医者の責務

 この世界は病んでいる。

 病は人の心すら蝕んでいき、やがて死という名の破滅をもたらす。

 私の手の中で一人の女性が冷たくなっていく。

 病が全身へと転移し、多くの腫瘍を作り出していた。

 やがて体は腐り落ち、腐敗と病魔でもう長くない。

 そんな汚物とも病気の塊ともいえない、得体の知れぬ愛する人を私は必死に胸へと押し当てた。

 失いたくない。この世から消えてほしくない。

 天寿を全うするのならばまだいい。

 ただ病で――病で私の目の前から消えてなくならないでほしい。

 この場に私という医者がいるというのに。

 不治の病に直面した医者の絶望は、計り知れないことを思い知った。

 私はみじめで――無力でちっぽけだ。

 心臓と呼吸の音が微弱になり、覚悟を決めたその時だった。

 杖を持った魔法使いらしきローブ姿の男が、病室に突如現れたのだ。

 私たちの目の前でローブの男は立ち止まると、杖を女性の額に押し当てる。

 胸の中の彼女の呼吸が安定していることに胸を撫で下ろすと、ローブの男はいなくなっていた。

 その後、少なくとも彼女は死ぬまで苦痛に悩まされることなく、私の手の中で安らかになった。

 この一連の奇妙な奇跡を胸に刻み、私は強く思った。

 私もあのローブの男のように、人を安らぎの中へといざなえる導き手となれるはずだ。

 なぜなら私は――命を救う医者なのだから。


 ◇


 赤い闘争の火花が散る。


 戦闘職にあまり思い入れもやりがいも感じられなかったが、なんとか攻防を繰り広げられる程度には形としてなっているようだと、改めて自らの練度を再認識した。


 ただ、相手はあくまでも剣士。

 後衛の支援を担当する私とでは練度も攻撃の質も違い過ぎる。


「おらおらあ! さっきから痛恨の一撃すら感じられないぞ! やる気あるのか!」


 敵の騎士が言うことは最もだ。

 だがしょうがない。


 辛うじて心得があるというだけで、このような一対一タイマンでの戦闘を私は想定していない。


 修める気もないと思っていたところに、団長からの指示が飛んできたのだ。


 この要塞攻略に私を採用したということは、後衛での支援が必要になるかと踏んでいたが、飛んだ勘違いだった。

 だが、最も不可解なのはどうしてカナリアと私を組ませたのか、ということだった。


 彼女の力はある一定の基準を満たさなければ発動しない。

 使えば一撃のもとに敵を鎮めることが可能だが、達成するまでの条件が厳しすぎる。


 故に切り札として重宝されるわけだが、今この場で最も彼女をうまく使う方法は――


 正面から剣が迫る。

 私の胸を深く斬り裂く一撃だと予測できた。

 私は口を動かした。


「カナリア」


 横凪に走る剣。


 しかし痛みはおろか、体内に異物があるという違和感すら感じられない。


 私は傍らに寝そべる件の少女を見る。

 そこには口元から赤い軌道を描き、瞳を閉じているカナリアの姿があった。


 その胸元は赤い血で濡れていた。


「なんだあ? これは」


 敵は困惑しながら剣を抜き退く。

 当然血は抜き口と剣からは滴らない。


 同時に背後で軽い咳き込み。

 どうやら相当深い傷だったらしいが、彼女には関係ない。


 カナリアの持つ魔法は、神々が天界、地上、果ては地下世界を探訪したところで見つけるのは困難――いや、不可能であろう。


 それは、見つけたという事実だけで歴史快挙というお釣りが出るほど。

 まさに神が起こす奇跡に手が届くほどの力が、カナリアにはあった。


「どんな小細工を使った。騎士の戦いを愚弄するか!」


「私は騎士ではない。愚弄も何も知ったことではない」


 ナイフによる一閃。

 敵の腕が手首から消失する。


 火属性上級支援魔法”熱線刃ねっせんじん”。

 火属性の魔力を体内で練り、武器の刃へとそれを纏わせる。

 纏った武器はあらゆるものを切り裂く高熱の刃となり、あらゆるものを切り裂く。


 背後の患者カナリアのバイタルに気を配りつつ、私は一気に勝負オペを終わらせるべく、その一刀を振るう。


 敵は消えた腕の衝撃によりあたふたとしている。

 戦意喪失した者が取る行動だ。


「お前……本当に後衛か?」


「ああ。最も、お前達とは何倍も鍛え方が違うがな」


 白い閃光。


 地面に兜が落下し、床に赤い水たまりを生成。

 私は一息吐いてナイフの血を払うと急いでそれを仕舞い、手負いの患者の元へと急ぐ。


「カナリア、しっかりしろ」


 彼女は私の手の中でぐったりと死人のように項垂れている。


 口元の血を拭い、急いで鞄に収納していた輸血用パックから伸びたチューブを手首へと刺す。止血用の布を胸の傷口へと当てる。じんわりとした色の赤と温もりが、手の中へと広がっていく。


 ふと、若干冷たい体で彼女が瞳を開いた。


「あれ……終わったんだ……早かったねカルッち」


「その呼び方は止めろと――まあいい。とりあえず今は健康を第一にしろ。血が流れ過ぎだ」


「あはは……もしかするとここで発動しちゃったりして」


「馬鹿言え。そしたらさすがに詰みだ。お前に暴れられたんじゃ、ひとたまりもない」


「いつもありがとうね、カルッち」


 ひとまず幹部らしき相手は倒した。

 あとの役目は、自分たちよりも適任がいる。


 何より私の今取るべき役目は、今手の中にいる絶対安静な患者の安否と、能力の神髄を発現させないこと。


 私は事態が収束するまで、ここで救援が来るのを待つことにした。

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