第4話 美濃のまむし
桶狭間の戦から数日。
織田の勝利は尾張中に「奇跡」として語り継がれていた。
「奇襲の策を進言したのは、あの若造らしいぞ」
「殿に取り入ったに違いない」
「いや、見事な働きであったと聞く」
城中の声はさまざまだった。
余所者への妬みもあれば、素直に称える声もある。
その狭間に立つ僕――相馬蓮は、少しずつだが織田家に馴染み始めていた。
家臣の中には、桶狭間の戦の旗揚げで僕を見ていた者もいたらしい。
「確かにあの時、あの者が旗を振っていた」
「殿が動いたのは、あの合図の直後だった」
そんな声が聞こえるたび、胸の奥がざわめいた。
もちろん、すべてが好意的ではない。
「余所者の小僧に功を立てられては面白くない」
「殿のお気に入りに過ぎぬ」
そんな陰口も耳に入ってくる。
ただ、以前は僕を「早く追い出せ」と言っている者が多かったけど、今はその声は小さくなった。
その分だけ、少し居心地が良くなった気がする。
そしてその日の夕刻、僕は思わぬ人物に声をかけられた。
◆
「相馬殿」
振り返ると、凛とした女性武将が立っていた。
切れ長の瞳に知性を宿し、背筋は真っ直ぐ。
名の知れた武将だろうか…そう考え、僕は慌てて居住まいを正した。
「私は明智光秀。元は美濃の者で、斎藤家に縁がある。……今は殿の家臣に加わることとなった」
その名を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
――明智光秀。本能寺の変で信長を討つ裏切り者。僕の知る歴史では、彼女こそがその人だ。
思わず警戒する僕を見て、光秀は静かに言葉を続けた。
「桶狭間での功、見事でございました。殿が認めた者を軽んじることは、私にはできぬ。
あなたのような者が織田に加わるのは、むしろ心強い」
その言葉を聞き、僕は少し肩の力が抜けた。
その声音は冷静沈着でありながら、誠実さに満ちていた。
裏切り者の影など微塵もない。むしろ信長への忠義に燃える姿すら見える。
「ありがとうございます。そのように言っていただけると嬉しいです」
僕が素直な気持ちを伝えると、光秀は微笑んだ。
「……元は美濃…ということは、光秀殿は、美濃に詳しいのですね」
「ええ。それなりに」
「では、斎藤道三殿をご存じですか?」
織田家の家中では、桶狭間の戦いの後、『斎藤道三』の名がたびたび聞かれるようになった。
僕も史実で「まむし」と呼ばれていたことなどは知っている。
そして、史実では男だった信長の妻となったのが、斎藤道三の娘の濃姫だった。
信長と斎藤道三は、ただの舅と婿という関係を超えた強い絆で結ばれていた…とする説もある。
「知っております。ゆえに申し上げます。斎藤道三公は、狡猾ながら時代の変わり目を見抜く方。
敵にすれば厄介ですが……味方にすれば心強い」
その言葉に、僕は思わず口を開いた。
「信長様と道三公は、きっと気が合いますよ」
光秀は小さく微笑み、静かに頷いた。
それ以上は多くを語らず、やがてすっと立ち去っていった。
――意外だった。
この人が本能寺で信長様を裏切るなんて、本当にあるのだろうか?
胸の奥に、不思議な戸惑いが残った。
◆
その夜。
信長に呼ばれて広間へ向かうと、彼女は珍しく深く考え込んでいた。
「蓮」
「はい」
「……美濃の“まむし”、斎藤道三のことだ」
低く呟かれた名に、僕は思わず息を呑む。
ちょうど昼間、光秀とその話をしたところだった。
「狡猾で油断ならぬ男。味方にすれば頼もしいが、敵に回せば厄介極まりない。
あやつをどう扱うべきか……」
信長がこうして迷いを口にするのは珍しかった。
僕は昼間の光秀の言葉を思い出しながら答えた。
「きっと信長様と気が合います。どちらも周囲から“うつけ”や“まむし”と呼ばれながらも、己の道を進む人です。
だからこそ、話せば分かり合えるはずです」
信長はしばし黙し、それから小さく笑った。
「……そなたがそう言うのなら、一度会ってみるか」
黄金の瞳が月明かりに揺れる。その瞬間、彼女の決意は固まったように見えた。
◆
数日後、美濃国・稲葉山城下。
僕と共に訪れた信長は、ついに斎藤道三と対面した。
「ははは……これが尾張の“うつけ姫”か」
現れた道三は、蛇のような鋭い目をした老武将だった。
白髪混じりの髪、口元に浮かぶ笑みは人を試すかのようだ。
「うつけで結構。だが義元を討ったのはこの私だ」
信長は臆することなく堂々と言い放つ。
一瞬、場が凍りつく。
だが道三は呵々と笑い、杯を掲げた。
「……面白い女よ。ますます気に入ったわ」
やがて二人は酒を酌み交わしながら、天下について語り合い始めた。
国の治め方、戦の在り方。
年も立場も違うのに、まるで旧知の友のように意気投合していく。
僕は隣で驚きながら、その光景を見つめていた。
信長様と道三公――二人は本当に似ている。
◆
やがて道三が杯を置き、低く言った。
「美濃を制する者は、天下を制す」
その言葉に、信長の金色の瞳が鋭く輝いた。
「天下……」
紅の髪が月光に揺れる。
信長の背中は、ひとりの若き姫君でありながら、覇者そのものだった。
「面白い。覚えておこう」
その横顔を見ながら、僕は強く思った。
――この人の夢を、僕が支えたい。どんな未来が待っていようとも。
◆
会見の後も、斎藤道三との縁は続いた。
稲葉山からの使者が頻繁に訪れ、書簡や贈り物を携えてくる。
「殿へ、道三公より新たな武具が」
「こちらは鷹狩りに適した鷹とのことです」
差し出された品々を前に、信長は腕を組んで唸った。
「……まむし殿は、どこまで私を気に入るつもりか」
その口調は苦笑混じりだったが、黄金の瞳の奥には、確かな喜びが見え隠れしていた。
僕はそんな彼女の横顔を見ながら思う。
――信長様にとって、斎藤道三はただの同盟者ではない。
父のようであり、師のようでもある存在になっていた。
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今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「美濃を制する者 -The One Who Rules Mino-」とリンクしています。良かったら、楽曲の方も聴いてみてくださいね♫
「美濃を制する者 -The One Who Rules Mino-」はこちら⇒ https://youtu.be/lbqABaLtU3M
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