第3話 紅蓮の奇襲(桶狭間)
その夜更け、城は不思議なほど静まり返っていた。
昼間の喧騒が嘘のように消え、虫の声すら遠い。
家臣たちはそれぞれの持ち場へ散り、明日の出陣に備えている。
そんな中、僕――相馬蓮は、ただ一人呼び出されていた。
「蓮」
澄んで、しかしよく通る声。
振り向くと、月明かりに照らされた信長が立っていた。
紅の髪が夜風に揺れ、金の瞳が冴え冴えと輝いている。
「殿、こんな時間に……」
「お前に話しておきたいことがある」
信長はそう言うと、僕を縁側へと導いた。
城下を見下ろせる高台。遠くに灯る篝火の影が、明日の戦を予感させる。
しばらく黙ったまま、信長は空を見上げていた。
月明かりに照らされた横顔は強く、美しい。けれどその瞳の奥に、一瞬だけ陰りがよぎった。
「皆は私を“うつけ”と呼ぶ」
「……」
「明日の戦も、無謀だと笑っておろう」
普段なら豪胆に笑い飛ばすはずの彼女が、その時ばかりはほんの少しだけ声を落としていた。
その姿に、僕は思わず胸が締め付けられる。
「……それでも、私は進むしかない。天下を夢見るからだ。
だが蓮。お前は――どう思う?」
静かな問いかけ。
僕は息を呑み、心の奥を探った。
「……信長様」
僕はゆっくりと言葉を選ぶ。
「歴史では、あなたは“魔王”と呼ばれる。でも、僕にはそうは思えない。
孤独を背負って、それでも夢を語ろうとする人……だから僕は、信じます」
その言葉に、信長の目がわずかに見開かれた。
月明かりの下で、彼女の紅い髪がふわりと揺れる。
「……ふふ。面白いことを言う。まるで未来を見てきたようだな」
口元に浮かんだ笑みは、いつもの豪胆なものではなく、どこか照れを含んでいた。
「もちろんです。僕は――あなたを守ります」
「そなたに守られるようでは、私も終わりだな」
信長は小さく鼻で笑った。
「この身はこの手で守る。剣にかけて、誰にも負けはせぬ」
自負に満ちたその声音に、覇者としての誇りがにじむ。
けれどその直後、ほんの一瞬だけ視線を逸らし、紅潮した耳が夜風に揺れた。
そのわずかな仕草が、僕の胸を熱くした。
◆
翌朝。
織田軍二千は、桶狭間へ向けて進軍した。
雨が降り出し、軍勢を覆う笠や旗が濡れていく。
この豪雨こそが、奇襲に絶好の条件になることを僕は知っていた。
「殿、本当に行かれるのですか!」
「無謀にございます!」
家臣たちの声が飛ぶ中、信長は馬上で高らかに笑った。
「ならば見せてやろう! この“うつけ”が天下を掴む様を!」
ーー天下を掴む。
その声に、兵たちの士気が一気に高まる。
雷鳴が轟き、雨脚がさらに強まった。
僕は戦列の中に加えられていた。
もちろん剣を振るうわけではない。
任されたのは――敵の本陣を見極め、合図を送る役目。
ただ旗を振るだけ。誰にでもできること。
けれど、タイミングを誤れば全てが台無しになる。
奇襲の成否は、僕の判断にかかっているのだ。
◆
桶狭間。
雨に煙る丘の向こう、今川義元の本陣が見えた。
油断しきった旗指物と、寛いで酒を飲む兵たちの姿。
僕は必死に息を整え、目を凝らした。
――今だ。
僕の手は汗で震えていた。それでも旗を振り上げる。ーーこれが、僕の戦いだ。
「信長様! 本陣、見えました!」
叫びながら、僕は合図の旗を高く振り上げた。
「突撃――!」
信長の号令と同時に、織田軍は一気に駆け下りた。
雷鳴とどろく豪雨の中、鬨の声が響き渡る。
「うおおおおおッ!」
渦巻く怒号、土煙、火花。
兵たちが入り乱れ、刃と刃がぶつかり合う。
僕はただ必死に後方で合図を繰り返し、戦場全体の動きを見守った。
剣は握れない。だが、僕にしかできない役目がある。
「蓮、下がれ!」
背後から信長の声。振り向くと、彼女は雨に濡れた紅髪を振り乱し、敵兵を次々となぎ倒していた。
その剣筋は美しく、鋭く、誰も寄せつけない。
「これが……織田信長……!」
戦慄と共に、胸の奥に熱が走る。
◆
やがて、敵の中央にひときわ立派な陣幕が見えた。
そこに座していたのは、豪奢な装束を纏った今川義元。
「義元の首、討ち取れえええ!」
信長の叫びが轟く。
兵たちが一斉に突撃し、混乱の渦の中で義元が引きずり出される。
「うわあああッ!」
短い悲鳴。
次の瞬間、義元の首が掲げられた。
「義元様が……!」
今川兵の叫びが雨にかき消され、戦場は一気に崩れ去った。
「勝ったぞおおおおお!」
歓声が雨の中に響き渡る。
織田軍はわずか二千で、四万の今川軍を打ち破ったのだ。
僕はその場に立ち尽くし、胸が震えるのを止められなかった。
信長は、確かに歴史を動かした――。
雨に濡れた紅い髪を振り払い、彼女は僕を振り返る。
黄金の瞳が、真っ直ぐに僕を射抜いた。
「見たか、蓮。これが私だ」
その声に、僕は強く頷いた。
「はい……信長様。あなたは、誰よりも強く輝いています」
雨と血に濡れながら、彼女は微かに笑った。
その笑みは、覇者の顔であり、同時に――僕だけが知る、ひとりの少女の顔でもあった。
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今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「雨に燃ゆる覇声 ― Voice in the Storm ―|戦国Re:verse 信長編 #03」とリンクしています♫良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「雨に燃ゆる覇声 ― Voice in the Storm ―|戦国Re:verse 信長編 #03」はこちら⇒ https://youtu.be/GUnmmJyCcG4
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