、無言で頷く。

 劉植、口許くちもとゆるめて曰く「ならば、結ばん」

 劉秀問いて曰く「如何にして」

 劉植答えて曰く「真定王には娘は居らず、しかしめい有り、姓はかくいみな聖通せいつう

 劉秀慌てて答える、曰く「即ち、れろと」

 劉植返して曰く「左様なり」

 劉秀、以前なら「我、既にいん麗華れいかめとっている」と答えたであろうが、けいから饒陽じょうようの数日が劉秀を変えていた。劉植の言う様に、王郎よりも恐いのは劉揚である。これを押えなければ勝てぬ。勝てねば我は死に、我をしたう者をして塗炭とたんに苦しませる。更に世のならいであれば、寧ろ匹夫ひきふであることの方がやましい。

 劉植、劉秀に考える間を与える。されど劉秀が黙ったままなので、劉植は続けて曰く「名目でよろしいので御座います。人質と思われても宜しかろう」

 劉秀、明瞭に答えて曰く「だく。しかし、誰を使いに遣る」

 劉植問いて曰く「我では不足なりや」

 劉秀、答えて曰く「いな、只、はくを付けるべし」

 さすれば劉植を驍騎ぎょうき将軍と為し、劉喜・劉歆を偏将軍と為し、三人を列侯に封じる。翌朝、劉秀は鉅鹿郡しゃ県へ進軍し、驍騎将軍劉植らは馬を走らせ西梁せいりょう、更には真定国に向かう。

 貰県に至れば、すなわち城は降る。それより劉秀を喜ばしたのは、わざわざ出向いてきた者たちであった。宋子そうしより、耿純こうじゅん、その従兄弟耿訢こうきん耿宿こうしゅく耿植こうしょく、宗族・賓客ひんきゃく総勢二千余人を率い、老病の者は棺桶かんおけとする木を車にせて軍に従い、奉迎ほうげいする。劉秀、即ち耿純をぜん将軍と為し、耿郷こうぎょう侯に封じ、耿訢・耿宿・耿植は偏将軍と為して、四名を前線に立てれば、宋子は降る。劉秀、そのまま北上し、曲陽きょくように至って形式上これを降す。軍容ぐんようが出来たと兵を数えれば、こうと現れた者数万人に至る。しかるに、まだ真定は降らず、劉植は戻っていない。

 鄧禹曰く「待つより、この勢いを保ち、威を示さん」

 劉秀然りと、兵を募りつつ、城を落としつつ北上することとする。


 真定では、大王に拝謁を願う者ありと、劉揚に伺いが奉じられる。劉揚、劉植をせつきゃくと悟り、会うのをこばむ。宗族なのに会うのを拒まれるかと、劉植、縁者賓客を使いてけば、ほだされて漸く劉揚は会おうと言う。

 劉揚、問いて曰く「余に何用有り」

 劉植、これは正論では説き難しと思えば、答えて曰く「大王に縁者の相談であれば、我拝謁を願わん」

 劉揚重ねて問いて曰く「誰なるか」

 劉植答えて曰く「姪御殿で御座る」

 劉揚、返して曰く「郭聖通か」

 劉植答えて、曰く「左様、御歳幾つになられます」

 劉揚、数えて曰く「すには、少し遅いのう」

 劉植曰く「大姓は、大王の血筋を引いているゆえ、王莽おうもう災禍さいかを恐れ、娶るを躊躇ためらう」

 劉揚返して曰く「されば王莽亡き世となれば、躊躇わずや」

 劉植返して曰く「さにあらず、躊躇われる」

 劉揚僅わずかに語気荒く問いて曰く「何故なにゆえ

 劉植答えて曰く「大王、邯鄲かんたんの帝に附いて、邯鄲破れれば、大王も郭氏を娶った者も斬られる。大王、長安の帝に附いて、長安破れれば、大王も郭氏を娶った者も斬られる。されば、大姓の誰も郭氏を娶ろうとは思わず」

 劉揚返して曰く「我、斬られるつもり無ければ、一人城守しようと欲す」

 劉植曰く「ならば猶更なおさら、大王、一人城守せしも、味方せぬ故に、邯鄲が勝てば、大王と郭氏を娶った者を斬り、長安が勝てば、大王と郭氏を娶った者を斬る。故に二人を除いて郭氏を娶ろうと思う者無し」

 劉揚、問いて曰く「二人とは」

 劉植答えて曰く「敗れれば必ず斬られる者、邯鄲の帝を称する劉子輿りゅうしよ、長安の帝の遣りし大司馬劉文叔りゅうぶんしゅくなり」

 劉揚、僅かに笑いて曰く「なるほど」

 劉植、ここで詰め寄ると一言問いて曰く「大王、斬られずに済むには、劉子輿、劉文叔、いずれか勝つ者に郭聖通を娶らせるべし。何れを選ばん。郭氏が勝つ者に娶られるなら、大王必ず斬られること無し」

 劉植、王郎に附くか、劉秀に附くかの選択に、郭聖通を引き合いに出して、必ずどちらかに附かざるを得ないことを悟らせる。

 劉揚は、劉植の目を見て問う、曰く「卿は、邯鄲の帝、劉子輿を知るか」

 劉植答えて、曰く「我、大王と同じく噂のみ知る。邯鄲の卜者王郎であり、劉子輿と称するが、その真偽は知らず」

 劉揚また問いて曰く「卿は、大司馬劉公を知るか」

 劉植答えて、曰く「我、大王と同じく会って劉公を知る。こうじただい司徒しとりゅう伯升はくしょう公の弟にして、昆陽の大軍を破った者なり。大司馬は大王と同じく、明らかに漢室の血筋にて、それゆえ漢を救おうと欲する」

 劉揚、会って見た所の若造を思う。眉鬚びしゅ麗しいあの姿にて、猛将とは思えないが、誰に聞いても常人の働きに非ざれば、王郎が勝てるとは思えない。劉揚、王郎相手なら戦えるかもしれぬが、三千で百万の兵を破る劉秀相手ではと考える。今、真定には十万の兵、劉秀は一万か、いや既に十万くらい兵は集まっているだろう。

 心を決めた劉揚曰く「なれば大司馬に附こうと思えど、如何せん」

 劉植にやりと笑って曰く「我、大王に姪御殿の相談に参れば、直に劉公に郭氏を薦めるは如何」

 劉揚曰く「出来ようか」

 劉植答えて、曰く「親御殿さえ良ければ、我、必ずや成し遂げん」

 即ち劉揚肯いて曰く「安陽あんよう郭昌かくしょうは亡くなって久しい。聖通は余に任せん」

 劉植が立てば、劉揚、供回りを連れて稿こう県に出立する。


 真定王至ると聞けば、県令・次官に姉郭主かくしゅ、その子郭況かくきょうが迎える。劉揚すぐさま郭昌の屋敷に入り、一連の挨拶を終え、すぐまま用件に取り掛かろうとすれば、表向きの話と考えてか、肝心の聖通は居らぬが、まあ良いわと話し始める。

 劉揚曰く「ところで、聖通には良縁なからざるか」

 郭主、残念ながらと答える。

 劉揚、話を続けて曰く「祖父が真定王なるゆえ、王莽を恐れ、叔父も真定王なるゆえ、邯鄲・長安の主を恐れてと聞く」

 郭主答えて曰く「王莽滅びて話はあれど、大王立てば、大王が南陽なんようの劉氏と和するかいなかを見極めるまでと、立ち消えとなり申した。今、聖通を娶れば大王と結ぶことになる故か、話を持ち込む者無し」

 劉揚、顎に手をやって曰く「なるほど。し娶りたいという言う者があれば、願ったりか」

 郭主問いて曰く「大王、知れると仰せられるか」

 劉揚、答えて曰く「余、一人知る」

 郭主重ねて問いて曰く「その方、大王と托生たくしょうしようと言われるか」

 劉揚、郭主も劉植と同じかと思うも答えて曰く「彼も余も托生しようと思う」

 どのような御人がと思い、はたと気付いた郭主、郭況と顔を見合わせ、戻して問いて曰く「邯鄲の人か、長安の人か、何れかで御座いますな。何れなるや」

 劉揚問いて曰く「何れと思う」

 郭主・郭況、再び顔を見合わせる。郭況、十五の孺子じゅしである。父がいないからこそこの席に座す。弱い立場をわきまえ、恐れながらと言いて曰く「れるに、我が姉の意の至らぬ先、もはや我らの意も至らぬ先、大王の意のままなるところ。されど、大司馬劉公の話を聞きたれば、我が姉、我が母は長安の人を望みたし」

 郭主曰く「我が娘、劉公が「仕官してはまさ執金吾しっきんごと成るべく、妻を娶っては当に陰麗華を得べし」と若き日に言い、今や大司馬となり、陰麗華を娶ったと聞けば、陰麗華はうらやましき者なりと言う」

 劉揚、何処へ行っても何を聞いても、大司馬劉公かと少々不服に感ずる。

 郭況、劉揚の渋顔を窺いて、問いて曰く「もしや邯鄲の人で御座いますか」

 それでも劉揚、王郎と劉秀を比せば答えは揺るがず。郭主・郭況が不安気に見詰める中、答えて曰く「余、聖通を娶らせようと思い、聖通ゆえ命を托生しようと思うは劉文叔、行大司馬なり」

 郭主・郭況、喜び伏して謝して曰く「大王よ、鳳凰ほうおうたまわられようと言えど、これより勝る話なし」

 劉揚、いささか胸中わだかまりが生じるが、座を立つと、郭聖通を連れて真定へ至れと言って去る。郭主・郭況、真定王が去るのを待って、郭聖通に伝えようとそそくさと部屋を後にする。

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