盧奴(ろど)

盧奴

 盧奴ろど


 王郎おうろうの挙兵なぞ何も知らない劉秀りゅうしゅうは、曲陽きょくようからまっすぐに北に向い、中山ちゅうざん郡に入って撫循ぶじゅんし続ける。中山郡太守は、嘗ての紅陽こうよう王立おうりつの末子、王丹おうたんである。王立は甥の王莽おうもうと反目し合う故に、いた国である南陽なんようの劉氏に便宜べんぎを図った。因って王丹、王莽のしんを倒したかんの皇帝劉玄りゅうげん謁者えっしゃにも降って、今また劉秀を喜んで迎える。一方、遮二無二しゃにむにに車馬を走らせた耿純こうじゅん宋子そうしに着けば、一族郎党に劉秀の居所を探し出させる。直ぐに宋子の北にある下曲陽から更に北、盧奴に劉秀在りと分かれば、耿純、従兄弟いとこ耿訢こうきん耿宿こうしゅく耿植こうしょく共々と、盧奴に馬を走らせる。噂を広めたつもりは無くとも、耿純の行動は宋子を起点として異変を伝えることになり、州北部へ一番早く王郎の挙兵を喧伝けんでんした。そして、その噂は、宋子を通り過ぎるだけの旅人にも影響を与えることになった。

 その旅人の一人に耿弇こうえん、字は伯昭はくしょうという青年がいた。二十一歳というまさに若人である。父の耿況はくきょう上谷じょうこく太守で、王莽に任じられたため、劉玄が立つとなれば身を案じ、若いが頼りになる耿弇に、帝に奏を奉じさせ献上品を出し、身の保全を図ろうとしていた。長子耿弇が洛陽らくよう長安ちょうあんへ行こうとするのは人質の意味もあった。

 耿弇の副使である孫倉そんそう衛包えいほうは共に謀って曰く「りゅう子輿しよせい帝の正統である。これを捨て置き帰順きじゅんせず、遠くまで行ってどうする」

 耿弇、剣柄に手を掛けて曰く「劉子輿は単なる賊、遂には降虜こうりょとなるであろう。我は長安まで至って、国家のために漁陽ぎょよう・上谷の兵馬の用益有らんことを述べん。邯鄲を避け、西方の道、太原たいげん郡・だい郡を往復してかえれば数十日。帰って突騎とっき兵を発し、烏合うごうの衆を蹂躙じゅうりんすれば、枯れたものを砕き、腐りしものをつぶすが如くなるのみ。汝らを見るに誰にくかを知らず。族滅ぞくめつさせられるも遠くない」

 孫倉と衛包、従わず王郎に降ろうと欲し、逃亡した。耿弇一人、宋子から北は代郡へ行こうとすれば、道中、大司馬劉秀が盧奴に在ると聞き、そのまま馬をせて北上するや、拝謁はいえつを願う。


 ほとんど叩き起こされるようにして、耿純らから王郎挙兵せりの報を受け取った劉秀、まさに寝耳に水であった。当初、寝ぼけ眼であった劉秀、邯鄲が反逆したと悟ると、途端にかっと目を見開いた。もう一度最初から話を順序だてて話してくれと頼むと、まんじりとせず聞き込む。

 話が一段落したと見ると、劉秀は尋ねて曰く「王郎とは如何いかなる者か。我知るのは卜占ぼくせんの徒の王郎のみ」

 耿純答えて曰く「その卜者の王郎が、成帝の落とし子、劉子輿と名乗って挙兵いたしました」

 劉秀返して、曰く「成帝の落胤らくいんと名乗っただけで兵が集まる筈がない」

 耿純答えて、曰く「りゅう休和きゅうからが持ち上げました」

 劉秀の脳裏に劉林の姿が浮かび、話が飲み込めた。赤眉せきびの不安が劉林らを中心とする豪族を動かし、王郎が格好の御輿みこしとなったのである。劉秀は帝に担ぎ出された劉玄を思い出す。劉秀、伏せる耿純を見る。劉林を見よと邯鄲に残したが、出し抜かれた。叱責しっせき覚悟かくごで、一報を伝えんがために早馬を飛ばしてきた。胆がわった男だ。そこで劉秀は何日挙兵が起こったかを尋ねる。わずかに三日前、車馬を走らせ強行を重ねてきたのが良く分かった。

 劉秀は伏せる耿純をねぎらって、曰く「実にご苦労であった、僅かでも評定ひょうじょうを重ねることが出来るのは汝のお陰である」

 劉秀、次の日の朝にどう対応するか議すこととし、一日の間、一同に策を練らせて後、評定の冒頭にこう話し始める。先ず王郎と和するかるか。王郎は皇帝と称した、これは劉秀のいただく皇帝劉玄と和せないことを意味する。先ずそれだけを確かめ議する。反るとすれば戦うか、いや大司馬とは言え劉公は軍を率いてきた訳ではない。方や王郎は邯鄲を掌中しょうちゅうに入れたという、これは敵に数万の兵士があることを意味する。では逃げるか、何処いずこへ、真南の洛陽に逃げたいが、間に邯鄲がある。では東南へ迂回うかいすべし。それでは黄河を渡れば城頭じょうとう子路しろちょう子都しとに当る。彼らは味方であるのが幸いだが、或いは赤眉に当たるかも知れない。西南へ、つまり真定しんてい国に入れば。真定王はどう動く、大司馬劉公に味方するか、それとも王郎に味方するか。劉秀、耿純をうながせば、耿純、真定王は自らを王と認めるなら、いずれにも味方しましょうと言う。

 耿純更に続けて曰く「真定王、劉公をふところにし、王郎に劉公の首と引き換えに真定を安んじようと誘われれば、劉公の首を差し出しましょう」

 一同愕然とするが、目にした真定王では、それが当然に思えた。南には行けないか。いや東南へなら、赤眉に当たるとも限るまい。しかし、それは憶測でしかない。真直ぐ東は海に至るしかない。西なら山また山、盧奴からでは切れ目なく、車馬が使えない。なら北だ。しかし、北に行って何がある、誰か味方してくれるとでも。論議は低回し、らちが上がらず、一日が無駄に過ぎて行く。


 劉秀自身も尚も考えている夕刻、来訪者があると護軍ごぐん朱祐しゅゆうに告げられる。何処どこかの太守の長子がお目通りしたいと言う。鄧禹とううはと劉秀が尋ねれば、鄧将軍は劉公の命にて、州北部をうかがいに参いっておりますと答える。そうであったと、仕方なく、劉秀、一通りの礼儀を持ってその若造と目通りし、我は今忙しいが、しばらく留まれば相手も出来ようと言うと、若造を吏と為し、取り敢えず朱祐に預ける。

 預けられた朱祐も困ったが、堅苦しい性格から、先ずはどれほど教養があるのかを問い始める。『礼』について尋ねてもすらりと答え、『詩』についてもすらりと答える。朱祐、背筋を伸ばして誰に習ったかと問うと、父他から習ったと答える。ご尊父そんぷはと朱祐が問うと、既に話しているが、解されていなかったと分かり表情をくもらせるが、息を整えて答えて曰く「我が父は上谷太守耿況、字を俠游きょうゆうと申す。父は経に明るきを以て郎となり、王莽の従兄弟王伋おうきゅうと共に安丘あんきゅう先生に学び、上谷太守と為る」

 朱祐、これは本当に上谷太守の子息と理解する。そこで、盧奴の北東に位置する上谷の太守の子息が何故南からやって来たのかを尋ねる。若造、仔細しさいを答え、上谷・漁陽の突騎を用いんことを願う。朱祐、この若造耿弇を従えて、即座に劉秀に目通り願う。劉秀、朱祐から仔細を聞き、耿弇に直に話させる。

 耿弇曰く、「上谷・漁陽の突騎を従えれば、邯鄲は落とせましょう。我に帰って兵を発せさせんことを」

 これを聞いて、劉秀は笑いて、曰く「小輩しょうはいにして、大志を抱かんか」

 劉秀、耿弇を大いに気に入る。


 南からの王郎勢力が延び、劉秀らは止むにやまれず北へ、けいに向かう。時間稼ぎでもあった。しかし、劉秀らの思惑おもわくには北に抜けられれば、耿弇の考えたように代郡・太原郡から長安へ抜ける道があった。劉秀の辿たどってきた道自体、しん始皇帝しこうていが邯鄲を通って巡幸した道筋であり、匈奴きょうどさえ許せば、始皇帝と同じく薊から西に回って雲中うんちゅう郡・じょう郡を抜けて長安に至ることも出来ない訳ではなかった。

 評定の中に居て、耿純は今更ながら、劉林りゅうりんの動きをつかみきれなかったことを悔やむが、劉秀を頼れない今、従兄弟らと宋子に戻り、兵を集め、これを守ろうと欲す。

 耿弇は劉秀に同道し、度々たびたびされて語らい合い、父にげきを送る、曰く「大司馬劉公、常に無い大人物なり、この人にかねば、就く人無し。我自ら疑うに、我年少であれば信じて貰えず。よろしく自ら来るべし」

 劉秀一行、北に進めど王郎の噂は強まり、劉秀の配下も一人また一人と去るものが出だした。劉秀の配下の賓客ひんきゃくに至っては、尚更であった。王覇おうはもまたそれに悩んでいた。

 劉秀、王覇を激励して曰く「潁川にて我に従いし者、みなく。しかるになんじ独り留まる。努力せよ。疾風しっぷう勁草けいそうを知る」

 風が吹いて、草が強いか弱いかが分かる。苦難に遭って、人が強いか弱いかが分かるのだ。劉秀、自らが強き草であることを示さねばならぬと、深く思う。


 男は机を立つと、背を向けて考える。地図を取り出して机の上に広げ、頓丘とんきゅうを見つけると筆の柄で小突き、にこりと笑う。真顔に戻って、邯鄲、真定、下曲陽、盧奴、薊を順に小突く。鬚を空いている手でしごくと、宋子、邯鄲、宋子、盧奴、宋子と小突く。また、上谷沮陽そよう、薊、宋子、盧奴、薊と小突く。

 男はぽつりとつぶやいて曰く「すこぶる面白い。し、彼の智将、ここを通らねばどうなっていたであろう」、そして宋子をこつりこつりと小突く。

 また呟いて曰く「それより問題はここだ」と、筆の柄でくるりと薊を回る。筆を持ち返ると腰掛けに座り、竹簡に一文字書き加える。

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