第17話 旅籠
「お泊りですか?」
姿を現した女性は、富子に問うた。
「はい」
「何日程のご予定でしょうか?」
「2泊くらいですね」
「どうぞ、2階が空いてございます」
女性は、富子に、自身に続いて、玄関から2階に上がるように促した。
「失礼します」
富子は靴を脱いで揃えると、玄関から彼女に続き、2階へ上がった。
「女将さんですか?」
「はい、私が女将です」
木製の階段は、しっかりとしたシックな造りである。部屋に通されると、清潔に整頓されていた。
先程、この旅籠を紹介してくれた男性は、
「木賃になってしまったけど」
と言っていた。建物の造りからして、しかし、かつては、一流の旅館だったようである。
富子がこのことを心中にて思っていたところに、女将の口から説明が出た。
「すみません、素泊まり以外は何もおもてなしできないんです。ほら、今はまだまだ。非常時が続いているでしょう」。
<非常時>
それこそ、物心がつき、女学生だった時から、何度、聞いた言葉だろう。この言葉は、富子達、
<社会>
の側にとって、日々、
<常時>
であると同時に、
「今はまだまだ、非常時が続いている」
という言葉は、何時になったら、この閉塞状況が明けるのか、見通しがつかない現状を的確に表現しており、社会の側の
<共通認識>
と言えた。この認識は、特に注意しなくても、富子にも自覚されていることであり、初対面でこの語句が出たことが、
・<非常時>=<常時>
の結果としての窮乏化は大日本帝国全土で共通であることを象徴していると言えた。
しかし、富子にとっては、何のもてなしもない木賃宿の方が有り難いのである。逃避行を続ける富子にとっては、贅沢の余裕-そもそも、贅沢と称すべきものは先のお神の言葉にも有ったように、既に消滅したに等しいものの-等は無いのみならず、あまり、周囲の人々-それこそ、全てが敵になりかねない以上、いずれもその可能性を持つであろう周囲-とは接触しないほうが良い。
ともあれ、宿泊代を支払わねばならない。
「お代、いくらですか」
「◯△円になります」
思ったより高価であり、富子は少し表情が変わった。
女将も、富子の表情を見て申し訳ないような表情になった。
富子は鞄を開き、数枚の10円札を渡した。ヒロが顔をのぞかせた。
「あ、すみません、同伴なんで」
「いえ、別にいいですよ」
人間でないものを
<同伴>
と呼ぶのは、何か、おかしいかもしれない。
それでも、最早、周囲の全てが、半ば、
<敵>
となっている富子にとっては、唯一の同伴と言える存在だった。本来なら、同伴者である以上、その分の宿泊費も支払わねばならないかもしれない。
しかし、ヒロの分の宿泊費は請求されなかった。
女将は、
「猫ちゃんも、ゆっくりしていってね」
と声を掛けると、
「すみません、あと、こちらの宿帳にお名前をお願いします」
と言い、ノートを差し出した。
何かしら、紙質の悪いノートである。物資の窮乏はこうした面にも現れていた。
富子は、
・井川 愛子
という、思いつきの偽名をそのまま、署名した。
「有難うございました」
女将は一言言うと、ふすまを閉め、1階に降りて行った。
とりあえずは、2日は何とか、身体を休め得る場所ができたようである。しかし、精神的には気は抜けない。それでも、今までの逃避行の中で、一番良い場所を確保できたからか、全身の力が抜けた富子は、そのまま座り込んだ。
女将は、猫が同伴していたことを咎めなかった。
皇国・日本こと、大日本帝国は、
・<非常時>=<常時>
の中にあり、正に出口のないトンネルと言うべき
<闇>
の中にあった。
そこから出られるとはとは思われないし、出られる契機もない以上、
<闇>
の中で、何とかしなければならない、というのが、社会を生きる個々人に課せられた
<課題>
であると言えた。
しかし、こうした課題に以下に向き合うかは、まだ、各個人の自由による裁量の余地があるのかもしれない。
現実の問題として、食料は不足し、これといった楽しみもない。そこに、常々、言われる
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!」
である。
女将としては、動物と触れ合うということで、せめてもの癒やしを求めたのかもしれない。もしそうなら、
<足らぬ足らぬ>
中での、彼女なりの、ごくささやかでしか無いものの、
<工夫>
であったかもしれない。そして、先程、
<非常時>
を口にしたのは、
「おもてなしできないのは、私達のせいじゃない、国が悪い」
という彼女なりの弁明であり、彼女なりの自己弁護であり、これもまた、
<足らぬ足らぬ>
中での、彼女なりの、ごくささやかでしか無いものの、
<工夫>
であったかもしれない。この工夫の中には、自らを抑圧する「上部構造」(政治権力)経口にできない不満や怒りを吐き出さん、とする彼女なりの工夫であったかもしれない。
無論、こんな状況になったのは、
「国が悪い」
のである。先の女将のような台詞は、大日本帝国の何処で出てもおかしくはなかった。
そして、この街にも、そこここに、
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ!」
等の標語が常識として存在していた。
かつては一流を誇っていたのかもしれないこの△△旅籠が
<木賃宿>
になってしまったとしても、なおも営業を続けているのは、素泊まり以外の
<贅沢>
を排しつつ、なお宿泊という本来の機能をギリギリ、最後の一線として維持させることによって、女将なりの
<工夫>
を為しているのかもしれない。それならば、
「贅沢は敵だ!」
という「上部構造」(政治権力)の主張とも一定程度は一体化を為すことによって、女将なりの自由による裁量を為し得ているとも言えよう。なお、
<贅沢>
は、そもそも、昭和12年の支那事変(1937年、日本中国侵略の本格化)以来、昭和43(1968)年今日まで、30年以上、先の標語の通り、敵視されていたものの、窮乏化が続く今日、もとより存在し得ない存在であった。
先の女将の台詞は、このような状況への一種の体制批判であろう。内心、
「あんたら、国の体制が悪いんだ」
ということによって、溜飲を下げているとも思える言動は、
<物資>
は半ば、殆どないものの、
<思考>
言い換えれば、皇国・日本の戦闘精神というべき、
<精神力>
を、生活の敵というべき体制に向けたものであり、その意味でも、足らぬ中での
<工夫>
を為しているとも言えるかもしれない。
但し、現在の富子が色々と思考し、精神力を向けるべきは、2日以内に、ここから脱出し、さらに西に逃げる(しかない)状況に如何に向き合うか、ということである。
本州と九州の間には、文字通り、
<関門海峡>
という、物理的な
<関門>
が控えている。如何に突破すべきであろうか?
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