第2話:紅蓮の兆し

 翌朝。

 目を覚ました僕は、織田家の家臣たちから得た情報を自分なりに整理して、ようやくこの世界の「ルール」を理解し始めていた。


 どうやらここは、史実そのままの戦国時代……ではない。

 男女の区別なく、家督は長子が継ぐのが当たり前の世界だった。

 だから織田信長が女性であることにも、誰も疑問を抱いていない。


 甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信も、この世界では女性だという噂も耳にした。

 ただし、戦の動向や国と国との争いそのものは、僕の知っている歴史と変わらないようだ。

 つまり今は――織田と今川が刃を交える直前、あの「桶狭間の戦い」の頃。

 信長が天下布武へと歩み始める、最初の岐路にあたる時代だ。


 そう整理すると、恐怖よりも胸の高鳴りの方が勝った。

 僕は歴史好きで、戦国ゲームを作っていた大学生だ。

 まさか、その歴史のただ中に自分が放り込まれるなんて。


「蓮、参れ」


 鋭い声に振り向くと、すでに鎧姿の信長が立っていた。

 黒と紅の装束に身を包み、金の瞳が朝日に輝いている。

 その堂々とした姿に、周囲の武士たちは一目で道を開けた。


「昨日の言葉、覚えておろうな」

「……僕に任務をくださる、と」

「うむ。城下の巡視だ。敵の間者が潜んでいるらしい」


 軽く言い放つ信長に、僕は喉を鳴らす。

 昨日までただの大学生だった僕に、いきなりスパイ退治なんて無茶すぎる。

 けれど――ここで退いたら、本当に斬られるかもしれない。

 それに、彼女の真っ直ぐな眼差しに「逃げる」という選択肢は残されていなかった。


「わかりました」


 そう答えると、信長は満足そうに微笑んだ。



 城下は朝から活気に満ちていた。

 商人の呼び声、子どもの笑い声、米俵を担ぐ人夫たち。

 だがその一方で、人々の目にはどこか不安が漂っていた。


「今川の軍勢が迫っているとか……」

「織田は滅びるかもしれん」


 耳に入るのはそんな噂ばかりだ。

 僕は胸がざわついた。歴史好きの僕だからこそ知っている。――これは桶狭間の戦いの直前だ。


 その時だった。路地の先で揉み合う声が上がった。


「この男、怪しい動きをしておった!」

「放せ! 俺はただの旅の商人だ!」


 町人に取り押さえられていたのは、粗末な旅装束の男。だが、袖口から覗いた布切れに僕は目を留めた。

 白地に赤の丸――今川の家紋。


「信長様、この者を!」


 家臣が刀を抜こうとした瞬間、僕は慌てて口を開いた。


「待ってください! まだ証拠はそれだけです」

「何を言う、蓮!」

「……間者なら、仲間と連絡を取る手段を持っているはず。人混みの中で捕らえるより、泳がせて追った方が確実です」


 息を呑む家臣たち。

 信長はしばらく僕を見つめ、それから小さく笑った。


「なるほど。理にかなっておる」

「殿!? しかし……!」

「黙れ。面白い。蓮の言葉に従え」


 男は解放され、驚いた顔で逃げていった。

 僕たちは人知れず尾行を続け、やがて男が城下の外れに隠していた仲間へと合流するのを見届けた。

 そこを一気に捕縛。――結果、間者の一団をまるごと炙り出すことに成功した。


「お見事です、信長様!」


 家臣たちの歓声が上がる。

 けれど信長は僕の方をちらりと見て、唇を吊り上げた。


「……ふふ。蓮、お前、やはり只者ではないな」

「い、いや……たまたまです」

「謙遜も大概にせよ。お前の目は鋭い。昨日もそう思ったが、やはり気に入った」


 頬が熱くなるのを感じた。

 彼女の黄金の瞳に射抜かれるたび、心臓が速くなる。



 その夜。

 本丸に急報が入った。


「今川義元、四万の軍を率い、すでに大高城へ!」


 広間にざわめきが走る。家臣たちの顔が一斉に青ざめた。

 織田の兵はわずか二千。まともに戦えば勝ち目はない。


「どうなさいますか、殿……!」

「籠城をすれば数日は持ちこたえましょう」

「いや、援軍など望めませぬ。籠城すれば飢えて終わりにございます」

「ならば和睦を――」

「無理だ。義元は織田を滅ぼすつもりで動いている」


 次々と飛び交う意見に、空気はますます暗く沈む。

 信長は黙したまま皆を見渡し、やがて低く言い放った。


「……討つしかあるまい」


 その声には、迷いを押し殺した硬さがあった。

 背水の陣。籠城も和睦も叶わぬ以上、討つ以外の道はない。


 家臣たちの間に絶望が広がる。


「しかし正面からでは……」

「勝ち目はございません!」


 その中で、僕は声を上げていた。


「……いえ。勝てます」


 広間が静まり返り、皆の視線が一斉に僕に注がれる。

 息を呑みながらも、僕は知識を総動員した。


「今川は油断しています。大軍に慢心して、本陣も手薄になるはずです。

 信長さん、いや……信長様。ここしか勝機はありません。正面からではなく、奇襲をかけるんです!」


 鋭い視線が、僕を見据える。

 家臣たちからは賛否両論の声が上がった。


「無謀だ!」

「だが……可能性はあるかもしれん」


 信長は数瞬沈黙し、やがて力強く頷いた。


「よかろう。蓮、お前を信じる」


 その言葉とともに、信長は立ち上がり、家臣たちを見渡した。


「出陣じゃ! 今川義元の首を討ち取る!」


 広間が揺れるほどの鬨の声が響いた。

 こうして、歴史に残る「桶狭間の戦い」へと、紅蓮の少女と僕は歩み出したのだった。


*************

今回のお話は、YouTubeで配信中の楽曲「暁を裂く声 Cry Before the Dawn」とリンクしています。YouTubeでは、信長のビジュアルも見られるので、良かったら音楽のほうも楽しんでくださいね♫

「暁を裂く声 Cry Before the Dawn」はこちら⇒ https://youtu.be/NqeZEfVcZX8

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