真定 その3

 劉秀がなんとか真定王との会見を済ませた頃、困っていたのは劉秀に去られた邯鄲の劉林りゅうりんである。赤眉せきびの軍が漳水しょうすいの東に現れたという噂を信じ、それがため大司馬劉秀に討って貰おうとしたが、劉秀は真定に去ってしまった。そこで、悩んで知己ちき卜者ぼくしゃを訪れる。

 耿純こうじゅん、放った間者よりその話を聞くが、占い師を訪れるというので気に留めず、放って置いた。

 その卜者、卜占ぼくせん・人相見を生業なりわいとするが、天文暦に明るい。姓名を王郎おうろう、或いは王昌おうしょうという。

 王郎、劉林の話を聞いて、曰く「つまり兵を集めるために、王族の名が必要と言われるか。そこもと、平干へいかんびょうげんの御子息、汝が立たれれば良いではないか」

 劉林答えて曰く「平干繆王元の後はせん帝によって絶たれたゆえ、立てば逆賊となる。今上帝が我を王とすれば良いのだが、大司馬は許されまいと言う。当てにしていた大司馬は北へ去られた。そこでだ、汝に聞いた人を明かして欲しい」

 眉をひそめた王郎は、しばし思案する。王郎は、邯鄲が立てられる人物というのを以前にも豪族たちに尋ねられ、こういう者がいる、と話していた。

 王莽が漢を簒奪した当初、長安に自らせい帝の子の子輿しよと称する者が現れ、王莽はこの者を捕えて殺した。この殺された男は、真なる子輿をかたった者である。実際に成帝の子の子輿なる人物がいたのである。その真なる者は、成帝の歌姫の子である。この歌姫が身籠みごもり産所に詰め、その子を産むや、皇后ちょう飛燕ひえんが害そうとするが、赤子をり返る事で難を逃れた。この子輿が十二歳の時、成帝の子と知る郎中・曼卿まんけいによってしょくに連れられ、十七の時には丹陽たんように至り、二十の時には長安に戻った。この時、劉子輿、ねんごろにしていたちゅうという男に素性すじょうを明かした所、武仲、自ら劉子輿と名乗り出た。これが殺された騙り者であった。事件の後、真なる者は中山ちゅうざんを転々と、趙・えんを行き来し、漢を復す時を待った。王郎が劉林らに示したのは、この劉子輿の存在であった。

 皇帝の忘れ形見、本来なら話にならないと唾棄される噂である。しかし前例があった。宣帝その人である。武帝に叛乱を働いたと看做みなされ、結果誅された戻太子れいたいし劉 拠りゅうきょと子息の皇孫こうそん劉進りゅうしんであるが、劉進の子劉病已りゅうへいい、すなわち武帝の曾孫はどうにか災禍を潜り抜け民間に育った。そして大司馬だいしば大将軍霍光かくこうらに引き上げられ遂には皇帝となった。それが宣帝である。


 王郎が口を閉ざしてしばらく、劉林はれて問い詰めて曰く「その方はどちらにいらっしゃられる」

 王郎曰く「我が言を信じられるか。捕えて殺そうとお思いではないか」

 劉林返して曰く「我らの上に立ってもらえばこそ。赤眉はすぐそこまで来ておる。それに何故に害さねばならぬ。くとお教え願いたい」

 王郎は、しばし待たれよと言うと、立ち上がり、部屋の周りを調べ、裏手から外をうかがい、人気ひとけが無いことを確かめて戻る。よろしいかと劉林に向かうと、立ったまま厳かに喋る。

 王郎曰く「成帝の子、劉子輿は」、一拍置いて続け、「我なり」

 劉林はぎょっと眼を見開いて王郎を見上げる。

 王郎は静かに続けて曰く「我は、卜者として世にひそみ、趙・燕を巡り、時を待った。劉子輿を信じ、これを立てて復漢ふっかんしようとする衆を求めて、これはと思える人には、我の流離譚りゅうりたんを伝えた」

 劉林、はっとし顔を伏せ、ぬかづく。劉林は王郎が以前から言っていたことを思い返す。王郎は劉子輿をつまびらかに知っている。王郎は劉子輿に連絡を取ることができる。王郎は劉子輿を御歳三十三と言っていたが、王郎の外見の年齢もその程度である。王郎が劉子輿であれば、当然である。

 劉林、声も絶え絶えながら答えて曰く「これはおそれ多きかな。このりゅう休和きゅうか、思い至りませなんだ」

 王郎、腕組みして曰く「しかし、難しい。前にも言った通り、劉子輿は、昔、素性を明かして裏切られた故、それ相当な保証が無ければ、衆の前に姿を見せる訳には参りませぬ」

 劉林曰く「何とすれば、汝、いや陛下を説得できましょう」

 王郎返して、曰く「人と地と天。すなわち劉子輿を信ずる衆があり、まみえるは劉子輿のみ一人逃れられるような場所、時は夕暮れの後、人に知られぬ時なり」

 劉林は答えて曰く「心得た、備えん」

 そして劉林が去った後、一人座したる王郎はつぶやいて曰く「北に王帝の気配ありと、来て見れば」、そして口を閉じると、口許くちもとゆるめてかすかに笑う。

 車に乗り、考えながら自分の館に戻る劉林、車を降り、館につき部屋に戻ると、帯た剣を外す。その平干繆王元の青銅の剣を手に取りじっと見て、最後に吐息して呟く、曰く「真贋しんがんは問わず、畢竟ひっきょう、立てられる者がおれば良し」

 劉林、早速、賓客ひんきゃくたちに準備をさせる。


 王郎は、劉林の用意した場所にようやく納得した。邯鄲の城の外の風雨を避けるだけの四阿あずまやを戸で囲ったものである。その中に信じる者は入り、中からかんぬきを掛けて、只、窓を開けて待ち、外から劉子輿は来るが、もし危険と思えるなら劉子輿は即座に夜のとばりに逃げられるようになっていた。月の明るい夜、劉林ひそかに自分の屋敷を出、豪族の李育りいく張参ちょうさんらと、そこで待った。やがて辺りを慎重に窺いながら、王郎がやってくる。

 劉林は打ち合わせていた通り問いて、曰く「帝は来られるか」

 王郎はその前に問い返して曰く「汝らは皇子劉子輿を信じる者か」

 諸衆は全て肯き、王郎は更に問いて曰く「汝ら、劉子輿を見ずして、我の言よりそれを信じるという。しかりか」

 諸衆はまた頷き、王郎は最後に問う「ならば、劉子輿が如何なる人であろうと、汝らは疑わぬと言うのだな」

 諸衆は王郎の含みをいささいぶかしく思えど、劉林の「諾」の声に促されてまた頷く。

 王郎曰く「漢の成帝の子、劉子輿は」、一拍置いて続け、「我なり」

 諸衆は声を上げ掛けたが、かろうじて押えた。

 王郎は静かにその流浪の人生を語り続けて、最後に結んだ、曰く「この様に、我は卜者として世に潜み、時を待った。我を信じ、共に復漢の兵を立てる者を求めて」

 劉林、自分に語ったのと全く同じ台詞せりふであると思うも、即座に顔を伏せ、膝を屈すると大声を上げて曰く「陛下の御前ですぞ、みな屈せん」

 諸衆、皆膝を屈する。諸衆、劉林の導くまま王郎を成帝の遺児いじとして認め、これを帝に立てようと欲す。邯鄲の豪侠の劉林・李育・張参が檄文を書き伝える。たちまち、王郎の元に赤眉に対するために兵士が集まり始めた。

 時は更始元年、十二月半ば。劉林らは車騎数百を率い、明け方、邯鄲城に入って、古の趙王の王宮に止まり、王郎を立てて天子と為す。劉林をじょうしょうと為し、李育を大司馬と成し、張参を大将軍と為した。それぞれの地方に将帥を遣わし、幽州、冀州を調略しようとする。

 檄文を飛ばして曰く「各州の刺史、郡の太守にみことのりす。ちんは成帝の子の子輿なる者なり。昔、趙氏のわざわいに遭い、更に王莽に天下をさんだつされしも、朕の天命を知るものによって護られ、黄河の岸に身を逃れ、趙・魏に跡を隠した。王莽は位を盗んで、罪を天から獲て、故にてんゆうは漢に来る。とう郡太守てき厳郷げんごう劉信りゅうしんは兵を挙げ、胡賊こぞくをして漢に出入りさせる。天地万象ばんしょう、朕の隠れて人の間に在るを知り、南陽の劉氏、その先駆けと為る。朕は天を仰ぎ見て、ここに興り、十七日壬辰じんしんを以て趙宮に即位する。祝気しゅくきは重いほどに立ち昇り、時に応じて慈雨じうかもす。世に聞くに国を治めて子の父を継ぐは古今変わらず。りゅう聖公せいこうは未だ我を知らず、故に暫く帝号を持した。諸人、義兵を興し、皆以て朕を助ければ、皆まさに封地をさずかり幸いを子孫に享受きょうじゅさせるべきなり。既に、劉聖公及び太守翟義に詔し、すみやかに功臣と共に天子の地に到らせよう。懸念すべきは、刺史しし・太守は皆劉聖公の置いた者にて、未だ朕の隠棲せるを見ず、或いは去就を知らず、強き者はその力を頼み、弱き者は恐れ惑う。今万民は、傷つき痛むこと半数を越え、朕はなはだこれをいたむ。故に使者をつかわして詔書しょうしょを分ち下させる」

 すなわち、王郎、民が漢を慕うを以て、亡き東郡太守翟義は死なずと言いて、人望に従う。


 劉秀陣営で、この変にいち早く気づいたのは、耿純であった。監視していた劉林がふと姿をくらまし、警戒していると、邯鄲の豪族らが城内から消え去ったという報を受けた。耿純は流石さすがに王郎が挙兵するというのまでは読めなかったが、万一に備えて周囲の者に身支度みじたくをさせた。邯鄲城に入った王郎らは劉秀の残していった耿純らを捕えようとするが、耿純は既に節を携えて配下と共に夜半に城を抜け出していた。日が昇ると、耿純は節を用いて道中の車馬数十を徴用し、すぐさま北は宋子そうしへ向かった。

 立った王郎、大司馬李育に兵を率かせ、漳水を見張らせる。しかし、そこには赤眉の影も形も無かった。虚の赤眉、虚の劉子輿を実の帝位と為したのみである。されば、王郎、ゆう州、冀州を収め、皇帝劉玄の太守・刺史を配下に押さえさせ、皇帝劉玄の大司馬劉秀を捕えよと檄を飛ばす。


 男は、また口に出して曰く「賊軍が河向こうにいるとする噂も、くだんの卜者が流したとすれば、全ては、卜者の思いのままに進んだようにもなる」

 腕を組んで外し、天井を見て床を視る。男は最後に首を振って言う、曰く「この時、誰もが皆噂に流されていた。噂が噂を生み、意外なことを生じた。それのみなるか」

 男は、また筆を執るとまた二文字を書く。

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