第7話 自然の摂理
「輪廻転生」
は、
「自然の摂理」
であったり、
「生態系」
という問題を考えても、ありえることだろう。
宗教によって、考え方は違うが、
「基本的には、
「地獄に行かない限り、最低でも、生まれ変わることができる」
というものだ。
また考え方によっては、
「地獄にいけば、人間以外の虫などに生まれ変わる」
という話もあるが、基本的には、
「生まれ変わることはできず、地獄で、永遠に言葉通りの地獄を味わうことになる」
ということである。
ただ、問題は、
「黄泉がえり」
というのは、
「あの世を経ることもなく」
ということであり、もし、死後の世界を通るのが当たり前の摂理だということであれば、
「それを人間がしてしまっていいのだろうか?」
ということになる、
それこそ、
「生態系を破壊する」
ということになり、元々、
「弱肉強食」
と呼ばれるものであっても、
「生態系の一部」
ということでありなのだ。
そもそも、人間は、
「肉食」
ということで、太古の昔は、狩猟をして生きていたということだ。
つまりは、
「肉食動物」
ということだ。
だから、元々は獣だったといってもいいだろう。
それが、生態系に組み込まれたのがいつなのか分からないが、これも、
「もし、生態系がどこかで変わった」
としても、それについての、
「正悪」
というのは、誰が付けられるというのか。
人間がもし、
「生態系を崩した」
として、それを
「人間の罪だ」
ということになるかというと、非常に難しいところであろう。
というのは、
「今まで、生物が興亡を繰り返してきて、新しく生まれた生物、滅んでいった生物」
と歴史の上では、その
「正悪」
というものをいえるわけではない。
つまり、人間が、今のように自然破壊を続けていき、ひょっとすると、
「今の存在している生物のほとんどを死滅させることになった」
としても、
それは、
「地球上の生態系の一つが変化した」
というだけのことで、地球上の歴史の一ページということにしかならないといってもいいだろう。
つまり、
「人間というものが、何かの使命をもって生まれてきた種類の生物だ」
ということになると、
「最終的に、生態系を壊すことになる」
という種別として、歴史に刻まれることになるだろう。
そこに、
「正悪」
というものを考えるから、
「悪が栄える」
などということになるわけで、弱肉強食というのも、
「弱者が虐げられて、かわいそうだ」
ということになるのだが、
「自然の摂理」
を考えると、
「これはしょうがないことだ」
といえるだろう、
これを悪いというのであれば、
「肉食の人間が、肉を食べるのは悪いことだ」
ということになるだろう。
どんな動物にも、
「天敵」
というものがいるわけであり、
「ある種族が別の動物を食べることで、その動物が死滅しないで済む」
ということになり、それこそが、
「三すくみの関係」
ということになるのである。
「そういう意味で、もし、一つの生物が死滅してしまうとどうなるかといえば、その天敵であった動物を食べるものがいなくなり、今度は異常発生することになるだろう」
一見、その動物にとっては、
「ありがたいことだ」
といえるだろうが、これを人間に置き換えるとどうなるか?
つまり、
「80歳くらいになれば、死んでいた人たちが、100歳を超えても生きている」
ということになるのだ。
「人口はどんどん増える」
ということになり、目の前にある問題としては、
「食糧問題」
ということになる。
「人間を生かすために、人間に食われる動物がどんどん減ってくる。そして、その天敵が増えてくる」
ということになり、結果として、
「生物の数のバランスがめちゃくちゃになる」
ということになるのだ。
だから、
「サンフランシスコ条約」
などにおいて、
「絶滅種の保護」
というものを真剣に考えている。
これは、
「死滅する動物がかわいそう」
などという、
「ヒューマニズム」
という問題ではない。
問題なのは、
「生きている動植物の生態系が壊れる」
ということで、
「食糧が不足する」
ということであったり、
「害虫が異常発生する」
ということになると、
「人類の存続」
というものが怪しくなるのである。
それを考えると、
「自然の摂理」
というものを人間が守ろうとするのは、
「あくまでも、人間のため」
ということで、
「その摂理に人間が絡んでもいいのかどうか?」
ということである。
ただ、考えられるのは、
「自然の摂理が崩壊することによって、世界が混乱するかも知れないが、
「それは、最初から決められたシナリオだったのではないか?」
という考え方である。
そう考えると、
「天変地異」
などという自然現象も、最初から計画されたことであり、今の地球上で起こっている、
いわゆる、
「地球沸騰化」
さらには、
「それに伴う異常気象」
などというのも、実は最初から計算されたことであり、何も、
「人間が悪い」
というわけではないのかも知れない。
「遅かれ早かれ、そうなるだけのこと」
ということで、人間にその責任を押し付けられただけなのかも知れない。
それを人間は、
「あくまでも、神がやっていること」
ということで、洗脳されていると考えれば、
「創世記」
と呼ばれる、
「旧約聖書」
の中に乗っている、
「ノアの箱舟」
という話は、
「あれこそが、未来への預言なのではないか?」
と考えられる。
つまり、
「天変地異などが起こって、人類が滅亡するようなことがあったとすれば、それは、
「神の力」によって、人類を戒めている」
という警鐘ということいなるであろう。
もし、ここに、
「神というものが介在している」
ということになれば、
「人間というものが、神によって、世界の滅亡者として作られた」
ということになるだろう。
これが、
「名誉なことなのか?」
それとも、
「人間という動物が、もう一種類いて、
「どこかで取って代わるために、今その能力を蓄えている時だ」
という考えもできないわけではない。
「悪の秘密結社によって、いつの間にか、自分の近しい関係の人が、彼らの手先と入れ替えられている」
という精神疾患を、
「カプグラ症候群」
というものだと最近言われるようになった。
20世紀になってから、
「人類は、自分たちの力で、人類を滅亡させられる兵器を手に入れた」
と言われているが、まさにその通りであった。
「自然破壊」
なども、人類滅亡の考えられることであるが、
「自分たちを滅亡させられる兵器を使う」
という考えもありえなくはない。
そもそも、
「人類の寿命というのが、近くなってる」
というのであれば、止めることはできない。
その
「死因」
というものは、何であっても、それは致し方のないことで、そうなれば、
「正悪」
ではないのだ。
だから、
「人間が、生き返ったり、よみがえったりする」
というのは、
「今までであればm
「神の領域にはいりこむ」
ということで、
「悪だ」
と言われてきた。
しかし、
「人間の寿命に、正悪がない」
というのであれば、
「それくらいできても、おかしくはない」
今まで、宗教にていろいろな戒律があった。
例えば、
「人類が神が作ったものと外れて、悪事を働くようになると、神が浄化を目的に、人類を滅ぼす」
という考えである。
そして、それなのに、自分たちが生きているのはおかしいということで、
「つがいを箱舟に載せて」
という言い訳がましい手段を取っているというわけではないか、
結局は、
「細かいところで、その辻褄を合わせてはいるが、結局は、人間に対しての大きな警鐘」
ということで思い込ませ、
「人間を人間らしい」
と洗脳させ、神とすれば、自分たちがしようとしていることを、人間にさせるということで、
「責任転嫁」
をしているのかも知れない。
そんなことを考えていると、
「生まれ変わり」
であったり、
「黄泉がえり」
などというのは、
「あって当然であり、本当はあっているのに、それを人間に知らせないようにしているだけだ」
と考えれば、
「地球上の理論の解明というのは、人間にしかできないことであり、それを解明されると、神はどうやって、その理屈を考えるか?」
というのを、
「神の側に立って考える」
ということになると、
「最初から、計画されていたことだ」
というのが、
「一番説明がつく」
ということだ。
佐々木博士は、実際に、
「黄泉がえり」
であったり、
「生まれ変わり」
というものを実行できるとは思っていない。
ただ、これが、
「神における、人間というものが、神に近づいた時の、最後の手段ではないか?」
と考えるのだ。
聖書では、
「バベルの塔」
の話であったり、
「ソドムとゴモラ」
のように、神に対しての冒涜というものが描かれているではないか、
「ノアの箱舟」
というのが最たる例だが、それが、一番古い。つまり最初に描かれているというのは、何か意味があるというのだろうか?
元々、記憶を失ったといわれている沢村が持ってきた紹介状というのは、それを書いた人というのが、佐々木博士の親友である、
「鈴村教授」
という人物であった。
彼は、佐々木教授からすれば、いわゆる恩師、今から20年前までは、佐々木博士は、
「鈴村研究室」
の一員だったのだ。
その中でも佐々木博士は、
「随一の天才」
と呼ばれ、今日の活躍は。元々、
「保障されていた」
と言われている。
鈴村研究室というのは、佐々木博士がいる頃から世界的にも名が通っていて、鈴村教授も人かたならない大先生と言われたものだ。
ただ、少し研究員としての引退が早かった。
佐々木博士が、
「博士」
と言われ、学会で、
「日本屈指」
と言われるようになると、さっさと研究所の所長を引退し、自分は、
「一医者」
ということで、病院での診療に当たった。
しかも、ここ数年では、病院通いをするよりも、どこか田舎町の診療所で、町の人の診療をするということをしていた。
「わしも年なんて、余生のつもりで田舎に引きこもる」
といって、田舎町に入ったのだった。
「そこからに、紹介状では、私もむげには断れない」
と口では言っていたが、
「これには、必ず何かあるに違いない」
ということで、佐々木博士は目論んでいた。
そして、実はこの二人、つまりは、
「岸田」
と
「沢村」
には、それぞれに、
「役目があったのだ」
というのも、実は、記憶喪失は、沢村だけではなく、岸田の方も記憶喪失であった。
そして、岸田と沢村、二人にはそれぞれに、秘密を抱え込んだうえでの、
「故意による記憶喪失」
だったのだ。
佐々木博士は最初から分かっていた。
実際の紹介状には、そこまでのことは書かれていなかったが、二人の間に秘密の暗号があり、さらには、以前から、お互いに秘密の会話がもたれていた。
携帯電話や、ネットではバレると思い、逆に、固定電話を使った。
しかも、片方からは、公衆電話を使うことで、相手を欺いたのだ。
それだけ、
「国家的な研究をしていた」
ということで、実は、鈴村教授の方も、
「引退した」
と言いながら、彼は彼なりに研究を進めていて、ある意味、
「佐々木博士との共同研究であった」
鈴村教授は、
「わしは、研究ができればそれでいい、名声も金もいらない」
という無欲なことであったが、研究が成功すれば、佐々木博士は、惜しげもなく、鈴村教授の名前を出そうと思っていたのだ。
今回の、研究においては、前述のような、
「生態系」
であったり、
「自然界の摂理」
というものから、世界を救うということと、
「難病を少しでもなくすため」
ということで、
「難病を発見しながら、その都度それを壊滅させるために、行う手順の研究」
というものを進めていた。
それを、沢村と、岸田の二人の頭の中に埋め込んで、それを記憶喪失の治療という形で、鈴村病院から送り込まれたのだ。
ただ、実際には、その研究というのは、今回の状況において、どうしようもないというのが、鈴村教授の結論のようで、どう解釈すればいいのか、佐々木博士は、考えこんでしまったのだった。
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