第16話 西へ

 ヒロを同伴した富子は、暗いうちに、線路から出ていた。西日本に来たことのない富子にとって、ここが何処だか、まるで分からない。ただ、とにかくも、

 <下車>

の際に、北へ向かって歩き、線路敷地内の外に出たのは確かだった。

 季節は未だ冬である。外にいて、寒くないはずがない。とりあえず、暖をとり、又、眠気に襲われないようにするためにも、西に向かって歩き出した。

 この地域も、殆ど、電灯が点いていない。

 <闇>

の中、これが、どこまでも続くような気がした。周囲は全て、半ば、黒一色の

 <闇>

である。富子はとうとう、自身でも、このまま、進むべきか、退くべきか、分からなくなってしまった。かと言って、立ち止まってしまったら、何かが出て来そうな気配である。

 但し、自身の左側から、波しぶきの音が聞こえて来る。太平洋、或いは、瀬戸内海の波音であろう。大まかには、西に向かっているのは間違いないようであった。

 足が疲れてしまった富子は、しかし、幸いなことに、道の右脇に小さな小屋のようなものを見つけた。戸が開くか否かは分からない。それでも、数度、前後に揺すると、開いた。

 「とりあえず、お借りします」

 一言、呟くと、中に入り、マッチの火を灯してみた。中には自分以外、誰もいない。何かの倉庫であるようである。

 ヒロが鞄の中で、微かに鳴き声を上げた。

 「エサね」

 富子はそう言うと、野菜の切り屑をヒロに与えた。

 このままでは、しかし、食料もなくなってしまう。またも、何処かで失敬しなくてはならないだろう。そんな生活は、逃避行としてであっても、何時まで続くのだろう。何時までも続くはずがなかろう。

 富子は改めて、自らが、夜という自身ではどうしようも出来ない自然の摂理としての

 <闇>

に助けられて逃亡しつつも、自身が周囲の全てを敵を廻すことによって、

 <闇>

の中に居ることに気付かされた。

 そのことに気付かされたのは、持参のマッチで、部屋の灯りを灯すことによって、少し、気分的に落ち着いたことによって、心理的な余裕が出来たからであろう。

 「自首しようか・・・・・」

富子は、ここまで来て、初めて、少し弱気になったようであった。

 少なくとも、大日本帝国領内、つまり、祖国に居続けている限り、何処まで行って

も、富子を取り巻く 

 <闇>

からは脱出できないのである。

 自首すれば、この、つまり、現在の

 <闇>

からは、今すぐに脱出できるだろう。しかし、その先に待ち受けているのは、


 ・拷問


・死刑


といった、富子自身ではどうすることもできない

 <闇>

であることは言うまでもない。死刑などにされたら、それこそ、出られない

 <闇>

どころではない。全てのおしまいである。

 これまでなら、親子喧嘩等をしつつも、両親は家族として、富子を助けてもくれていた。しかし、その家族とも縁が切れてしまっていることは言うまでもない。

 又、仮に今、彼女自身が自主したとしても、両親は、

 <殺人犯>

となってしまった娘のことをかばうこともないであろう。

 「我が家の恥だ!」

と怒るに違いない。おそらくは、富子の実家は、町内で周囲から 

 「我が隣組の恥さらしだ!」

等、激しい非難を浴び、両親は疲弊しているかもしれない。そんな状況の原因となった富子を、自身の娘とはいえ、かばうとは思えなかった。

 富子にとって、黒川との出会いは楽しいもののはずだった。にもかかわらず、今や、富子は、それが原因となって、

 <殺人犯>

という立場にまで転落していた。

 「なんで、こんなことに・・・・・」

 富子は自問自答してみたものの、回答は出ない。

 現時点で、彼女に出せる回答は、


 ・自首するか?


或いは、


・このまま、逃避行を続けるか?


の2つしかなかった。

 しかし、自首は、先程も確認したように、自殺に等しい行為である。

 もう少しでも、生き延びていたいのであれば、やはり、後者を選ぶしかなく、その意味で、回答は唯一でしかなかった。

 先程から右手の親指と人差し指でつまんでいたマッチが短くなり、白い煙をたてて消えた。小屋の中はすぐ、暗くなった。

 屋内とはいえ、まだ、冬の季節である。寒さが身に沁みる。眠る気にはなれない。持参した衣服を重ね着しつつ、富子は時間が過ぎ、夜が明けるのを待った。

 ・・・・・

 数時間が経過し、窓から薄っすらとかすかな光が差し込み、室内が朱色になって来た。夜が明けて来た。

 「さ、行きましょう」

 疲れていても、行かねばならない。それが、

 <逃避行>

であり、

 <自衛>

のための自身に課せられた、又、自身にできる唯一の行為のはずである。

 「ヒロ、大丈夫?行くよ」

 ヒロは了解したかのように、小さく鳴いた。

 富子は、鞄の中にヒロを詰め込むと、立ち上がり、窓から外を覗いた。

 とりあえず、周囲に不審な人影はなく、又、今のところ、足音も聞こえない。

 「よし」

 またも、自身に声掛けするかのように、一言、発すると、富子は周囲を警戒しつつ、静かに戸を開け、外に出た。

 自身の左手には海が見えた。やはり、海沿いにここまで、

 <下車駅>

から、歩いてきたことが確認できた。

 歩き出して暫くすると、街が見えて来た。

 「何とか、状況が良くなるかも!」

と、富子は少しく嬉しい気分になった。

 <逃亡者>

であり、周囲が敵である以上、誰かと接触すれば、危険であるにもかかわらず、

「どこかの旅館等で、休めるかもしれない」

という希望が湧いたらしい。とりあえず、一定の現金はまだ有った。暫く歩いて、通りがかりの男性に富子は尋ねた。

 「すみません、ここは何という街ですか?」

 「下関市ですけど」

 「有難うございます」

 下関市、初めて聞く地名である。先程の駅は、貨物用の臨時の停車場等だったのかもしれない。しかし、この街が本州最西端であることは知っていた。又、とりあえず、何処かに入らねば、この状況は打開できない。

 「すみません、この近くに旅館とかは無いでしょうか?」

 「ああ、この近くに△△旅籠があるよ。木賃になってしまったけど」

「有難うございました」

 富子は男性と別れ、道を急ぎ、数分して、△△旅籠に着いた。

 富子は玄関から声をかけた。

 「すみません」

 「は~い」

 中から女性の声がした。

 「泊まりたいんですけど」

 「お待ち下さい」

 玄関から2階に続く階段の方から足音が聞こえ、先程の声の主と思われる女性が現れた。






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