僕の春は、君の一生に咲く
夏芽あとか
第1話
また春が来た。入学と卒業が始まり、誰しもが涙を流す。そんな祝いの時ですら、僕は一人だった。誰とも仲良くならない。そう決めてから三十年以上が経とうとしていた。八度目の高校生活が終わりを迎え、九度目の高校生活がまた始まろうとしていた。必要最低限しか喋らないし、声をかけられてもなるべく小声で会話が続かないように意識してた。だから僕の周りはいつだって静かだった。唯一、僕の近くにいてくれるのは事情を知る担任だけだった。それでも時間は無情に進むもので、その担任ももう会えなくなってしまった。
"死ねない"なんて言ったらきっと周りの人はみんな怖がってしまうから。この殻を壊さないために僕は今日も生きている。日課のようになってしまった自分の体に何かしらの方法で傷をつける行動。最初は紙で、割れたコップの破片、ガラス、最後には包丁。どんなに自分の体に傷をつけたってすぐに塞がってキレイになる。いつまでも僕の体はおかしかった。
違和感を持ったのは小学四年生だった。どんなに転んでも、どんなに硬いものにぶつかっても、交通事故に遭っても僕の体の傷はひと月もすれば元通りだった。
「お母さん。僕の体って、おかしいのかな……? みんな、傷は残るって言ってたんだ」
「ごめんね。あなたは死ぬことができないの」
そんな現実離れしたことを母親に言われる日が来るとは思ってもいなかった。不死の病がこの世界に存在することに驚きを隠せないのに、その不死の病に自分がかかっているなんて誰が想像できるだろうか。
「この永見家は代々この病気になる可能性があるの。そしてお母さん、あなたのお婆ちゃんはその病気だった。今はもうどこかの国に飛び立っていてどこにいるのかもわからないわ」
俺は生まれてから一度も祖母を見たことがなかった。母に聞いても濁されてしまうのできっともういないんだろうなと気にしてもいなかった。病についての詳しいことは祖母しかわからないようで、母は眉毛を下げ申し訳なさそうな顔をしながら
「だから、お婆ちゃんに会って病気について聞きたいならその時また言って。連絡は取れるから」
と言った。
「今。今がいい」
小学四年生の自分が抱えるには大きすぎる問題だった。でも、当時の自分だからこそ素直に不死の病なんて馬鹿げた病気を信じられたのだろう。
祖母が家に来た時、1番に驚いたのはその外見だった。母よりも一回り以上若く見え、下手すれば学生とも言えるだろう。これが不死の病のせいなんだと思った。
「おばあちゃん。僕はどうしてみんなみたいに傷がつかないの?」
おばあちゃんは困ったように笑い、涙ぐんだ声で言った。
「どうしても治らない病気なの。羨ましがられることが多い病気だけどね、四季くんは死ねなくなっちゃったんだ。ごめんね」
僕は心底わからなかった。死ねないことの何が苦しいのか。だって、大人たちはみんな人生に終わりが来ることを毎日のように嘆いて、時間が足りないって言っているから。
「なんで、そんなに悲しそうにいうの? おばあちゃんからしたらいいことじゃないの? 死なないって自由じゃん。体も簡単に動くし、やりたいことなんだってできるよ。ねぇ、なんで?」
純粋な僕の疑問は祖母をひどく傷つけたと思う。それでも、あの頃の僕には祖母に言われるまで気づけなかった。重大な欠陥に。
「だってね、みんな死んじゃうのよ、いつか。四季くんは一人だけ取り残されたら悲しくない? 例えば、みんながアイスを食べているのに一人だけ食べられないみたいな」
「すごく嫌だ! 僕だってアイス食べたいよ」
「それと同じことがね、いつまでもいつまでも続くのよ。だから、この病気は決していいものなんかじゃないの。本当にごめんね」
子供には難しい話だったと思う。それでも、僕は直感的に理解していた。取り残されるって悲しいんだ、それがずっと続くんだ、って。だから、僕はわからなかったけど悲しいふりをしてみた。でもその取り繕った悲しみは次第に本当の悲しみへと変わっていった。
こんな難病にかかっていることが判明してしまった小学四年生から僕の人生は確実に何かが変わっていた。
そんな僕は今、高校三年生になっていた。と言っても九度目の高校三年生。生きた年数でいえば四十二年。この間に父は帰らぬ人となったし、母は要介護者となり施設に入った。1番最初の同級生は様々な会社のそこそこ偉い人になっていた。祖母が言っていたように僕の見た目は二十歳の時で止まっていた。一向に老けないし、体の機能的にも二十歳ぐらいの感じだった。一見いいように思える不死の病は友達を作ることも許されなかった。単純にみんな僕より先に死んでしまうのだ。僕は一生死ねないから友達を作れば作るだけ親しい人の死に直面してしまうわけである。そんなの僕は耐えられないから、交友関係を広げることは僕にとってなんのメリットもないのである。
そんなこんなで、ずっと一人で過ごす高校生活の九度目が残り一年になったわけで。変わらず一人で行動して、何度もやった範囲の勉強をして、クソみたいな生活しかなかった。
九度目の高校生活で一つだけ初めてのことがあった。それは三年間同じクラスの人がいたことだ。逆に九回もあって初めてなのか、と思うことでもあった。三年間一緒といってもその子は全く学校に来ていなかった。否、来れていなかった。なんでも病気による入退院を繰り返しているみたいで来れないようだった。不謹慎だけど、僕はちょっと羨ましいなとも思ってしまった。その子の病気が亡くなる病気か知らないけど無条件に早く死が訪れる可能性があることに憧れを持つ。もちろん、普通に過ごすことをその子は望むだろうけど。だから、僕の命をその子にあげられたらいいのにと思う。こんなことを常に思う僕は余程人生に絶望しているようだった。
九度目の高校生活の三年目にして今回の高校生活で初めてのことが起きた。病気で入院して学校に来れていない三年間一緒のクラスの子が初めて登校していた。
「あの子誰ー?」
「見たことないよね」
女子たちが騒ぐ。同意はするがわざわざ口に出す必要もないのに、と悪態をついてしまう。
「すっげーちっさくね? 中学生くらいの身長じゃんね」
「でもすっげーかわいい‼︎」
みんながそう言うのも頷けるくらいの美少女だった。でもどこか儚くてすぐに壊れてしまいそうな危なさを持つ少女に誰しもが目を奪われていた。
ガタッ
彼女が突如立った。
「はじめまして。今日初めて学校に登校しにきたの。今まで入院してたけどもう来れるようになったの。瞬日星来、星に未来の来でせら。これからよろしく。それから、他に何かあるなら直接聞いて」
彼女の自己紹介でみんなのざわめきが落ち着いた。そして、次の瞬間あの子の周りが人で埋め尽くされる。
好きなこと、好きな食べ物、逆に嫌いなこと、嫌いなもの、さまざまな質問が飛び交う。
「好きな花? そうだなー、桜かな。春が来ると、今年も生きた!って思うんだ」
生きた、その言葉だけがやけに耳にこびりついた。こびりついた言葉を剥がして、思考を戻す。そりゃ、みんな注目するよな、こんな漫画のような話。そんな中でも僕は1人で本を読む。九度目の高校生活となればもうなんでも良くなってくるもんである。まぁ、流石に三年間クラスが一緒の子が登校してくると興味も湧いてくるものだが、あの大勢の中に突っ込んでまで会話をしたいとは思わない。これが本来の四十二歳の感情なのかもしれない。
朝の騒がしさも落ち着きやっとこさまた1日を終わらせた。今日の授業も別に楽しくも学びにもならなかったなと思いつつ帰る支度をする、はずだった。
「ねぇ、君が永見四季くん? 先生から聞いたけど三年間同じクラスみたいだよね。それに頭も良いし運動もできるって聞いたの。最初にも言ったけど入院してたから何も分からなくて……。もしよければ教えてくれたりしない……?」
はて……。一瞬彼女がなにを言っているのかわからなかった。唯一今朝彼女に話しかけなかった僕に先生の一言があったとはいえわざわざ本当に話しかけてくるとは……。
「あぁ、永見四季で合ってます。三年間一緒なんてびっくりだし交流を持ちたい気持ちは山々なんだけど、人見知りだからあんまり関われないと思う。それに勉強できる女の子いると思うし。だから、ごめん。それじゃあ失礼します」
「あ、まって……!」
静止を振り切り帰路へと向かう。ここで勉強を教えれば親しくなるわけじゃない、そんなのわかっていたけど何故か彼女は関わってはいけないと思った。一度踏み込んで仕舞えば彼女は親しくなってしまう。親しくなればなるほどに病気を持つ彼女の死に深く傷ついてしまう、ただ自己防衛をしたかっただけだった。それが明日からの彼女の猛攻につながるとも思わずに。
「永見くーん」
「永見くんこの問題がわかんないんだけどーー」
「永見くんーー助けてーー!」
「永見くん?」
なんなんだこの状況……。毎休み時間、彼女が声をかけてくる。生憎名前の順で席が決まっているせいで隣だから無視しようにも出来ない。
まだ新学期が始まって三日も経っていないというのに彼女に名前を呼ばれた回数はとうに20回を超えていた。一日に七回以上……。九回の高校生活で一度も友達を作ったことがなかったし、話しかけられたことも両手に収まるくらいの僕だから何回も来られると疲労が溜まるわけで、徐々に返答が雑になっていくのを自分でも感じる。それを彼女は前向きに捉えているみたいで明日はもっと話しかけられそうだなと思いつつ、彼女の呼びかけにろくに応答せず帰路に着く。
「永見くん、無視しないでよ‼︎」
後ろで騒ぐ彼女をあえて目視せずに
「さよなら」
と申し訳程度に返答をしておくことにする。
忘れ物に気づいたのは家に帰ってからだった。あんなにカッコつけて教室を去った直後に気づかなくてよかった。もちろん忘れ物なんていつもなら取りにいかないけれどその教材の提出が明日なので取りに行くことにした。もう学校が終わってから1時間くらいは経っていて取りに行って学校に着くのはもう1時間後で教室に人なんて絶対にいないと思って大分気が抜けていた。ヘッドホンをつけながらご機嫌で教室に入ろうとしたら、中に人がいるのに気がついた。盗み聞きなんていけないことだと思いつつ、入るのも気まずくなると思い教室のドアの影に隠れる。中にいるのは何人かの女子生徒らしい。
「星来ちゃんって、なんで永見に声掛け続けてるの?」
そんな声が聞こえた。まさか自分が話題に上がる日が来るなんて、と驚きと少々の喜びが湧くのと同時に、なんともタイミングやら全てが悪いなとも思う。まさかのあの瞬日星来に対してその話題になるとは。可哀想なことをしてしまったなと反省をしながら忘れ物を諦めて帰ろうとすると中からいつもの元気すぎる声が比較的落ち着いた声に変わって耳に届く。
「永見くん?」
「永見って誰に聞いても印象全くないって答えてるし、前同じクラスになった子に聞いても話してるとこ見たことないって言ってたし。永見自身も人と関わり持ちたくなさそうな顔してるし。なんか、申し訳ないけど根暗でザ・隠キャって感じ?」
笑ったままのクラスの誰かの声がする。まぁ、実際僕自身全く関わりたいと思わないしそのオーラを隠そうとしてないのも認める。だとしても、人ってやっぱり怖いなーーと思っていると、さっきよりも低く冷たい声色になったあの子が答える。
「そんなの話しかけない理由になる? 周りの評価とかじゃなくて、今、私が関わりたいと思ったのが永見くんなだけだよ」
「え……。そんなに怒る?」
「なにーー! そんなにキレるとか永見のこと好きなのーー?」
「流石に好きとしか思えないよね」
「女子ってすぐにそういう方向に持ってくよね。そういうところもすごく嫌」
「……あのさ。長い間入院してたからかわかんないけどそういうところやめた方がいいと思うよ?」
「それな! 架恋の言う通り! 私たちじゃなかったらもっと大変なことになってたよーー」
「別に広められてもなんでもいいよ。だって、人の興味に理由も聞かず頭ごなしに否定してくる方が悪いもん」
「そっか。なんか、星来ちゃんってこんな子だったんだね。世間知らずって感じ」
「それな! なんか残念って感じーー」
そう談笑して席を立つ音がする。声が近付いてくるのを感じ、慌てて隣のクラスへと隠れる。
「なんで星来ちゃんあんなよくわかんない永見に興味あるんだろうね。本当に変わってると思う。まぁ、私も話して見たいと思ったことはあるけどね」
「それな! 私たちですら声聞いたことないしーー。あ、でも、この前星来ちゃんに挨拶返してたかも? やっぱり永見ってわかんないやつーー。え、てか、架恋って永見と話してみたかったの?」
「ほんとちょっとだけね」
やがて別の話題になって高くて大きな笑い声が廊下に響く。前を通ったのを見計らいクラスから一度出る。今、教室にはあの子がいる。
る。気まずさを避けるため帰るまで隣のクラスへ隠れていようと戻ろうとした。
「やっぱりいたんだ。机にノート入れっぱなしなの気づいて戻ってくるかなーーって思ったから残ってたらやっぱりきた!」
ああ、彼女はなんて真っ直ぐなんだろう。小さな根拠から本当に来るかもわからない自分を待ち続けていたなんて。
「……なんでそんなに僕と話したいの」
ふと口から素直な気持ちが溢れる。僕とは違い真っ直ぐに話しかけてくる彼女に怖気付いて溢れてしまった言葉。
「いや、嘘、ごめん。忘れていい……」
そう訂正しようとするとそれを遮りいつもの元気な声と裏腹に酷く静かに転校初日に見た時と同じような儚さを含んだ顔で、それでいて僕が苦手な真っ直ぐとした目で僕を捉えて、
「君は、私に似ているから」
頭の中が疑問でいっぱいだった。何も似ていないのに。もちろん、誰にも言ってないだけで死なないと言う病気であるものの彼女のように幼少期から入院したり、それによって学校で過ごせなかったりと不自由な生活をしてきたわけではない。なんなら、どちらかといえば裕福で満足の多い生活だっただろう。なにが似てるんだろうか。そんな僕の頭を覗いたように彼女は続けた。
「この世界に絶望している、そんな酷く冷たくてそれでいて悲しい目をしてる。どんな事情があるのかわからないけど、心を閉ざして1人でいることを好んでいるのも同じ理由なのかなって思ったの。だから、私がその心をこじ開けちゃおうって!」
彼女の元気さに呆れと尊敬と期待が入り混ざった不思議な感情が芽生える。彼女のような人に初めて会ったからだろうか。
「君は長い間入院してたんだよね?」
「うん、そうだよ。生まれた時からずっと入退院を繰り返してた。だから友達なんて一回も出来たことないの」
「……君は不思議だね。僕は生まれてからずっと元気な体だし、別に普通に生きてこられた。一つだけ上手くいかなかったことで言えば友達がいないことくらいだ。別にそれを僕が望んでいたわけだし、何も思わないけど。でも、それを壊そうとしてくれたのは君が初めてだよ。類は友を呼ぶ、果たしてどっちなんだろう? 友達になる人が似てるのか、友達になってから似るのか」
「どういうこと? 難しい話は私とっても嫌いなの! わかりやすく言ってよ」
「……僕も君に興味が湧いた」
「本当⁉︎ じゃあ仲良くしよう!」
僕は彼女に絆されていた。さっきの話の続きをしよう。類は友を呼ぶ、気の合った者や似通った者は自然に寄り集まるという意味のことわざ。このことわざではすでに似ているものが集まることを指すが果たしてそうだろうか? 全く異なるもの同士が集まり、自分と違う相手のことを知り吸収することで結局似た人になるのだと僕は思う。それを考えていたら口から思わずこぼしてしまっていて少々焦ったものだが。つまるところ、僕は彼女にそういう意味で興味を持ったのだと思う。僕と彼女は全く似ていないし__彼女は似ていると言っていたが__多分趣味も合わないと思うし逆に何一つ合わないと思う。それに友達とか親しい人は全く作らないつもりだったし、彼女に至っては持病があるからより早く亡くなる可能性も高い。それでもなお、彼女に興味を持つのは自分にはないものを持ち合わせ過ぎているからだと思う。
「改めてよろしく! 私は瞬日星来。好きな食べ物はーー」
「チーズケーキだよね……?」
「え、なんで知ってるの‼︎ 言ったっけ」
「いや、その、うん。最初の頃に女子に質問されてた気がする」
「え、聞いてたってこと?」
「……うん」
まずい、嫌われた。話したこともないのに最初のみんなの質問攻めはちゃんと聞いていたからその話題が来てうっかり答えてしまった。そう、もともと彼女に興味があったからしっかりとみんなの質問と返答を聞いていたのである。
「ねぇ」
酷く冷え切った声に緊張で体が強張る。
「私のこと興味あったってこと⁉︎ 話聞いてたってことはそういうことだよね。私めっちゃ嬉しい。永見くんもちゃんと興味ずっと持ってくれてたんだ……!」
やばい、ポジティブすぎるこの人。大体の人はここで引くんじゃないのか?
「引かないの?」
「え? なんで引くの」
「興味ないふりしてたのに本当はめっちゃ興味あって話聞いてたとかキモいって思わないの」
「思わないよ! だって私が興味ある人に興味持ってもらってたんだよ。それもずっと前から。そんなの嬉しいに決まってるじゃん!」
「そっか。君って、変わってるね」
率直な感想だった。僕に話しかけてくる時点で変わっていることはわかっていたもののこんなにも大胆で、真っ直ぐで、自分に素直な人を見たことがなかった。
「ふふ、それ私には褒め言葉なんだよ!」
「変わってるって言われて嬉しいの?」
突如顔立ちが、纏う空気が変わる。ふわふわとしたにこやかな雰囲気が一変して儚くてそれでいて強く生きるしたたかな女性の雰囲気。
「誰かと同じってつまらないじゃん? 他の誰とも被らず、唯一無二の存在に私はなりたいの。きっと私はみんなみたいに長く生きれないから、短い時間の中でみんなの記憶に残らなきゃいけないし、残っていたいの。だから、変わってるって言葉私は好きだし、褒め言葉だと思ってるよ」
何も言えなかった。短い時間の中でみんなの記憶に残りたい、病気を持った彼女の、彼女だけの理由。その理由に僕は共感できないし共感してはならないと思う。僕はいつだって生きていられるし逆に誰かのことを記憶にしまって置く側の人間だから。誰かの記憶に残ることを嫌い続けているから。
「なんか言ってよ永見くん。結構かっこつけたのに何も言われないのすごい恥ずかしいんだけど……」
「ごめんごめん。普通に、ちょっと感動してた。かっこつけてたんじゃなくて、かっこいいと思った」
「それはそれで照れるじゃん!」
「忙しい人だね」
「永見くんのせいだよ! もう! 永見くんは何か話してくれないの?」
「何話して欲しいの」
「んーー、友達作ろうとしない理由とか? それか、なんでいつもそんなに悲しい目してるかとか」
「いつか仲良くなったら言うよ」
「ちぇーー。つまんないのー」
「つまんないとか言ったら一生言わないよ? それでいいの?」
「やだ‼︎ だめです。じゃあ我慢します」
きっと、僕は彼女とすごく仲良くなってしまうと思う。そうすればそうするだけ彼女は僕以外の人と関わりづらくなるかもしれないし、僕は僕で彼女の死を受け入れられなくなっていってしまう。果たして、それはいいことなのだろうか。
「今更だけど、僕と仲良くすればするだけあの子たちみたいな人に嫌われて仲間はずれとかにされると思うけど、君はいいの?」
「そんなこと、永見くんが気にすることじゃないし! それに私は私が関わりたい人と関わるの。さっきの話みたいに、私が記憶に残りたいと思う人の中に残ってその人の人生を変えたいの。それに、私はみんなと仲良くできるよ! あの子達だって悪い子じゃないし、素敵な部分は誰にでもあるもん。それにきっと色々あるんだよね。ほら! 永見くんかっこいいし!」
「かっこよくはないけど。やっぱり不思議だね。それでいて、とても強い。君みたいな人初めてってさっきも言ったけど、僕はやっぱり君のことが気になるみたい。君みたいな人、僕大っ嫌いなんだけどな」
「大っ嫌いってひどい。それに君って呼ぶのやだ」
「じゃあ、瞬日?」
「ほんとに? それがファイナルアンサーですか」
「……星来?」
「ふふ、せいかーい! よろしくね、四季くん」
「やっぱり、星来は無理だから、星来さん」
「しょうがないなーー」
これが彼女と僕のしっかりとした初めての会話だった。最初は彼女が僕に強い興味を持っていたがこの会話を終えた頃には僕も彼女に同じくらいの熱量を持っていた。だからなのかわからないけど、そこから瞬く間に仲を深めていった。
さて、九回目の高校生活で初めての定期テストがやってきた。はて、彼女はどうするのだろうか? もちろんあの日から僕らは仲良くやっているが、特別彼女に何か被害があったわけでも僕に被害があったわけでもなかった。もちろん、話しかけてきたことのなかったクラスメイトに彼女とどんな経緯で仲良くなったか聞かれたりしたし__もちろん濁した__女子たちに初めて声聞いたと言われたり__好評をもらっているみたい?__それから何人かの人に話しかけてもらった。結構なことがあったが特別気にも留めず普通に過ごしてた。
テストまで残り一週間を切ったところで、みんながいるところで久しぶりに話しかけられた。
「四季くん」
「ん、どうしたの星来さん?」
「どうしても数学でわからない場所があって、教えて欲しいから放課後教室でお願いできますか! 先生!」
「そんなにかしこまらないでよ。全然教えるんだけど、ちょっと今日委員会あるから待っててほしい」
「うん、わかった、待ってるね」
みんなの視線が僕らに向いているような気がする。もちろん、そんなの気のせいだとはわかっているけど。やっぱり星来さんは人気だなーーと思いつつ、同時に横にいることが出来ることに対して優越感に浸っていた。星来さんがここまで興味を持ってくれたのは自分だけなのだ、という事実ときっとこれからも僕以上に興味が湧く人なんていないだろう、否、いないでくれというささやかな抵抗。僕は彼女と関わるようになってからとても変わったと思う。今までたいして笑顔を見せたことなんてなかったし、声すら発したくもなかっただけじゃなく、目も合わせないようにしていた。それが今では声をかけられればちゃんと応答するし、質問されたらちゃんと答えられるようになった。もちろん、僕のためではない。彼女が僕と関わることで何かを言われないようにするためである。
委員会の仕事は資料のホチキス留めだった。もう一人の女の子と二人で作業を行わなければならなかった。全く話したこともないし、申し訳ないが名前すら覚えていなかった。それでも、会話が続いてしまうことはあるし、それが予想外な質問から始まることだってある。
「永見って星来ちゃんと付き合ってるの?」
あまりに意外の質問すぎてすぐに答えられないことだってある。
「えっと、藪から棒だね。そういう類いの噂でも立ってるの?」
「噂っていうか、ほぼほぼ確実っていうか?」
「付き合ってないよ。ただ仲良くしてもらってるだけ」
「好きとかでもないの?」
「率直な疑問なんだけど、なんでそんなに知りたいの?」
「えーー、今まで話さなかった永見があんなににこやかに素敵な顔してるの星来ちゃんくらいだもん。だからきっと付き合ってなくても、好きなんだろうなって」
「……好きって何? まだ人を好きになったことないからわかんない、が答えかな」
「じゃあ、星来ちゃんが他の男子と話してたり、二人でいたり、頼ってたりしたら?」
「……すごく嫌だ」
さっきまで、星来に興味を持たれることへの優越感に浸っていたのだから、もちろん嫌だった。今まで誰かと一緒にいたいと思ったこと自分が一番でいたいと思ってしまう、初めて感じたこの気持ちを
「それはもう好きってことだよーー。恋の誕生に立ち会えるなんて素敵。いいことありそう」
「うん、これが恋なのかもしれない。恋を教えてくれてありがとう。ごめんだけど、名前なんだっけ?」
「幸田架恋。実は話したの初めてじゃないんだよ? 前、教室で星来ちゃんに怒られたうちの一人」
「あ、あの人。たしかに、架恋って言ってたかも」
「実は私去年も同じクラスなんだけど、ずっと永見のこと本当にわかんないやつだと思ってたし、全然関わりたいと思ってなかったの。でも、星来ちゃんと話す永見見てると、普通の人なんだーーって思って。それを初めて見せた星来ちゃんは永見にとって特別なんだろうなーって思った」
「うん、特別なんだと思う。自分でもわかんないけど、初めて、失いたくないって思った」
そう真面目に言うとなんだか気恥ずかしくなってきて、教室に彼女の様子を見に行こうと思った。とにかくこの空気から逃げ出したかった。
「あーー。何してんの私。好きな人の恋愛手伝うとまじ意味わかんない」
私だって去年からかっこいいと思っていたし、実はずっと話してみたかった。でも、寡黙な彼の邪魔をするのはなんだか忍びなくて、話すことを諦めていたのに。
二年生の新学期、仲の良い友達が誰一人として同じクラスにならず学校に行く意味がないと思いながら新クラスに足を踏み入れた。すでに仲の良い子たちがわいわいとしている中でたった一人、本を真剣に読む人が真っ先に目に入った。かっこいい、多分そう呟いてしまった。それくらい衝撃を覚えたのを鮮明に思い出せる。名前を探して、席替えではなんとか隣になるように友達に紙を交換してもらって。何回も隣になったのに、一向に私に見向きもしなかった。だから諦めていたのに。今年になって知らない女の子が永見くんの視線を独り占めした。だから、うざいと思ってしまった。所詮劣等感だった。あんなに可愛くて、積極的な女の子に勝てるはずがないってわかっていたから。だから意地悪で永見のことを悪く言ってしまった。でも返ってきた言葉は自分の気持ちに真っ直ぐすぎて私には眩しかった。だからすぐに負けたって思えた。だから今背中を押せた。
「ねぇ、永見。早く思い伝えないと。誰かが現れて自覚してからじゃ遅いんだよ?」
独り言は教室中から跳ね返ってきて、たった一人取り残された私に返ってきてるみたいだった。
勉強を教えると言ったはずなのに長時間放置された僕らの教室に行くと彼女は寝ているのか机にうつ伏せになっていた。彼女の前の席に座り、彼女のことを見る。すると、先ほど幸田架恋と話したことが頭によぎる。小さい時は好きという感情を理解したくて辞書で引いたこともあるし、人並みには恋愛ドラマや小説を読んだことだってある。その度に、気持ちは伝えないとわからないのになんで伝えないんだろうと疑問に思っていたが、実際好きになると伝えられないんだなーーと思う。本当にさっき好きを自覚して伝えられないんだからもっと長く片想いしていればいるほど伝えられないよなーーと思う。今までの恋愛ドラマの主人公たちに軽く謝罪を入れておこう。好きという気持ちを面と向かって伝えるのは難しいけど、相手が寝ているとなれば別だ。ドラマや漫画で見るシーンはこうやって誕生するのかと、この場面に似合わないことを考えてしまう。
「失いたくない、取られたくない、自分だけの人であって欲しい、という感情を恋と呼ぶのなら。好きと呼ぶなら僕はきっと君を好きで恋をしてるっていうんだろうね」
無意識に彼女に触れてしまった。頭を撫で、頬をするりと撫でる。感傷に浸ってしまったが仕事を途中で抜けていることを思い出して教室を飛び出した。
「ずるいよ、寝てる時に言うなんて」
そう彼女がつぶやいたことを僕は気づいていなかった。
委員会の仕事が終わり教室に戻ると、彼女は目を覚ましていた。先ほどした恥ずかしい行動が蘇り顔が赤くなりそうになるのを抑える。
「お待たせ。たくさん待たせてごめん」
声をかけると彼女はパッと明るい笑顔をこちらに向ける。
「ううん、全然待ってないよ! だけど、私お腹空いちゃった。だから、勉強はまた今度にして帰ろう!」
「え、ごめん、仕事長すぎたよね」
「ううん、私がやる気無くなっちゃっただけだから気にしないで! それに、今ならどんな難しい問題も自分で解ける気がするの!」
「いいことでもあったの?」
「うん。とっても!」
定期テストも終わり、夏の暑さが猛威を振るい始めた頃。彼女が学校に毎日は来れなくなっていた。大丈夫? そう声をかけたくてもかけられる雰囲気ではなく、いつも苦しそうで険しい顔をしていた。何も声をかけれない僕を少し悲しそうな目で見ている。僕には何もできなかった。
モタモタしてるうちに夏休みが始まってしまった。この期間は1日1日がひどく長く感じられた。楽しみがない人生を過ごしていたはずだったのに、彼女と出会ったおかげで毎日が楽しく早く感じられるようになっていた。そんな彼女と話せなくなるだけでこんなにも毎日が退屈なのかと思い知らされる。僕はやっぱり、彼女に絆されていた。
長い夏休みの間、二回だけ彼女を見た。一度目も二度目も病院の中だった。僕も一応病気なため定期検診に行ったり、身体検査をされて薬の調合に携わったりしていた。その時に入院服で院内を歩く彼女を見かけた。点滴をして、よろよろと弱々しい姿の彼女に声をかけられるほど僕は能天気ではない。それに僕は予想できた。彼女の病気が悪化しているのではないかということを。一度も病院から出たことがないと言う子が急に学校に来れるようになった理由。それは、亡くなる可能性が高い時に多くある。亡くなるまでにやりたいことをなるべく実現する病院もあるらしい。だから、僕は最初全く関わらないようにしてた。予想できていたから。最後のやりたいこととして普通の女子高生になりたいを叶えようとしていたのだろうと。僕の生きる理念として失うくらいなら、最初から掴まなきゃいい。失うくらいなら、自分から離れればいい。だから関わろうと思わなかった。なのに、病院にいる彼女を見て心配になったり、会わなかった夏休みの間に彼女のことを考えたりしている。それくらい人のことを気にかけるのは初めてで、近くにいたい、話していたい、もっとずっと一緒にいたい、こんな感情が溢れることを僕は知らなかった。
そんな憂鬱な気分しか無かった夏休みが終わって、彼女と出会う前のような退屈な二学期が始まった。いや、今までのような退屈さではないけれど。校内は文化祭へ向けた準備で賑わっている。もう九度目の高校生活、累計二七回目くらいの文化祭。自分のクラスがどんな準備をしていようと頭の中にあるのは彼女のことだった。毎日の学校終わりに彼女の病院へ行ってしまおうかと悩んではやめての繰り返しばっかりだった。それでも日は進むばかりで、文化祭の準備も進んでいく。彼女のいない文化祭なんて考えられないし考えたくなかったけど、彼女がくる保証もないのでひたすら無の状態で準備を進めていく。
「四季ー、これ着てみてくんね」
「これなんの衣装?」
「うちのクラスの出し物の執事メイドカフェの衣装! お前かっけぇのにキッチンじゃもったいねぇし」
「当日は絶対キッチンにしてくれる? それなら今は別に着ても構わないけど」
「じゃあ今は着なくていいから当日接客は……?」
「なし、却下」
「どうせそうだと思ってたよ! じゃあ今お願いしまーーす」
渋々執事の衣装へと腕を通す。先程の会話は今までの僕なら考えられないようなものだった。思い返せば、二十七回もあった文化祭でちゃんと自分が参加したのは初めてだし、クラスメートとコミュニケーションをとったり、かっこいいと褒めてもらったり、下の名前で呼ばれたりする。こんなの今までの僕では考えられない非日常だった。失うことが怖くて一歩踏み出せずに自分で他人と距離をとって一人で過ごすことの楽さをとっていた僕をみんなのいる明るい世界に引っ張ってくれた彼女に感謝しかなかった。だからこそ、この文化祭という風景を彼女と楽しみたかったという思いが大きく膨らんでいってしまった。彼女が当日来れるかなんてわからないのに。
「これで満足?」
着替え終わってみんなの元へと戻る。
「待って……めっちゃかっこいいじゃん‼︎」
「え、あれ永見くん? すごいかっこいいんだけど」
「星来ちゃん、来れるといいね。永見くんがあんなにかっこよく決めてるんだもん」
どこかでそんな声がした。前に話した女子生徒の声だったような気がした。でも今の僕にそんなことはどうでもよくて。あの発言的に、まるで彼女が僕を好きみたいじゃないか? 女子の情報網というのはとても恐ろしいと長年の経験から学んでいた。気づいたら好きな人がバラされていたり、誰と誰が付き合ったとか、あいつはあの子が嫌いだとか。高校で生活すると、精神が大人に変わりかけている思春期特有のいざこざがよく起きていた。主に女子の。その分女子の情報網は信用性が高い時も多い。特に恋愛系は異常に早かった気がする。このことを鑑みるとさっきの発言から彼女は僕に好意を抱いて来た可能性が高いということになる。思い返してみれば、最初からおかしかったのかもしれない。三年間クラスが一緒とはいえ、彼女は学校に来ていなかったのにわざわざ友達のいない僕に声をかけてきて、僕を貶したクラスメイトに怒って、名前呼びを勧めてきて。点と点がつながって線ができる、そんな表現をドラマで見たことがあったけど実際に体験したのは初めてだった。彼女のささやかとは言い難いアピールに気づいてしまえば僕の否定し続けていた気持ちが固まるのは一瞬だった。
「あのさ」
「永見くん? どうしたの改まって」
「星来さんって僕のこと好きなの……?」
「あ、えーーっと」
その話をしていた女子たちは皆口を揃えて黙り、お互いの様子を見渡す。そんな中1人だけ話し始めた。
「うん。星来ちゃん永見のこと好きだよ。まだ気づいてなかったの?」
「幸田、知ってたの?」
「永見が鈍感すぎるだけでみんな気づいてるよ」
「幸田はいつから知ってたの? 僕に聞いてきた時?」
「ちゃんと知ったのは夏休みに入る前かな。気づいてはいたけど星来ちゃんが認めると思ってなくてびっくりした記憶ある」
「その時、星来さん何か言ってなかった? 時間がないとか、もう会えないとか」
「なんだっけな。たしか……」
そう話しを続けようとしたら担任が教室に入ってきて、ホームルームを始めるよう促した。続きが聞きたい気持ちが収まらず、担任の話なんて聞けなかった。
幸田架恋は本当は最初から思い出していた。しかし、言っていいのかわからないことで言い淀んでいた。あの日の星来の顔色はとても良いとは言えなかった。しかし、青白くなった顔を真っ赤にして女子たちの中で告白していた。
「みんな気づいてると思うけど、四季くんのこと好きなんだ……!」
みんなの注目の的であったその二人の恋模様に皆が釘付けだった。その告白を聞いて女子たちはとてつもない盛り上がりを見せ、多くの質問が彼女に飛んだ。しかし、彼女は一人落ち着いた様子で隣にいる自分にしか聞こえないぐらいの声量で一言つぶやいた。
「____もう終わるって知ってるけど」
その一言を永見に伝えるか酷く迷っていた。架恋は人の変化に鋭く、彼女が日に日に弱っていくのを感じていた。しかし、自分が深く関われないばかりに彼女の病気や状態について何一つ知らなかった。こんな状態で永見を混乱させることを言っていいのか? そんな迷いが生じて先ほどははぐらかしたのである。でも、彼なら。そう思う気持ちもあった。彼ならきっと星来を心から愛しているから、すぐに行動するのではないか。そう思い、ホームルームが終わったら伝えようと思った。
私が話しかけにいくより前に永見は答えを知っているかのように話す。
「きっと、『終わりが来るのを知ってる』的なことを言ったんじゃないかな?」
ドンピシャな質問に鳥肌すら立ちそうな気分だった。
「そうだよ。もうすぐ終わりが来るって言ってた。永見、病院も病室の番号も知ってるでしょ。今すぐ行きなよ」
最後の言葉を言う前に彼は荷物を持って駆け出していた。
「ありがとう」
去り際にそう言い放つ彼に目を見開いた。
たった数ヶ月で変わり果てた彼に驚きが隠せなかった。私が変えたかった彼をこんなにも簡単に変えられてしまうとなんだか複雑な気持ちだった。いつか感じた劣等感を思い出す。でも、そんな劣等感も彼女の底抜けな明るさが忘れさせてくれた。嫉妬から彼のことを悪く言った私にすら優しくしてくれた。本当は架恋ちゃんって優しいよねと声をかけてくれた。だから、私は彼女を憎めないし、逆に尊敬している。二人で幸せに微笑む姿を見て、一年間拗らせた恋に終わりを告げ、隣にいるのは自分ではなかったと素直に受け止められるようになったのだ。一年を超える恋を諦めたのだからなんとしても彼女には生きてもらわないと困る。だから頑張れ、とエールを送ることしか私にはできなかった。
走った。死ぬ気で駆け抜けた。どんなに頑張って走っても、どんなに駆け抜けても、彼女には追いつかないと分かっている。それでも、追いつきたくて、彼女に手を差し伸べたくて走った。
病室について一番に目に入ったのは、安らかに眠る彼女だった。点滴の滴る音しか聞こえない、緊迫した病室。焦った僕に案内してくれた看護師さんが宥めるように言ってくれた。
「今は薬の力で寝ているだけですよ。心配しなくても目を覚まします」
「そうですよね。すみません」
そう返すと看護師さんは退室した。初めて彼女が弱っている姿を見て、むず痒くなる。
「起きてるなら、声出してくれたって良いんだよ」
微かに瞼が動いていることと、呼吸が浅くなっていることを確認した上で言った。
「気づいてたならもっと早く言ってくれてもよかったんだよ!? 頑張って目、閉じてたのに」
残念そうに呟く彼女を見て安心する。この姿だけを見ていると病室と入院服の白がやけに場違いのように思える。
「なんで、僕に何も言ってくれなかったの。そんなに僕、頼りないのかな……? 僕は、力になりたいと前からずっと思ってるのに……」
「ううん、むしろすごく頼りにしてるよ」
僕の言葉を力強く遮って彼女は話し始めた。
「話、遮ってごめんね。でも頼りないとか言うからそれはだめ! って思って。私、最初は四季くんに関わるつもりなんてなかったんだよ。なのに気づいたらここまで色々支えてもらっちゃって、すごく感謝してるよ。それでもこのこと言わなかったのは、四季くんも何か病気を持ってるんだと思って。バレちゃったから言うけど、私何回も四季くんのこと病院で見てるんだ」
「実は僕も、何回かは見たこと、ある」
「だよね。だから、自分の病気のことできっと大変なのに私のことも言ったら絶対四季くん真剣に考えて悩んでくれちゃうから、言えなかったの。勝手な判断して結局たくさん心配かけちゃった」
はぐらかすような笑いをこぼした彼女に、呆れると共に、まさか病院にいた自分を見られていたことに驚く。そろそろ、言わなければいけない時期だと思っていたので自分の病気について打ち明けることにした。彼女にとっては残酷な病気だが。
「予想通りで、僕も病気を持っているんだ。でも、真逆で死ぬことができない病気。きっと信じられないだろうけど、本当にそういう病気なんだ。だから、実際の年齢は四十二歳だし高校生活は九回目だよ。見た目も全部衰えないで二十歳のまま止まってる。いつまでも、同じ姿のまま人生は終わらない。僕はずっと同じ姿でみんなが卒業して、就職して昇格するのを見てきた。自分だけが時間という世界から切り取られる感覚で、一人で取り残されるってこんなにも怖いんだって思ってる。 これが、僕の病気」
ちらりと彼女を見ても何も言わない。静かに僕の方をじっと見ていた。彼女がそんな人間ではないことをわかっているけど、贅沢な悩みだと言われてしまうのかと思っていると彼女の口が動いた。
「そっか」
あまりにも短く、冷たく聞こえるその言葉とは裏腹に彼女の顔は酷く歪んでいて、僕のことを心配しているのだと分かる。
「意外だね、その反応。もう少しびっくりするか、信じられないかと思った」
「もちろん、信じられないよ。でも、四季くんの顔見てたらそんなのどうでも良いんだよ。今までずっと自分のこと話してくれなかった人がこんなにも自分の気持ちと状態を話してくれたんだもん。それだけで私は心配しちゃうよ」
「そういうところ、本当に好きだよ」
気づけば口から溢れていた。この半年間僕の中で気付かぬうちに育っていた、認めたくないと抗っていたけれど、もう否定できないくらいに大きく、深くなった"好き"という感情。今の彼女が受け取るとは思えないけれど、伝えなければならないと思ったのかもしれない。
「……え? ごめん、聞き間違いかな」
「ううん、聞き間違えなんかじゃない。はっきり言ったよ。僕は君が好きです。星来が好き」
まっすぐ彼女だけを見る。
「ほんとに……? あの四季くんが私を好き? ねぇ、本当なら泣いて喜んじゃうよ」
「本当に、星来が好きだよ」
宣言通り、彼女の目から涙が零れ落ちる。ぽろぽろと流れる涙を僕が指で拭う。言葉にしてしまったら止まらなかった。今まで生きてきて一度も生まれたことのない感情に戸惑いを感じるが、そんなのどうでもよくなるくらい目の前の少女を守りたくなった。彼女を見つめていると、俯いていた彼女が僕を見る。
「私だって、好きだよ。好きだけど、もう時間がないの……。四季くんはこれからもずっと生きていかなきゃいけないでしょ。でも、私はあと少ししか生きられないもん」
点滴の音と、シーツの擦れる音しか聞こえなくて、僕のあまりに早く鳴る心臓の音が彼女に聞こえているかもしれないと思う。
「だから、四季くんのこと悲しませちゃうだけだよ。絶対、私は助からないし、四季くんより先に死んじゃうよ。それも、すぐに。選んじゃダメ、私なんて。だから、大嫌いだよ、四季くん」
彼女はどこまで優しい人なんだろう。他人のためにここまで優しくできるなんて、僕には考えられない。いつでも自分が苦しまないために人との関わりを絶って、恐れられることに怯えて病気のことも自分のことも誰にも話せなかった。他人と関わるのが怖かった。自分を守るためなら、僕はなんだってできる。他人に毒を吐くことも、傷つけることも、嘘をつくことも。でも彼女はまっすぐ他の人を見つめ、正面からぶつかる。彼女が他人に毒を吐いたり、嘘をつくのはその人を守る時だけだ。そんな優しさに憧れて、惚れたんだ。
「僕は、好きだよ。何があっても。今まで誰のことも好きになったことはないし、好きになるつもりはなかった。人はいつだって脆い。些細な言葉で傷ついて、人を羨んで、時に人を傷つけて、それでも必死にもがいて生きて、終わりを遂げる。そんな終わりがある人生を生きるしかない僕とは違う人間と仲良くするつもりなんてなかったよ」
僕の声が震えているのがわかる。手汗も冷や汗も何もかもが焦っていた。それほどまでに彼女に気持ちを伝えなきゃって。
「だって、失うのが怖いんだ。大切な人が目の前から消えるのは言葉にできないほど、恐ろしい。それが僕の人生で何回あるんだろうって考えたら夜も眠れなかった。でも、それでも、君と一緒にいたいと思った。誰よりも君のそばで支えたいし、喜びも悲しみも分かち合いたいと思った。だから、僕は絶対に君を諦めないよ」
彼女はまた泣いていた。でもそれはさっきと同じ喜びによる涙だと思う。
「四季くん。ありがとう、私も大好きだよ」
僕は彼女を抱きしめた。体が勝手に動いていた。今、捕まなかったらどこか遠くに行ってしまう気がして。彼女を僕の中に閉じ込めないと明日には泡になって消えてしまう、そんな空気だった。抱きしめて感じる彼女は弱りきっていた。掴んだ手首は骨が浮き彫りになっていて、抱きしめた体は元々薄かったのにさらに薄くなり骨と皮膚しかなかった。きっと、本当にもうすぐでいなくなってしまうんだと思う。いつだって、心の準備は出来ていた。彼女を失うことは辛いけれど、それよりも一緒にいることを望んだ。
「もし、来年も生きてたら桜、見に行こう」
「え? どうして?」
「一番最初の頃、みんなからの質問で一番好きな花は桜って答えてたよね? だから」
「四季くんはほんとに……ずるいよ」
また涙を流す彼女の頬をなぞり、微笑む。彼女の震えた手が僕の手に触れ、僕たちは初めて手を繋いだ。
面会時間が終わり、自宅に帰る。家族三人で住んでいた一人で住むには大きすぎる家の中で僕は何年間も過ごしてきた。寂しくなったことは今までなかった。人に終わりが来るのを知っているから。でも、彼女と過ごして終わりが来る普通の人に対する見方が変わった。誰よりも必死に生にしがみついて、生きている。でもそれでいて、死ぬ運命を受け止めて今をどれだけ満足して生きれるかを考えて自分の気持ちに従っていた。僕は一度でもそんな生き方をしたことがあるだろうか? 小さい頃病気を知り、ずっと諦めて生きてきた。一度も生に向き合ったことがなかった。僕は彼女を失った後、生に向き合わなければならないと思う。誰よりも真剣に。一人でいることに寂しさを覚えたのはこの夜が初めてだった。彼女といることが当たり前で、誰かと感情を分かち合うのが普通で、名前を呼ばれることが好きだった。だから、今日という日を一人で過ごすのが怖かった。明日になったら、彼女がいないかもしれない。一人になるかもしれない。でも、そんなの関係ないくらい好きだから。明日会えるはずの彼女を想像して夜を明かせた。
朝が来て、いつも通り彼女の病室を訪れようとした。
「この病室は今日の面会は不可となっています。申し訳ありません」
目の前が真っ暗になった。昨日あんなに明るく微笑んでいたのに、やっと伝えられたのに、もうあの輝きがなくなってしまうのだろうか?
虚無感に包まれて、帰路に着こうとした。
「ねぇねぇ、もしかして、お兄ちゃん二〇六号室の星来ちゃんに会いにきたの? 私、星来ちゃんと同じ部屋なんだけどね、男の子が来たら渡してねって言われたものがあるんだ!」
同室だと言う小さな女の子が手に持っていたのは手紙だった。
「絶対に家で読んでって言われたよ! 星来ちゃんね、お兄ちゃんのことたくさん話してくれて、にこにこしてたよ! だから、ちゃんと読んであげてね!」
「ありがとう、大切に読むね」
もらった手紙は、一枚の紙ではないぐらい分厚くなっていた。早く読まなければいけない気がして、足早に帰宅した。
____四季くんへ
四季くんがこの手紙を読んでるってことは、私との面会が断られたってことかな? 四季くんのことだからきっとたくさん心配してくれてると思います。でも、まだ大丈夫。四季くんが自分のことたくさん話してくれたから、今度は私の番です。私は、心臓の病気を患っています。幼少期から外を出たこともほとんどないし、何も出来なかったの。大人になることはできないだろうってお医者さんに言われて今まで過ごしてました。唯一、ドナーがいればまだ望みはあるって言われてたんだけど、心臓のドナーって難しくてね、だから現れないだろうって言われてました。でも、最近ドナーが待ち続けてやっと見つかって、手術するんだ。それが、この手紙を読んでる日です。上手くいったら寿命は伸びると思うけど、失敗する確率も多いみたいです。それに移植が成功しても目を覚さないこともあるんだって。だからね、ちゃんと全部伝える。私言ってなかったけどね、四季くんのこと好きだよ。四季くんもそうだったら嬉しいなってずっと夢みてて、たくさん話してくれるから自惚れちゃったりもしてて。四季くんに出会えてなかったらね、きっと病院の壁しか見てなくて、勉強も、桜も、クラスメイトっていうあったかい存在も何もかも知らなかったと思うの。いっぱい、私に教えてくれてありがとう。四季くんに会ってから毎日が楽しいよ、私。生まれて初めて、生きてる心地がするの。だからいっぱいありがとう四季くん。もし目を覚ましたら、返事ください。
それで、もし会えなかったら、前を向いて必死に生きて見て欲しい。私からのたった一つのお願い。
星来____
前が見えなかった。文字がぼやけていた。どれだけ僕が祈っても成功率は上がらない。何もできない無力な自分に嫌気がさしてくるけれど、僕がこんな弱っていたら目を覚ました星来に笑われてしまう。だから前を向いて、明日を待つ。明後日を待つ。彼女が目覚めるまで、僕はいつまでだって待てるのだから。
彼女はそのまま戻ってこなかった。同室の女の子から聞いた話によると、手術は成功したものの、拒絶反応により戻ってくることはなかったと言う。気持ちを伝え合った日が彼女との最後の日となった。女の子から話を聞いたあと、僕の体は動かなくて病院の休憩スペースでただ宙を見つめ、彼女を思い出していた。すると、知らない看護師さんがこちらに近づいてきた。かれこれ三時間ほどここにとどまっているので注意かと思い身構えた。
「あの、君さ……」
「すみません、長く居すぎましたよね、帰ります」
「いやいや! 違くて! 君、瞬日星来ちゃんのところにずっと来てた子だよね?」
彼女の名前が出て、やっと収まった感情がまたぶり返してきそうになる。なんとか声に出ないように返事をしなければ、と思うと看護師さんは続けて言った。
「あの子はね、知ってるだろうけど小さい頃からずっと入院してて学校もろくにいけなかったの。身体のためって理解してるからちゃんとルールを守って過ごしていた彼女が、あまり先も長くないから学校に行かせて欲しいって初めて自分の意見言ってね? それで彼女の最後の頼みならってことで高校に通い始めたの」
僕の推測は正しかったようだ。元から寿命はわかっていたし、最後の頼みっていうのも僕にはわかる。母だってそうだったから。母も寿命が近づいてきた頃、最後の頼みとして向日葵畑に連れてって欲しいと言われて二人で行ったことが記憶に新しい。
「それで初めて学校行った日にあの子私のところにとっても素敵な男の子がいたんだーって報告しにきたのよ? 毎日ここにきてはその子の話ばっかりするんだもの、てっきり付き合ってるのかと思って聞いてみたら、自信なさげに否定するから私びっくりしちゃって」
「そんなに、僕のこと話してたんですか、あの子」
嬉しさと恥ずかしさがせめぎ合う。
「えぇ、とってもにこやかにね。すごく素敵な関係だったと思う。だからその、あの子に関しては本当に残念ね」
「残念……、そうですね、残念です。終わりが来るってわかっていたけど、もう一回くらい会えると思ってたから余計に辛いです」
もう一度会えるという慢心。彼女の手術が成功して復活して話すことができるだろうという甘い考えで彼女ともう会えないのが酷く辛かった。でも現実は無情にも進むし、止まってくれない。僕の人生みたいだった。何を願っても、何も出来なくても、止まらずにずっと流れ続ける。
「君、ここの患者さんだよね? 長く使ってもらってる永見さんちの息子くん?」
「はい、そうです」
「君に大切な人ができたなんて嬉しいな、小さい頃から見てた方からすると君ずっと人生に失望した顔してたからさ。だから、星来ちゃんはとっても刺激になっただろうし、大切にしたかったよね」
「初めて、大切にしたいって思いました。僕とは全く違う状況だったから何もかもが新しくて、あの子ともっとちゃんと過ごしたかったです。でも、あの子と出会ったから僕の人生は変わったし、味方をもっと変えなきゃいけないって思いました。だから、失ったことも悪いことばかりじゃないのかもしれません」
「君は本当に変わらずに真っ直ぐだね」
まっすぐ。僕とは正反対の言葉だと思う。誰よりも歪んでる。小さい頃から世界に絶望して、何も楽しくなかったし何も真面目にやったことがない。世界を卑屈に捉えているし、誰に対してもいつかいなくなるだろって下げて見ていた。だから僕は全くまっすぐなんかじゃない。
「僕は真っ直ぐじゃないです。ずっと捻くれて、世界を偏った方向からしか見てないし、あの子みたいな子が真っ直ぐだと思います」
「そうかな? 二人は違う真っ直ぐだよね。星来ちゃんは生きることに真っ直ぐだよね。誰よりも真っ当に、そして自分の気持ちにまっすぐ生きていられる。でも四季くんは違う真っ直ぐだと思うよ。人の感情に敏感で、人が不快にならないように気をつけてて、自分よりも他人のことを優先することに真っ直ぐだよ。だから、君はずっと真っ直ぐ生きてるよ。自信を持って欲しいの。それでね、私提案があって」
「なんですか?」
「きっと君なら______」
誰もいない放課後の教室。僕は先生と二人きりで面談をしていた。看護師さんの提案を担任に相談しようとしていた。
「永見から進路の話が出ると思っていなかったよ。また来年も変わらずに高校生として頑張るんだと思っていたから」
「僕も、高校生を辞めるつもりは全くなかったです。でも瞬日が教えてくれたんです、大切なことを。だから、僕は前を向かなきゃいけないって思わせてくれました。ずっと止まってたけど進まなきゃって。だから、僕は______大学に進学しようと思います」
"大学進学"九回高校生を繰り返した僕から出ると思っても見なかった言葉だと思う。変わるのが怖くて、失うのが怖かった。何も知らないところに行って自分を教えて嫌われるのが怖かった。でも、それじゃ何も変わらないって教えてもらったから。この病気を持った人間が医療に携わることでより発展していくと思うし、僕自身が彼女みたいに苦しむ人を少なくしたいと思うようになった。だから、医療の道に進むために医学部の受験を希望した。
「永見が新しい道に進むのを俺はとても嬉しく思うよ。あんなに生きるのが楽しくなさそうな顔をしていた永見をたった一人の女の子が変えてしまうんだもんな。感慨深いな」
「僕も、自分がこんなふうになるなんて思ってもいませんでした。だからびっくりしてます」
笑いながら答える。誰かを好きになるとか、誰かと一緒に生きるとか想像もしたことがなかったのに、いとも簡単に彼女にその考えは壊された。だから、僕は彼女とこれからも生きると決めている。みんなが彼女を忘れても僕だけは絶対に覚えていられるから。ずっと。
「そういえば、瞬日から永見に渡して欲しいって言われてたものがあったんだよな。どこだっけな、あぁ、引き出しだ。持ってくるから待っててくれ」
渡されたのは、ドライフラワーの押し花のしおりだった。それと紙も。
『思い出はいつか風化する。でも風化し切った思い出はずっと消えないから』
彼女らしい言葉と贈り物だと思う。思わず笑みが溢れる。この、風化し切った思い出と共に、僕は歩み出していくことにした。
六年の月日を経て、医師として働き始めた。循環器を専門に勉強し、循環器内科で働いている。これも、星来のおかげだった。彼女を苦しめた心臓の病気について詳しく勉強して少しでも多くの人を助けたいと思った。同時に、僕自身の病気についても研究を始めていた。なぜ死ねないのか、死ぬためにはどうしたらいいのかを血液や皮膚、脳の電波の解析などで解明しようとしている。しかしまだなんの成果も得られていない。でも、医師にならなければできなかったことだ。だから、僕は彼女を胸に一緒に戦っていくと決めた。
「こんにちは。具体的な症状を教えてもらえますか?」
窓から桜の花びらが入ってくる。同時に入ってきた風から懐かしい香りがした。君と隣に座った時に香った柔軟剤みたいな香り。
君との思い出はいつだって思い出せる。君が前を向いてって風化させてくれたから。
僕の春は、君の一生に咲く 夏芽あとか @---a---
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