それぞれの戦い

 元来、医者という生物は周囲に対する気配りのステータスが異常だ。


 したがって、私が周囲を見渡すと誰も彼もが不健康極まりない、かつ将来的に大病を患うであろう患者ばかりが目に入ってしまう。

 そして私の気配りという名の第六感を誘発してくる最たる存在こそ――


「カルっち~。ねーアタシ疲れた~、おぶって~」


「お前は健康体だろうカナリア。それと私にはカルミール・カロスという立派な医者としての名前があるんだ。口が利ける利口な患者予備軍であるうちにはそう呼べ。わがままを言う患者は症状にもよるが基本好きじゃない」


「はいはい、カルっち~。これはビョーキとかじゃなくてアタシの話し方って言ってるでしょー」


 飄々とした様子で薄暗い夜の要塞内部を、私の隣にいるカナリア・ロマンシアはそそくさと歩いている。


 医者という生物は診療以外で患者と接触することは基本タブーである。


 もし日常会話を求めるのならそれなりに別料金を頂戴する場面ではあるのだが、この愚患者は残念なことに私と主を共にする組織のメンバーのため、それが叶わないのであった。


「つーか、一体いつになったらレイカっちの大事な子見つかるの。カルっち~、いつものあれで探して~。心臓の音で見つけるやつ」


 カナリアは私の袖をぐいぐいと引っ張りながらわいわいとしつこく要求してくる。


 患者というのはもう少し医者の気持ちを理解すべきであることを説明する前例モデルケースになりそうだと分析し、私はそれに応じることなくため息を吐いた。


「できるわけないだろう。カナリア、この要塞に一体どれほどの患者がいると思っている。悪腫瘍の切除に時間がかかるのと同じだ。つべこべ言ってないでさっさと探せ」


「分かったよー。つーかさ――さっきからアタシらのこと見てるやつ、いない?」


 カナリアがそれまで纏っていた、やんわりとした呼吸が突然切り替わる。


 それはこの場に治療師が総動員した、集中治療室のような雰囲気へと変貌。


 今まさに執刀しているかのような空気感を私は一身で味わう。


 するとそれに合わせるかのように、愉悦に満ちた笑い声がこの薄暗い廊下から聞こえてきた。

 ガシャガシャと、甲冑のブーツが地面を叩く音が奥の方から響いてくる。


「バレちまったならしょうがねえ。まさかうちを襲う夜盗集団に、伝説の夜の旅団、ワイルドハントの一行様が来るとはな。うちもえらく有名になったもんだ」


 非常によくない声の出し方だ。あとで声帯でも見てやろうと思っていたところに、その患者は姿を見せた。

 男は両手を広げて笑顔を見せながらそう話す。


 匂いについても問題だ。湯舟に使っていないことが臭気だけではっきりと分かる。非常によくない健康状態だ。


「キモ過ぎ。さっさとこんなストーカー野郎、私たちでやっちゃおうよカルっち」


 幼女のように憤慨するカナリアが私の袖ではなく、今度は腕に体を巻き付けながらそう促してくる。


 私は別に極寒地帯にいるわけではない。

 低体温症を防ぐための密着行為は不要だと頭の中で思ったが、とりあえずこの愚患者の回答には応じなければならないため、


「分かった分かった。病名はそうだな――」


 私は団員に与えられる灰色のマントの端をつまみ、勢いよく翻す。

 派遣での戦闘オペを考慮し、いつでも執刀準備は万端だ。

 私は胸と腹部に収納しているいつもの慣れた手つきを合図に、頭のスイッチを日常から医者へと切り替える。


「『幼女連続誘拐』病の切除を開始する」


 初動は素早く。


 私は一気に敵の懐へと潜り込む。


 小さなナイフが閃く。


 ガキン、という異物の音が私の一刀を防いだ。


 反撃を防ぐべく数歩後退。


 病人の手元には錆びれてボロボロになった鉄の剣が握られている。

 今にも壊れそうなそれの表面は非常に禍々しい。


「なんだ、意外と軽いもんだな。伝説の旅団の一撃も」


「私の本分は戦闘職ではない。したがって、前衛という傷だらけの患者を増やすだけの戦局に自分から加わろうとは思わない」


「へーそう。なら後衛ってことか。ラッキーだ。初当たりが戦闘職じゃないなら、余裕だな」


 少々手こずりそうな愚患者だと、私は長時間の摘出手術に唾をのむ。

 途端、背後からこの場には似つかわしくない声がする。


「カルっち~、必要になったら名前呼んで。それじゃあ手術がんばー」


 私は背後で当然の如く寝そべったカナリアから視線を逸らす。

 彼女の取っている行動は正しい。


 実際、カナリアのやれることと言えば寝ているか、この場にいることだけなのだ。

 いざという時を除いては、の話だが。


 私はそのいざという時が来ないことを祈り、静かに相手の方へと意識を集中させる。

 

 ◇

 

 暗い夜の要塞。


 あちこちで戦闘音が響き渡る中、私は聖堂から少し離れた武器倉庫へと訪れていた。


 分派の鉄則として、裏切り者が出た場合の対応策である。


 普段持ち歩いている愛用の武器とは別の大型武器――大弓や大斧など――はいざという時のために入れておくのがここのルールだ。

 私は決戦の時と判断し、混乱する戦場の中、ここへと訪れていた。


 ようやく自分の得物を見つけ、ランプ片手にそれを持ち出そうとした時だった。

 それが私と同じタイミングで武器に手を重ねたのは。


「え?」


「こんにちは、美しい女性の人。吾輩は――」


 即断即決。

 私はここが武器倉庫であることを忘れ、隣の人物目掛けて蹴りをかます。


 武器を立て掛けているスペースが次々と豪快な破砕音を立て、パラパラと埃と木屑を辺りに撒き散らした。


 私は咄嗟の無意識な行動に思わずはっと我に帰るが、今思い出してみると先ほどの人物は分派の同士ではなかった。


 しかし妙である。

 この倉庫の存在を知る者は団員以外にいないはずだった。


 どうやって聞き出したのか気になるが、おそらく魔法による情報の漏洩だろう。


 ここの騎士たちは中級――現代の魔法学における階位第四位の魔法――程度の幻惑魔法には屈しない、抗魔印こうまいんを体に付与している。


 それを打ち破り、ここを聞き出したとなれば相当高位の魔法使いであると察しがついた。

 私は兜から覗く暗闇の中から、相手の様子を伺う。


「いてててて。まったく、近頃の女性は物騒じゃ。非常に吾輩好みではあるが、近寄りがたい。こういう時は肩の荷を下ろす最初の挨拶スキンシップが相応しいじゃろう」


 腰を労わるようにコツコツと背中を叩きながらゆったりと起き上がる。

 服についた埃を払い、身なりを整えて咳払い。どうやら格式の高い家の出身だと、一見してそう見える。


 だがそんなボンボンの――鼻から鋭利な髭を生やした老人がなぜこのような場所にいるのか。


 ここに来る道中で報告にあった襲撃者のワイルドハントというのは、こういった連中の集まりなのか。


「さてとお嬢さん。少し授業をしよう。なあに。そんな物騒なペンを構える必要はない。吾輩は役に立たない知識を披露するのがあまり好きじゃなくての。教えているのはそうさな――」


 白い髭を摘まむ老人。

 その隙を私は見逃さない。


 振り下ろす。一刀両断。


 一撃のもとに斬り伏せ、相手に思考する時間と余裕を持たせない。速攻性においては分派の中でも最速の私に、このよぼよぼな老人が適応できるはずがない。


 ワイルドハントといえば、西の帝国に居を構える伝説の神の旅団。


 あちらの国では神聖視されている守護神であり象徴の彼らだが、今の私たちにとっては敵であり、襲撃者である。


 そうであれば誰も文句はいえまい。


 襲撃された。だから反撃した。これ以上に神を罰する大義名分が存在するだろうか。


 いいや――無い。


 ザンっ、という衝撃が武器倉庫の床を老人ごと切り裂いた。


 私は血塗れで真っ二つになっている老人の遺体を確認すべく、正面を向こうと剣を――動かせない?


 何かが、倉庫の床に突き刺さった剣を抑えている。


 老人の足だ。

 床を貫いた剣を従えるように、老人とは思えないその足から発せられている相手の脚力が、私の剣を制していた。


 ふと、彼の手元を見やる。

 その右手には、先ほどまでなかった一冊の書物が握られていた。


「真理学。吾輩が編み出した、この世の真理を探究する学問だ。授業料は君との時間。さてお嬢さん、楽しい授業の始まりだ」


 ◇


 誰かの為に行動するのはいつぶりだろう。

 私は履き慣れないブーツを鳴らしながら、要塞の中を進んでいく。


「敵だ! 弓兵展開」


 あの子の暗闇を、私は晴らしてあげたい。


 たったそれだけ。その為なら私は、世界と自分に課した規則ルールを、破ってもいい。


 人への思いやりや情はあまりにも都合が悪く、非合理的だ。

 私は非合理側の存在だった。


 それがいつしか、私の世界をたった数刻の間に破壊してくれた眠り姫の存在によって、ものの見事に覆された。


「撃てええええ!」


 今はただ――あの世界を変えてしまうほどのなんでもない、淋しがり屋の友人に似たあの子を助けたい。


 そうして私は一歩を踏み出した。


 この要塞に入った時、すでに準備は済ませていた。

 やるなら、この正面で一気に展開してくれた時に使うのが、最も効率がいい。


 これだから上級魔法は――詠唱に手間がかかる。


「恒久の氷塊の中で、無限の万象に足掻きたまえ。”流転凍土るてんとうど”」


 廊下には放たれた弓矢と、それを射る弓兵。


 それらに向けて、渾身の一歩を踏みしめる。


 コツンと、ブーツが鳴ると同時に、足元から前方へと放射状に、氷が勢いよく広がっていく。


 それらは槍のように対象を突き刺すのではなく、すべてを包み込む氷の津波のように、目の前にいる何もかもを漂白した。


 混沌属性上級攻撃魔法、”流転凍土るてんとうど”。


 水と風属性の合わせ技により生み出された、氷の混沌属性を持つ上級攻撃魔法。


 放てば百五十歩先の範囲を、あっという間に氷漬けにしてしまう。

 凍土に幽閉された生物や物体がしばらく融けることはない。


 それまでは生きているのか死んでいるのか、よくわからない状況で世界と隔絶された現状に苛まれることとなる。


 ただいつかは融ける。それも、私の魔力が底を尽きたらの話だが。


 私は氷の中に炎――流転凍土の氷塊に穴をあけるべく開発した独自の火属性魔法――を巧みに使い、氷のトンネルを開通させる。


 背後の純白な氷塊を後にし、私は少女の元を目指すべく、第二歩を踏み出した。

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