第4話 美濃のまむし

 桶狭間の戦から数日。

 織田の勝利は尾張中に「奇跡」として語り継がれていた。


「奇襲の策を進言したのは、あの若造らしいぞ」

「殿に取り入ったに違いない」

「いや、見事な働きであったと聞く」


 城中の声はさまざまだった。

 余所者への妬みもあれば、素直に称える声もある。

 その狭間に立つ僕――相馬蓮は、少しずつだが織田家に馴染み始めていた。


 家臣の中には、桶狭間の戦の旗揚げで僕を見ていた者もいたらしい。


「確かにあの時、あの者が旗を振っていた」

「殿が動いたのは、あの合図の直後だった」


 そんな声が聞こえるたび、胸の奥がざわめいた。


 もちろん、すべてが好意的ではない。


「余所者の小僧に功を立てられては面白くない」

「殿のお気に入りに過ぎぬ」


 そんな陰口も耳に入ってくる。

 ただ、以前は僕を「早く追い出せ」と言っている者が多かったけど、今はその声は小さくなった。

 その分だけ、少し居心地が良くなった気がする。


 そしてその日の夕刻、僕は思わぬ人物に声をかけられた。



「相馬殿」


 振り返ると、凛とした女性武将が立っていた。

 切れ長の瞳に知性を宿し、背筋は真っ直ぐ。

 名の知れた武将だろうか…そう考え、僕は慌てて居住まいを正した。


「私は明智光秀。元は美濃の者で、斎藤家に縁がある。……今は殿の家臣に加わることとなった」


 その名を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

――明智光秀。本能寺の変で信長を討つ裏切り者。僕の知る歴史では、彼女こそがその人だ。


 思わず警戒する僕を見て、光秀は静かに言葉を続けた。


「桶狭間での功、見事でございました。殿が認めた者を軽んじることは、私にはできぬ。

 あなたのような者が織田に加わるのは、むしろ心強い」


 その言葉を聞き、僕は少し肩の力が抜けた。


 その声音は冷静沈着でありながら、誠実さに満ちていた。

 裏切り者の影など微塵もない。むしろ信長への忠義に燃える姿すら見える。


「ありがとうございます。そのように言っていただけると嬉しいです」


 僕が素直な気持ちを伝えると、光秀は微笑んだ。


「……元は美濃…ということは、光秀殿は、美濃に詳しいのですね」

「ええ。それなりに」

「では、斎藤道三殿をご存じですか?」


 織田家の家中では、桶狭間の戦いの後、『斎藤道三』の名がたびたび聞かれるようになった。

 僕も史実で「まむし」と呼ばれていたことなどは知っている。

 そして、史実では男だった信長の妻となったのが、斎藤道三の娘の濃姫だった。

 信長と斎藤道三は、ただの舅と婿という関係を超えた強い絆で結ばれていた…とする説もある。


「知っております。ゆえに申し上げます。斎藤道三公は、狡猾ながら時代の変わり目を見抜く方。

 敵にすれば厄介ですが……味方にすれば心強い」


 その言葉に、僕は思わず口を開いた。


「信長様と道三公は、きっと気が合いますよ」


 光秀は小さく微笑み、静かに頷いた。

 それ以上は多くを語らず、やがてすっと立ち去っていった。


 ――意外だった。

 この人が本能寺で信長様を裏切るなんて、本当にあるのだろうか?

 胸の奥に、不思議な戸惑いが残った。



 その夜。

 信長に呼ばれて広間へ向かうと、彼女は珍しく深く考え込んでいた。


「蓮」

「はい」

「……美濃の“まむし”、斎藤道三のことだ」


 低く呟かれた名に、僕は思わず息を呑む。

 ちょうど昼間、光秀とその話をしたところだった。


「狡猾で油断ならぬ男。味方にすれば頼もしいが、敵に回せば厄介極まりない。

 あやつをどう扱うべきか……」


 信長がこうして迷いを口にするのは珍しかった。

 僕は昼間の光秀の言葉を思い出しながら答えた。


「きっと信長様と気が合います。どちらも周囲から“うつけ”や“まむし”と呼ばれながらも、己の道を進む人です。

 だからこそ、話せば分かり合えるはずです」


 信長はしばし黙し、それから小さく笑った。


「……そなたがそう言うのなら、一度会ってみるか」


 黄金の瞳が月明かりに揺れる。その瞬間、彼女の決意は固まったように見えた。



 数日後、美濃国・稲葉山城下。

 僕と共に訪れた信長は、ついに斎藤道三と対面した。


「ははは……これが尾張の“うつけ姫”か」


 現れた道三は、蛇のような鋭い目をした老武将だった。

 白髪混じりの髪、口元に浮かぶ笑みは人を試すかのようだ。


「うつけで結構。だが義元を討ったのはこの私だ」

 信長は臆することなく堂々と言い放つ。


 一瞬、場が凍りつく。

 だが道三は呵々と笑い、杯を掲げた。


「……面白い女よ。ますます気に入ったわ」


 やがて二人は酒を酌み交わしながら、天下について語り合い始めた。

 国の治め方、戦の在り方。

 年も立場も違うのに、まるで旧知の友のように意気投合していく。


 僕は隣で驚きながら、その光景を見つめていた。

 信長様と道三公――二人は本当に似ている。



 やがて道三が杯を置き、低く言った。


「美濃を制する者は、天下を制す」


 その言葉に、信長の金色の瞳が鋭く輝いた。


「天下……」


 紅の髪が月光に揺れる。

 信長の背中は、ひとりの若き姫君でありながら、覇者そのものだった。


「面白い。覚えておこう」


 その横顔を見ながら、僕は強く思った。

――この人の夢を、僕が支えたい。どんな未来が待っていようとも。



 会見の後も、斎藤道三との縁は続いた。

 稲葉山からの使者が頻繁に訪れ、書簡や贈り物を携えてくる。


「殿へ、道三公より新たな武具が」

「こちらは鷹狩りに適した鷹とのことです」


 差し出された品々を前に、信長は腕を組んで唸った。


「……まむし殿は、どこまで私を気に入るつもりか」


 その口調は苦笑混じりだったが、黄金の瞳の奥には、確かな喜びが見え隠れしていた。


 僕はそんな彼女の横顔を見ながら思う。

 ――信長様にとって、斎藤道三はただの同盟者ではない。

 父のようであり、師のようでもある存在になっていた。

*********


今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「美濃を制する者 -The One Who Rules Mino-」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫


「美濃を制する者 -The One Who Rules Mino-」はこちら⇒ https://youtu.be/lbqABaLtU3M

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