27. 旅立ちと禁忌の輪郭

――羽鳴村・明け六つ(午前六時前)


「それじゃ、行ってきます」


 穂鷹が振り返ると、見送りの面々が思い思いの表情で応えた。真鴨と実羽が名残惜しそうに駆け寄り、穂鷹は膝を折って二人をしっかりと抱きとめる。


「真鴨、頼りにしてるぞ」

「うん!」

「実羽、姉ちゃんたちの言うこと、ちゃんと聞くんだぞ」

「わかった!」


 穂鷹は立ち上がり、二人の頭を撫でた。三人の様子を見つめる鈴芽の肩越しに、稲波がそっと声を掛ける。


「村近くに隊員を常駐させる予定なので、何かあったら声をかけてくれ。穂鷹くんにも、ちゃんと話は通しておくから」


 稲波の言葉に、鈴芽は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。弟のこと、どうかよろしくお願いします」


 稲波が了承するように頷いた、そのときだった。


「穂鷹!」


 かやが小走りに駆けてきて、肩で息を弾ませながら小さな白布の包みを差し出す。

開いてみると、赤と緑がほのかに滲む細い組紐がひと筋収まっていた。


「麻の葉で、作ってみたの。……ちょっと、ゆがんじゃったけど」


 差し出す手がわずかに震えているのに気づき、穂鷹はやわらかく微笑んだ。そのまま組紐を左手首に巻きつけ、端をぎゅっと結ぶ。


「ありがとう。大事にするよ」

「昨日は、泣いちゃってごめんね」


 恥ずかしそうに俯くかやに、穂鷹は小さく首を振った。


「いや、うれしかったよ。村に戻ってきてもいいんだって思っ……フフッ」


 不意に口元を押さえて吹き出した。


「どうしたの?」

「いや、目が土偶みたいになってるから」

「もうっ! 冷やしたけど、間に合わなかったの!」


 耳を赤くして顔を隠すかやの仕草に、穂鷹は目元を和らげて笑った。


「……かわいいな、かやは」


 その言葉に、フキとトウが含みのある視線を交わす。


「じゃあ、行ってくる。何度も言うけど、山には一人で入るなよ」

「う、うん」


 穂鷹が「お願いします」と稲波に深く頭を下げると、稲波は親指を立てて返し、八千代の手綱を引いた。合図を受けて八千代が背を伏せる。穂鷹はあぶみに足をかけ、今度はためらいなく自ら跨がった。稲波も周囲に一礼し、後ろに乗り込む。


「穂鷹、身体に気を付けてね」

「うん、姉ちゃんたちも」

「では」


 稲波が短く掛け声をかけると、八千代はくるりと方向を変え、そのまま軽やかに駆け出した。たちまち距離が開き、かやたちは遠ざかる背中に向かって、見えなくなるまで必死に手を振った。


「行っちゃったねぇ」


「ああ」


 フキとトウが、ちらりとかやの様子をうかがう。かやは両手を口元に寄せ、ぽつりと呟いた。


「かわいい……」


 フキが感心したように腕を組む。

「ああいうのをさらっと言えちゃうのがね〜。トウ、あんたも見習いなさい」


「いや、無理……。あいつ、とんだ置き土産していったなぁ」


「穂鷹兄ちゃん、行っちゃった」


 真鴨が鈴芽の脇にぎゅっとしがみつき、こらえていた涙を一気にあふれさせた。その泣き声に鈴芽も目元を潤ませ、優しくその頭を撫でる。


「真鴨、よく頑張ったね」


 一本杉の影が、わずかに短くなっていく。
朝が、ゆっくりと村を包み込んでいった。


***


 第四支部の拠点へ向かう道中。稲波は穂鷹の背中越しに声を掛けた。


「二、三、確認しておきたいことがあるんだけどいいかい?」

「はい」

「赤穂成のこと以外に、土雉さんから教えてもらったことはある? 例えば、読み書きや銀穂成のことについては」


 穂鷹はしばし記憶をたどり、口を開いた。


「読みは、多分ひと通りできます。書きも、一応。……でもそこまで自信はないです。銀穂成は十二種類いて、毎年同じ経路を巡回してるってことくらい。他は、組手とか、細かい時間の読み方ですね」

「なるほど」

(やはり、隊士にさせる前提で教育をしている)


 だからこそ、赤喰いをさせていたことが理解できない。入隊後にそれが露見すれば、面倒ごとでは済まないはずだ。それでもなお、息子にその業を背負わせているのはなぜか。そもそも、あれは毒だ。場合によっては命取りにもなりかねない。


(――赤穂成の共鳴と生態)


 ふと、稲波の脳裏に古い文献の一節がよぎった。


「……穂鷹。この前、二里先の銀穂成の音が聞こえたって言ってたね。じゃあ、普段から周囲の音も全部拾ってしまうのかい?」


 穂鷹は「え?」と小さく漏らし、首を傾げる。


「いや、そこまでは……。でも多分普通より耳は良い方だと思います。なんか稲穂の音って、やたら耳に入ってきませんか? ある程度近ければ、位置が分かるくらい――あれ、これってみんなと違うのかな」


(耳が極端にいいんじゃない……稲の音だけを、異常な精度で拾っている)


 渓流へ向かうときに見せた、常人離れした足の速さ。片手の鎌で、四本の脚を続けざまに薙ぎ払う力。動き一つ取っても、身体能力は明らかに人の枠を越えている。村育ちである彼は、『銀穂成の希少米』も一切口にしていないはずだ。


「これまでに赤米で、中毒症状を起こしたことは? 吐いたり、下したり」

「ないですね。あれは、ただただ不味いだけです」


 苦笑しながら答える穂鷹を見つめ、稲波は一つの可能性に戦慄した。


「いつから、食べていた?」

「多分、五、六歳くらい……」

(この子の身体は、もはや人よりも赤穂成に近い……)


 赤喰いの禁忌。人の身体を、稲獣へと寄せていく行為。なるほど、これは人としての倫理を踏み越えている。

(しかし、今の状況を考えると、この能力はむしろ救いだな)


 これが赤喰いがもたらす結果か。禁止になった理由は倫理的な問題――本当にそこなのだろうか。

(能力の強化だけを考えれば試す人間はいそうだが……いや、普通であれば間違いなく中毒で先に死ぬ。継続は困難だ。なぜ、それがない)


 目的が見えない以上、この場でいくら考えても答えは出ない。しかし銀穂成の巡回ズレに加え、最近は中央の動きもきな臭い。示し合わせたようなこの巡り合わせは、一体なんだ。

(少し本腰を入れて調べてみるか。目下は穂鷹の正式入隊だ)


 森を抜けると、前方に第四支部の拠点が姿を現した。


「さ、着いたよ。ここが第四支部の拠点だ。しばらくは仮隊員として様子を見てもらうことになる。分からないことは何でも聞いてくれて構わない。これから、よろしく」

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