第2話 止まった時計と長男の影
第2話 止まった時計と長男の影
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香織は迷わなかった。
机の上に広げられた遺言の暗号文を前にしても、彼女の視線はその隣で沈黙する長男・亮に注がれていた。
「亮さん。さきほど“時計が止まっていた”とおっしゃいましたね」
香織の声は静かだったが、空気を震わせるような硬さを帯びていた。
亮は腕を組み、目を細める。「ああ、そう言った。事実だ」
「どうして覚えていたんです?」
「……?」
「古い時計が止まっていた。ただそれだけなら記憶に残らないはずです。なのに“止まっていた”と強調された。つまり、時計の針が止まった時刻を、あなたは意識していた」
亮の表情が硬直した。
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「俺は……昨夜の九時前後に帰宅した。父はまだ書斎にいた。声をかけずに廊下を通り過ぎただけだ」
「九時前後」悠真が淡々と繰り返す。「しかし時計は七時四十分で止まっていた」
「だから、止まってたんだ! 古い時計だからな、しょっちゅう狂うんだよ!」
藤村が口を開いた。「昨日までは正確に動いておりました。時計師に調整をお願いしたばかりです」
沈黙が流れる。
香織は亮の仕草を観察した。腕を組んだまま拳を強く握り、手首の皮膚に赤い擦り傷が浮かんでいる。
(庭の薔薇で? それとも別の原因?)
さらに、亮の革靴の底に泥がこびりついていた。雨は降っていない。――庭に入った痕跡かもしれない。
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「亮さん、昨夜の九時前後に帰宅したとおっしゃいましたね」
香織が一歩近づく。「その時、どなたかが目撃していますか?」
「……使用人に聞け。俺は知らん」
藤村が首を振った。「私はその時間、別棟で事務をしておりました。お屋敷の廊下にはおりません」
悠真が口を挟む。「つまり、亮さんの“九時帰宅”は確認できていない」
西条警部補が腕を組み直す。「亮。お前が最も怪しい位置にいるぞ。遺言の暗号を改ざんする機会も動機もある」
「バカバカしい!」亮は机を叩いた。「俺が父を殺す理由なんかあるか!」
「経営方針で揉めていた、と聞いています」悠真が低い声で返す。
「それは仕事の話だ! 親子だから意見が違っただけだ!」
声が荒れるほど、亮の立場は苦しく見えた。
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香織は机に視線を落とした。木目に走る細い擦り傷。その上に、微かに金属の跡が重なっている。
「この傷……靴底の金具の跡に見えます」
亮の革靴をちらりと見る。確かに、底に小さな金具が打ち込まれている。
「ちょっと待て、それだけで俺を犯人扱いか!」
「扱ってはいません。ただ、机に何かを引きずった跡があり、その際に靴底が触れた可能性がある。……止まった時計とも関係があるかもしれません」
その時、甥の湊が小さく口を開いた。
「僕、昨夜……書斎の近くで人影を見ました。時間は九時を少し回った頃。背格好は――」
視線が亮に向かう。
「――似ていました」
部屋がざわめく。亮は顔を真っ赤にして立ち上がった。
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「ふざけるな! 俺じゃない!」
その時、別の声が響いた。
「お兄ちゃんが嘘をついてるの、私、知ってる」
次女の茜だった。彼女はスマホを握りしめたまま、唇を噛んでいる。
「私、庭から戻った時に見たの。お兄ちゃんが書斎に入るのを」
「茜、お前まで!」亮が叫ぶ。
香織は深呼吸した。
「……亮さんは確かに疑わしい。けれど、犯人と断定するにはまだ早い。暗号と庭の改変、そして時計。どこかに決定的な矛盾が潜んでいる」
全員の視線が香織に集まる。彼女は視線を受け止めながら言った。
「次に追うべきは、別の人の証言です」
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【読者選択肢】
香織は次に誰を追うべきでしょう?
1.次女・茜を追及し、庭の動きとピアスの欠片を詳しく調べる。
2.甥・湊の証言を掘り下げ、夜の“人影”の正体を探る。
※コメント欄に「1」または「2」で投票してください。投票の多い選択肢を次回の正史ルートとして採用します。
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作者より(コメントのお願い)
第2話もお読みいただきありがとうございます!
止まった時計、机の傷、靴底の跡。そして茜の告発――。
あなたは誰を信じ、誰を疑いますか? コメントでぜひ推理をお寄せください。
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