薊 その2

 薊に劉秀が入城した時、年が明けて更始二年となっていた。薊に入城するや、耿弇は既に上谷の耿況に書を送っていれば、劉秀、漁陽の彭寵に書を送ってす。更に劉秀は王郎に追われる身でありながら、広陽王の血筋も考慮しようとする。漢の高祖劉邦りゅうほうは、楚漢そかん戦後の封地の際、一番険阻けんそな人物に一番初めに封地をほどこした。それは、家臣・豪族らを安堵あんどさせるためであった。劉秀もそれ故、広陽王の血筋をおもんばかろうとしたのである。しかし朱浮は、王莽に加担かたんした一族故、王侯に復することは為りませぬと言う。劉秀は待てと、朱浮をなだめる。朱浮は続けて、劉嘉の子息の関内かんない侯らもそのままになさいますか、と問う。劉秀、今は王莽を恐れることは無いが王郎を恐れねばならない故、それも待てと言う。

 劉秀、朱浮にきつく言えないのは、朱浮の父、朱詡しゅくが、逆臣とはいえ恩義をこうむったかつてのだい司馬しば董賢とうけんねんごろに葬ったことで、王莽にうらまれ誅殺ちゅうさつされた故に、朱浮にとって王莽は仇であり、その王莽にくみして保身を図った者を赦せざるは無理もないと思ったからである。

 しかし既に、薊にも王郎のげきが飛んでいた。薊を抜けて、漁陽にも上谷にも至る。その檄、一尺二寸の木簡もっかんに曰く、「りゅう文叔ぶんしゅくを捕えた者に十万戸をあがなおう」。署名は漢皇帝とあった。更に、邯鄲の兵がまもなく来るという噂が広まっていた。しかし劉秀、朱浮の手前、即座の施策を思い留めた。劉秀、王郎に対してどうすべきかをまわりに尋ねると、王覇おうはが前に出て、兵をつのりましょうと謂う。即ち、劉秀、王覇をして市中に至って、人を募らせ、これをひきいて王郎を撃とうとする。しかし、市の人みな大いに笑い、手を振って揶揄やゆする。王覇、恥じて帰る。


 既に劉秀の召見しょうけんを受けて、酒・牛の用意をしていた漁陽でも、王郎の檄を受け、動揺が走った。皇帝劉玄の大司馬だいしば劉秀にくか、成帝の遺子りゅう子輿しよに附くかである。太守彭寵は既に揺らいで劉子輿に附くべきなりと言い出す。安楽令呉漢は幾度と無く耳にした大司馬劉秀の人物ゆえ、するはこの人と思えば、彭寵に説いて曰く「漁陽・上谷の突騎とっき兵は天下に名を知られる所。君、何ぞ二郡の精鋭を合し、大司馬劉公に附いて邯鄲かんたんを撃たざるや。これ千載せんざい一遇いちぐうの好機なり」

 彭寵然りと思えども、官僚の王郎に附きましょうと云う声をくつがえすにあたわない。営尉えいい蓋延こうえんは大司馬劉秀にくべしと声に出すが、何故と問われて、昆陽で百万の軍勢に少兵で立ち向かうは、漢を背負いたるが故、この将軍を信ぜずして如何にせん、と答えて勇を尊ぶだけで論拠ろんきょが伴わない。呉漢、朴訥ぼくとつにして巧言こうげんろうすることを知らぬ故、これではき落とせないとさとると、太守府を辞す。

 呉漢、城外の宿に至り、如何いかなる計を以て衆をあざむこうと思えど、計は浮ばぬ。呉漢、路上を見やれば、浮浪の民多く、飢えて食を求めるが者有り、そこに儒生じゅせいに似た者を見つける。この人物は何者かと呉漢、人をって食を与え、接見せっけんして物を問う。

 呉漢曰く「何処いずこから参られた」

 儒生答えて曰く「中山ちゅうざん郡から、劉公が北へ参るゆえ、先に漁陽に入ろうと思い来る」

 呉漢、問いて曰く「劉公とは、大司馬りゅう文叔ぶんしゅく公のことか」

 儒生答えて曰く「左様」

 呉漢更に問いて曰く「汝は劉公の噂を知るか」

 儒生答えて曰く「劉公の過ぎる所、郡県が帰順きじゅんする所と為る。然るに邯鄲にて天子を名乗る者は実は劉氏にあらず」

 呉漢、きょうを引かれたが顔には出さず、更に問いて曰く「我、聞くならく成帝せいていの遺子、劉子輿りゅうしよ。しかるに汝は偽者と言われるか」

 儒生、目を上に向け呉漢の目に合わせて笑って曰く「我、嘗て邯鄲に学びし時、卜占ぼくせんを受けました。彼の卜者の王郎なり。王郎、劉子輿隠棲いんせいすと喧伝けんでんするが、自身が劉子輿とは」

 呉漢、ふむうとうなり顔には出さねど、これこそ願っていたことと喜ぶ。そこで呉漢、儒生をしばし待たせると、大司馬劉秀の筆を真似まねて檄を作る。再び呉漢、儒生に向って、頼みて曰く「ここに劉公の檄あり、汝、彭太守にこの檄を渡し、汝の聞きし事を伝えてくれまいか」

 儒生、呉漢の計を見抜くが、にこりと笑い、答えて曰く「一飯の恩義、太守に我が聞いたことを伝えるので返せるのであれば、即座に」

 即ち儒生、彭寵に至って檄を渡し、見聞きするところをつぶさに説く。呉漢、儒生の下がった後から素知らぬふりでまかり出れば、彭寵ははなはだ得心していて、劉秀に附くのを明らかにする。即ち、劉秀のため、呉漢に太守のそえを兼ねさせ、兵馬をととのえさせる。一方、漁陽の西に位置する沮陽では、太守耿況が既に耿弇の書を受け取って、次官景丹、功曹寇恂共々昌平に至っていた。


 薊の劉秀、邯鄲はおろか、北部近郡の漁陽・上谷での動きを知らず、王郎の兵が来ると聞き、南に逃げるべきかと衆を集めて評定ひょうじょうを開く。

 耿弇、前に出て曰く「今、邯鄲の兵、南から来たれば、南に行くべからず。漁陽太守彭寵は公の同郷南陽の人にして、上谷太守は我の父なり。この両郡の弓射きゅうしゃ騎兵きへい、万騎を発せば、邯鄲はおそれるに足りず」

 劉秀の官属・腹心みながえんぜずして曰く「死者は北を向き、生者は南に向くという。何ぞ北に行きて逃げ場の無い、言わば袋小路におちいらん」

 しかし劉秀、しばし黙りこくって後、静かに耿弇を指差して曰く「この者、我が北方の案内人なり」

 劉秀の決断で一行は北を選び、評定は終わる。耿弇は自分の宿舎に戻り、劉秀は夕餉ゆうげを取ろうとする。ところが薊で王郎に迎合げいごうしようとした者が挙兵した。元の広陽王劉嘉の子、劉接りゅうせつである。王莽の世から劉玄の世に代わった故に、皇帝劉玄には復位を認められず、謁者は通り過ぎ、劉秀はどう扱うか手をこまねいた。そこで、遂に劉接、王郎の挙兵に応じたのである。城中は擾乱じょうらんし、恐慌をきたし、邯鄲の使者当に至らんと、太守・次官等総出でこれを迎える。狙われることを悟った劉秀、車に乗り城を出ようと欲す。人は群がり寄せる。

 劉秀、車駕しゃがながえを南に向けて急ぎたてて出ようとするも、これを観ようと衆は集まり、やかましく叫んで道にあふれ、車駕の通るをさえぎり、進むことあたわぬ。これは不味い、兵が襲えば一堪ひとたまりも無い。

 そこで銚期ちょうき、身の長け八尺二寸の偉丈夫いじょうぶ、馬に乗るとげきを振るって、目を怒らせて大いに左右に叫んで曰く「お成りである、ひかえおろう」

 銚期の容貌ようぼう絶威ぜついである。その声の方向を向いたものははっとする。更に人民は、天子への礼を忘れた訳でない。よってたじろいでたちまち道を開ける。

 銚期、天子の「お成り」と叫んで道を開き、南門に行き着くに及んで、門既に閉じたるも、これを攻めて開けさせる。劉秀の一行、危機一髪のところを南へ道を開く、しかし、そこは本来帰る筈でなかった南であった。この段になれば、再度北へ行こうと説くのは無理と、劉秀は南に進もうと一行に伝える。

 騒乱のため耿弇は、劉秀とはぐれることになり、北門から脱出しようとする。門番が騎馬を出すまいとするので、咄嗟とっさの機転で耿弇、ならば我が騎馬を汝に与えよう、我は馬無しなり、と言い放つ。耿弇、かちで薊を脱出する。昌平まで行けば、何とかなる。人の足でも一日あれば辿たどり着く。寒風吹きすさぶ中、一人、寒さをしのぐを兼ねて、耿弇は走った。


 徒で昌平に至った耿弇、我が目を疑った。太守耿況、既に耿弇の書を受け取って昌平に至るにも拘わらず、王郎の将が来たれば、急ぎたてられて王郎のために兵を発していたのである。耿弇、耿況にいずれに就くべきか説く。

 また寇恂、属官の閔業びんぎょうと共に耿況に説いて曰く「邯鄲俄かに起こるも、信服するに難し。少し前、王莽の時、はばかる所はりゅう伯升はくしょう有るのみ故。今聞くに、大司馬劉公は劉伯升の弟にして、賢を尊び士に下り、士多くこれに帰すと。寄りすがるはこの方なり」

 耿況返して曰く「とはいえ、邯鄲まさに盛んにして、郡の力、独り防ぐこと能わず」

 寇恂、答えて曰く「今、上谷は充実し弓を射る騎兵は万を越える故、大郡の総出を挙げて以て明確に去就きょしゅうを選ぶべきなり。我請うらくは東の方漁陽と約せん。心をひとしくし衆をがっすれば、邯鄲は図るに足らざるなり」

 耿況、然りと、寇恂を漁陽にる。


 男は、地図を見詰めて考える。声を出して曰く「この時、北に向かえば、或いは評定の後すぐさま行動して居れば、或いは、元関内侯を関内侯としていれば」

 男は、にこりと笑むと曰く「天命があるとすれば、これだけの失態しったいつぶされなかったことは、まさにそうであろう」

 男は筆の柄を地図の薊に当て、南へ僅かに西に傾いで引く。その筆を返して、いつもの竹簡に二文字を書き足す。

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