第15話 状況
「お呼びでしょうか、同志大佐」
上司の大佐の部屋を訪ねたヨシエは、ドアをノックの上、問うた。
「どうぞ」
中から返答があったのを確認の上、戸を開き、ヨシエは入室した。
「失礼します」
「うむ、まあ、座れ」
以前までの上司であったカピッツアは、既に定年間近であった。将官クラスへの昇進の上、近く、定年退職の予定であり、職場の前線からは異動となっていた。代わって、この部屋の主は、新任のセルゲイ=セミョーノフKGB大佐となっていた。
「うむ」
セミョーノフは一言、言うと、ヨシエ等に席につくように言い、問うた。
「どうかね、日本を中心とした極東情勢は?」
「はい、敵の大日本帝国は、いよいよ、窮乏化が進み、状況は苦しくなる一方と言って良いでしょう」
「うむ」
こうした状況は、セミョーノフも承知していることであろう。セミョーノフは静かに、しかし、重々しい口調で言った。
「むしろ大変なのは、毛沢東の中国かもしれない」
1959年、日本の侵略軍を中国大陸から追放した中国人民解放軍は、蒋介石の中華民国国民政府をも排し、中華人民共和国という中国共産党政権の新国家を樹立していた。
ソ連としては、当初、スターリン時代から支援していたのは、蒋介石の国民政府であり、第2次世界大戦中には、連合国の一員として、手を組んでいたのである。
しかし、太平洋の覇権を握ると、一向に対日戦を有利に進められない。加えて、腐敗堕落によって、中国の
<社会>
から見捨てられた存在となっていt。
ソ連邦としては、そんな国民政府に何時までも肩入れしていることは出来なかった。太平洋の覇権を握られたとはいえ、地理的に、物理的な距離がある米国とは異なり、中国と国境を接するソ連としては、同地に存在している日本軍は、文字通り、直接的な脅威であった。
ソ連としては改めて、手を組む相手を-そもそも、国際共産主義運動の担い手として誕生したコミンテルン=国際共産党の中国支部として、1921年7月に上海にて誕生し、その後、コミンテルンは、中国国民党への加入という形で、第一次国共合作を、中国共産党に指導したものの、その後、毛沢東の自主独立路線によって、半ば対立した中ソ両国共産党ではあるものの-中国共産党に切り替えたのであった。
1956年には、スターリン批判があり、これに対し、反対派を粛清し、中国共産党、人民解放軍内部で皇帝的権力を得ていた毛沢東は、自身の権力の正当性(正統性)を脅かす、と反発していた。
しかし、ソ連共産党としては、中国共産党による中国革命は、未だ途上にあり、途上の場合は、党、軍内での権力集中は正当化される、それは、ロシア革命の途上においてはソ連の党も同じだった、と毛沢東等の反発をなだめ、又、満州国崩壊時には、旧関東軍、満洲国軍の装備が中国共産党に与えられ、旧満州方面の人民解放軍は、それまでにない強力な軍に変貌したのであった。
満州国の崩壊を契機として、大日本帝国本土にもソ連軍が侵攻し、日本本土である北海道、東北で、日ソ両軍が衝突したことから、所謂
<外地>
を支援できなくなった大日本帝国に見棄てられたことによって、中国大陸での日本軍は壊滅したのであった。中には、東南アジア方面にまで逃げ延び、残存兵力として、現地の大日本帝国軍に編入されたものもいたようであるが。
ソ連としては、同じ共産党政権の国が成立するにしても、親ソ政権の成立を望んでいた。しかし、毛沢東の中国は必ずしも、親ソ的とはいえず、ソ連としては、毛沢東の中国には、日本軍駆逐による大日本帝国の脅威の排除以上のことは期待できないのが現実であり、それは、ヨシエも理解していたことであった。
「同志少佐」
「はい」
「原爆開発の件、既に分かっているね」
「ええ、米国は既に開発に成功し、実験も済ませたとか。一発で、一都市を壊滅させ得る力があると聞いています」
「うむ、我々、ソ連邦としても、原爆開発に成功し、理論上、実戦投入は問題ない状態だ」
しかし、米ソ両国とも、投下先の社会からの反米、反ソ感情を懸念して、使用に踏み切れずにいることも、又、了解済みの話であった。
「しかしね」
セミョーノフが続けた。
「米国は、日本本土への原爆による空襲を実施するかもしれない」
ヨシエは脳裏に、またしても、いつか見た原爆実験の映像が甦った。
爆風で吹き飛び、燃え上がる建物や、市民に模したマネキン人形、そして、その後の無残な焼け跡・・・・・。
ヨシエにとっては、捨てたはずの大日本帝国である。しかし、やはり、まだ、
<元・日本人>
ということで、母・ハツのような肉親をはじめ、どこかで、何らかの親しさのあった人々が無残に死に行くのは、辛い、というよりも、自身が憎んでいない人まで殺すことは、何らかの耐え難さがあるのであろう。
故に、対日原爆使用が、ソ連によるそれでないことが、ヨシエのとっての唯一の救いであった。
そして、ヨシエもKGB将校である。米国が何故に日本本土に原爆を投下する可能性があるかは、一定の了解をしていた。
それを、おさらいするかのように、セミョーノフの口から説明が続いた。
「米国は太平洋での覇権を失い、対日関係では、今のところ、半ば、敗戦国だ。我がソ連邦や毛沢東の中国にひけをとっている現実がある」
いかにも、その通りである。
「米国としては、国連安保理での5大国としての権威も確立したいところだろうし、国内では、太平洋の覇権を取り戻せないことに、国内世論の苛立ちや、厭戦気分も強まっているようだ」
これについても、ヨシエは了解していた。
「だのでね、最早、米国首脳部としては、一発逆転を狙って、日本を壊滅に追いやりたいところのはずだ」
「しかし、どうやって、日本本土を爆撃するのですか?」
同行していたナターシャが問うた。
「中国沿岸部から、大日本帝国の西日本を狙うのだそうだ。上海あたりからなら、ほぼ、全土が狙えるだろう」
「大陸間弾道ミサイル等は使用しないのですか?」
米ソ両国とも、大日本帝国と大東亜共栄圏を狙いつつも、他方で、既に始まっている欧州方面での対立を踏まえ、壊滅したナチから捕縛した科学者等を用いつつ、爆撃機に代わる攻撃手段としての大型ミサイルの開発等にも注力していた。
「未だ、開発中だからな。着実な日本本土の都市への爆撃のためなら、やはり、旧式手段とはいえ、爆撃機を使うだろう」
「毛沢東の中国は、了解しているのですか?」
「了解しているらしい。体制の異同があれど、米国とは大きくことを構えていないからな。それに長く、日本の侵略を受けた歴史の現実もある。反日感情もまだまだ、強い。憎むべき敵への報復という意味でなら、受け入れに然程の抵抗はないだろう」。
中国としては、やはり、長大な国境線を接するソ連は、場合によっては、路線対立等によっては、脅威たり得る存在である。中国にとって、
<北>
は単に方角を意味するのではない。歴代王朝による万里の長城の修築に見られるように、軍事的脅威としての鬼門であり続けて来たのであり、ソ連という強国はその意味合いを一層、強めていた。
故に、中国にとっては、ソ連以外にも、ある種の軍事面での友好関係を構築する必要もあろう。
又、ソ連とは、むしろ国境を接しているからこそ、対ソ関係は中国にとって、それを脅威とすることによって、自国内の団結を呼びかける宣伝材料たり得るかもしれない。
他方、ソ連にとっても、中国の所謂、
<チトー化>
つまり、同じく共産党政権の国でありながら、ソ連と一線を画し、一種の中立化を目指す体制が現れて来た、とも言えた。1930年台の日独ファシストによる対ソ挟撃と同様とまでは言えぬかもしれないものの、似た状況になって来たようである。
これまでセミョーノフの説明を聞いたヨシエが問うた。
「で、同志大佐、我々に、どのようにせよ、と?」
セミョーノフは言った。
「今はまだ、分からない。ただ、大日本帝国に核攻撃がなされた場合、それに乗じて、日本人民共和国軍が、南北統一を目指して、一方的に対南侵攻を開始するかもしれない。我々ソ連邦としては、そのようなことが無いよう、駐日ソ連大使館を通して、動向を見張っているし、日本人民共和国政府にも、兵を動かすな、と釘は刺してあるものの、微妙な状況だ。もし、対南侵攻が為されてしまった場合、親分としての大日本帝国の混乱を知った大東亜共栄圏としての東南アジアの動向が懸念材料だ。毛沢東の中国は、地理的に国境を接している分、彼等なりの路線を輸出しやすいからな」
ヨシエが予想していた通りの答えであった。
「とりあえず、同志少佐、君は、日本の動向について、引き続き、注意して欲しい」
「了解です、同志大佐」
「では、とりあえず、今日はこれまで」
セミョーノフの解散宣言によって、ヨシエはナターシャと共に席を立ち、自身の職場に戻った。
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