真定 その2

 賈復を留めた一行は常山、更に太守の居る元氏に入れば、劉秀、太守の鄧晨とうしんと久方振りに会う。ここで劉秀、歓待かんたいを受けるが、同時に鄧晨を交えてこの先如何いかにすべきかと評定ひょうじょうを開く。問題は真定王劉揚りゅうようである。劉秀陣営、どう対応するかで意見が二つに割れた。すなわち、劉秀が帝の代理として立ちて真定王のひざくっさせるか、劉秀が帝の使いとして膝を屈すべきかという問題である。新興しんこう勢力である南陽の劉氏には、こういう場合の作法さほうの知識は皆無かいむである。鄧晨は相手の出方を窺うべきと言い、劉秀はまず真定に入って、配下同士でどうすべきかを探らせることにした。鄧晨は州を押えるのは真定王劉揚を味方にすることと言い、数日元氏に居ようという劉秀に出立をうながした。劉秀は只一日の会合を惜しむが、県令に張況を置いて常山元氏を抜け、真定に入る。

 その劉揚、王莽によって王から侯に降ろされ、更に庶民に落とされて十四年、流儀作法を知る者も身辺に残っており、それゆえ王侯の流儀で自ら復位し、皇帝劉玄がそれを認めることになり、最早その形式のみが問題であった。しかし、劉秀・劉揚、どちらの膝を屈するかは、実は力関係である。そのため真定王の配下は大司馬である劉秀に膝を折らせたがった。それが分かると、劉秀一行で、いや真定王を王として認めるのは皇帝であり、それを代行するわけだから大司馬は皇帝代理の立場に立つべきだという意見が強く出た。劉秀は耿純を邯鄲に置いてきたことをくやんだ。劉揚が何を考えているか分かりさえすれば、悩む事は無かった。仕方なく、劉秀は如何にも劉秀らしい決断を行う。


 広間に通された劉秀らは、真定王劉揚の前に膝を屈する。

 真定王劉揚は大司馬劉秀に声を掛けて曰く「劉大司馬、遠路はるばる御足労ごそくろうであった。余に用件とは如何なる」

 劉秀、打ち合わせ通りと思うが、その打ち合わせ通り返して曰く「帝の命により、印璽いんじを届けに参りました」

 袋から取り出したる印璽を掲げる。

 劉揚、曰く「大儀たいぎであった」とうやうやしく受け取る。洛陽で急ぎ作らせた印璽である。「真定王璽」と彫られている。

 劉揚、曰く、「不躾ぶしつけながらここで拝見させて頂く」と印璽を取り上げて、仔細しさいながめ見る。

 劉秀、打ち合わせには無いことだと思いながら、顔を伏せて待つ。

 劉揚、ぽつりと小声で曰く「王莽に奪われた印璽はもっと立派であったぞ」、そして声を大きくして曰く「まさに真定王の印璽なり、確かに拝領いたした」と印璽を脇の者に預けると、最後に曰く「下がりたまえ」

 劉秀、それを受けて下がる。


 当てがわれた官舎かんしゃで、劉秀は鄧禹を部屋に呼び寄せて尋ねて曰く「真定王劉揚を如何に思う」

 鄧禹答えて曰く「小器で御座いますな。御身おんみを大きく見せるため、明公めいこうをぞんざいに扱われました」

 劉秀曰く「その通り、我を引き立て役と為した。だが、帝に逆らうわけではない」

 鄧禹曰く「今はそうですが、将来は分かりませぬ。王は帝を知らぬゆえ」

 劉秀曰く「禹よ、穏やかならず」

 鄧禹にこりと笑うと曰く「王、知らぬは帝のみならず、世も知らず。それゆえ王を確実な味方に引き留めるには、世の噂を周囲に埋める必要があります」

 劉秀、鄧禹の意図いとが読めずに尋ねて曰く「如何にせよと言うのだ」

 鄧禹答えて曰く「今、明公は東西に長い真定国の西部に居られます。まっすぐ北に行くのではなく東にゆっくりと抜けましょう。真定国を十分にねぎらいながら」

 劉秀言い返して曰く「まだ分からぬ。我が労いながら通れば、真定王は何故我に味方する」

 鄧禹答えて曰く「小器な人物、実像を見てその卑小ひしょうさをけなし、虚像を見てその遠大さにおののく」

 劉秀曰く「かいせり、故に我に虚像を成せと」

 鄧禹曰く「まさに」

 劉秀一行は、真定を出るとゆっくり稿こう稿城こうじょう肥累ひるいを通る。民の様子を尋ね、請願せいがんを受ける。国とは言えこれは郡県と同じである。これは漢の旧制がそうであり、漢の旧制に従う劉揚、その積りでなければ王に返り咲くこともあたわざれば、これを認める。

 その一方、鄧禹は劉秀の好みでないと分かっているので劉秀には断らず、宿舎・広場・市でわざと王覇おうは傅俊ふしゅんらに昆陽こんようの戦いを大いに語らせる。王覇・傅俊は、陽関ようかんで見た百万軍勢の恐ろしさを語る。そして城を抜け出し兵を集め、敵将王邑おうゆう王尋おうじんを先頭切って破り、更には雷雨の中で大軍を破った劉秀の武勇をく。鄧禹自身、劉秀が如何なる戦いを行ったか仔細は知らぬゆえ、つまびらかに尋ねる。熱を帯びた語り手の周囲には人垣が出来る。話が突拍子とっぴょうしも無いと思えると鄧禹はかたわらの臧宮ぞうきゅうに真かと訊く。臧宮は朴訥ぼくとつにただ「こう」「」と答える。王覇・傅俊、愚直ぐちょくな臧宮が居る故、熱を帯しも大法螺おおぼらは吹かず、ただ見たままを語ろうとする。

 百万と号する軍勢を数千で破ったのは事実である。実質、甲冑で身を固めた兵が四十二万で、天候を味方にした奇襲策で勝ったといえども、それで武勲ぶくんが揺らぐ訳でない。噂は尾鰭おひれを付ける、その戦場で戦った猛者もさたちが真っ正直に語っていても、それを聞いた者たちは、自らの帯びた熱を又伝またづたえに重ねてふくらませる。劉秀は鬼神に祭り上げられ、何時の間にか、王莽の司徒しと王尋を討ったのは劉秀自身とされてしまう。

 そうして、虚像を為しながら、一行は真定国を抜け、和成わせい郡は曲陽きょくように入る。太守邳彤ひとうは城を挙げて降り、劉秀はまた邳彤を太守と為す。慰留いりゅうを望まれ数日を過ごして、劉秀は北へ向かう。

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