第3話 薔薇を弄ぶ手

第3話 薔薇を弄ぶ手



 書斎に重苦しい沈黙が落ちた。

 長男・亮の反発がまだ空気に残っている中、香織は視線をゆっくりと横に移した。


 ――次女・茜。

 鮮やかなスカーフを結んだ彼女の耳元から、確かにピアスの片割れが消えている。庭で拾った透明なビーズ。あれは、まさに茜の装飾品と同じものだった。


「茜さん」

 香織は机の上に小さなビーズを置いた。

「これ、あなたのですよね」


 茜の笑顔が一瞬、引きつった。「……庭で引っかけただけよ。別におかしくないでしょ」


「庭に入ったのは昨夜ですか? それとも今日の朝?」


 問い詰める声に、茜の目が泳いだ。



「昨日の夕方、薔薇に水をやった後、父の書斎を覗いたの」

「それは十八時頃、藤村さんも確認している時間ですね」悠真が淡々と補足する。


「ええ。でも……夜にも、一度だけ庭に出たの。ちょっと風に当たりたくなって」

「時間は?」

「……九時頃かしら」


 亮が即座に声を荒げた。「ふざけるな! その時間は俺が廊下に――」

「お兄ちゃん、黙って!」茜が鋭く言い返す。


 香織は二人の言い争いを遮った。「九時頃に庭へ出て、何を?」


「……薔薇の数を数えたの。暗号文を見て、どうしても気になって」


 その瞬間、場が凍った。


「つまり、遺言の暗号を“解こうとした”わけですね」悠真の声が冷ややかだった。

 茜は唇を噛み、かすかにうなずいた。



 庭師の記録では「南に紅三、東に黄二、西に白五」。

 しかし昨夜、香織たちが確認した時点では紅が二本しか残っていなかった。


「茜さん。あなたは薔薇を抜いたのではありませんか?」


「違う!」茜は即座に否定した。「私はただ……一本、枯れてると思って処分しただけ!」


「その枯れた薔薇はどこへ?」悠真が鋭く追及する。


「ゴミ袋に入れて、屋敷の裏手に……」


 西条警部補が部下に目配せし、すぐさま確認に向かわせた。数分後、戻ってきた警官の手に、切り落とされた薔薇が一本。茎はまだ瑞々しい。


「枯れてはいませんね」


 西条が低く告げる。



「なぜ抜いたのですか」香織の声は静かだった。

「暗号を、長男有利に読ませるために?」


「……違う、そんなつもりじゃ」

 茜は両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えている。


「私だって……お金が欲しかったのよ!」

 声が涙で濡れる。「ブランドの仕事もうまくいかなくて、借金もある。でも、でも……殺してない! 父が死ぬなんて思ってなかった!」


 亮が冷たく吐き捨てた。「結局金か。お前らしいな」


 その一言で、茜は顔を上げた。目の奥に怒りが燃えている。

「お兄ちゃんだって! 会社の資金繰りで首が回らないんでしょ? 遺産が欲しいのは同じじゃない!」


 兄妹の罵声が飛び交う。香織はその中に一瞬、鋭い違和感を感じた。


(“父が死ぬなんて思ってなかった”――つまり、彼女は死の前提を知らないふりをしている? だが抜いた薔薇は、明らかに意図的な細工だ)



 その時、甥の湊が口を開いた。

「僕、昨夜の九時半頃、庭で人影を見ました。白い服の女性でした。叔母さん(茜)が着ていた服に、似ていた気がします」


 茜は首を振る。「違う、私はそんな時間まで庭にいない!」


「ですが、薔薇は確かに一本抜かれていた。時計は七時四十分で止まっていた。……どちらも、あなたに不利です」悠真が言う。


 香織は机に手を置き、全員を見渡した。


「ここで大事なのは、誰が薔薇を抜いたかだけではありません」


「どういう意味だ?」西条が眉をひそめる。


「“欠けたる一が継ぐべし”。この文言は、一本抜かれた状態で意味を持つ。つまり――薔薇を抜いた人物こそ、遺言の本来の指定を変えられる立場にある」



 全員が茜を見つめた。

 茜は机に突っ伏し、嗚咽を漏らした。

「私は……犯人じゃない! 本当に父を殺してなんかいない!」


 香織はその姿を見つめながらも、冷静に頭を回転させていた。


(確かに茜は薔薇を抜いた。だが、彼女が本当に犯人ならば“時計を止める”理由が薄い。アリバイを操作する必要はなかったはず……)


 その瞬間、机の水滴の輪が再び脳裏に浮かんだ。

 誰かが震える手でコップを戻した跡。

(もしかして――薔薇と時計は、別の人物が動かしたのかもしれない)



 藤村が静かに言った。「皆様、今はこれ以上言い争っても……。遺言の解釈にはまだ余地がございます」


 香織は深呼吸し、ペンを走らせた。

 ――薔薇を抜いたのは茜。

 ――だが、死亡推定時刻を揺るがす時計操作は、別の手。

 二つの細工が同一犯によるものなのか、それとも別々なのか。


 悠真が囁く。「香織。茜を追及したことで、確かに暗号の改変は明らかになった。しかし、真犯人を指すには決定打が足りない」


「わかってる。だからこそ――」


 香織は視線を湊に向けた。

「次は、夜の人影について掘り下げるべきかもしれない」



【読者選択肢】


この先、香織は誰を追うべきでしょう?

1.甥・湊を追及し、“白い人影”の正体を探る。

2.家政長・藤村を問いただし、鍵と管理体制の矛盾を調べる。


※コメント欄に「1」または「2」で投票してください。投票の多い選択肢を次回の正史ルートとして採用します。



作者より(コメントのお願い)


第3話もお読みいただきありがとうございます!

茜の告白により「薔薇を抜いたのは彼女」と判明しました。しかし時計の謎は未解決。

あなたは「茜が犯人」だと思いますか? それとも「薔薇と時計は別々の犯人」でしょうか。

推理コメントをぜひお寄せください!

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