第6話 よみがえり

 この病院では、先生のレベルとしては、かなり高いものがあった。

 もちろん、佐々木博士は、

「世界的な心理学の権威」

 ということで、そのランクはかなりのものだが、他の教授の中にも、

「引けを取らない」

 という人もいたりする。

 佐々木博士の場合は、他の研究所から、

「引き抜きを受けて」

 ということでやってきた。

 元々は、日本でも有数の研究所にいたので、それなりの権威と、その名声とで、研究所も、博士も、それぞれに得をしていたのだが、こっちに移ると、

「博士の名声で、研究所だけが得をしている」

 と感じている人も多いだろうが、そういうことでもない。

 中には、

「引き抜いてもいないのに、自分から入ってきて、ここでその実力を発揮する人もいたのだ」

 そこに、

「佐々木博士の力が及んでいる」

 ということを分かっている人は、意外と少ないかも知れない。

 佐々木博士が、最終的に研究しているのは、

「蘇生」

 という考え方であった。

 これは、

「寿命というものを伸ばす」

 という考え方に直結しているので、宗教的に考えれば、

「許されないこと」

 といってもいいだろう。

 実際に、行っていることとしては、

「法律的には許されないこと」

 ということで、一つは、

「植物人間化してしまった人を、一度殺してしまい、そこから蘇生させる」

 という発想であった。

 もちろん、家族の承認は受けている。

「このままにしておいても、蘇生の可能性はない」

 ということなのに、

「安楽死は許されない」

 という理不尽な法律を考えれば、

「もし、このまま蘇生できなかったとしても、それは、その人の運命なんだ」

 ということだと納得できるからだ、

 逆に、

「生命維持装置」

 などという機械に頼らなければ生きられないということであれば、

「生きているといえるのだろうか?」

 ということになるのだ。

 自分も生きていかなければいけないところで、死ぬこともできない人が、

「生命維持装置」

 なるものでいかされている。

 それには金がかかるわけで、それを負担するのは、家族である。

 誰も助けてあげることもできないのに、家族に、二重の苦しみを与えて、それで、生き延びたといえるのだろうか?

 それこそ、

「死ぬこともできない」

 という、

「前にも後ろにも進めない」

 ということだ。

 宗教が、

「死んだ後に極楽に行ける」

 ということをいうのであれば、

「早く死なせてあげる」

 ということをさせられないということの矛盾を証明しているようなものではないだろうか?

 それを考えると、

「蘇生させる」

 という考え方も、人間の役に立つためだと考えればありではないか?」

 ということであった。

「この蘇生」

 ということがどういうことで人間の役に立つのか?

 ということが、まだ正直分かっていない。

 もし、これが分かるのだということになれば、

 その発想が、

「今世の中にある難病を救う」

 ということにつながるのではないか?

 と考えるのであった。

「難病を救う」

 という発想は、どこの研究所でも行われていることであった。

 そもそも、難病と呼ばれるものは、

「そのメカニズムが分かっていないものがほとんどである」

 というのも、

「メカニズムが分からないからこそ、解決法を見つけるところまでいかないわけで、だからこそ、難病だといわれるのだろう」

 ということである。

 だから、実際には、

「まだ、名前もできていない」

 というほど、最近になってその存在が確認されたものもある。

 これは、

「前からあって、その存在に気づかなかっただけ」

 というものなのか、それとも、

「今の時代だからこそ、存在する難病」

 といえるものなのか、

「そのどちらにも言える」

 ということになるのかも知れない。

 それを考えると、

「難病というものは、見つけるだけでも大変なのに、その一つ一つをつぶしていくというのは、それこそ、いたちごっこを繰り返しているだけ」

 ということになるのではないだろうか?

 だからこそ、

「覚悟と努力が必要だ」

 といえるだろう。

「難病はなくすことを最終目的とするが、問題は、難病を見つけることにある」

 ということから、

「いたちごっこになる」

 ということを自覚しておかないと、その堂々巡りに、気が滅入ってしまい、気力が折れてしまうことになりかねないということである。

「同じことを繰り返す」

 ということが、

「実は精神疾患」

 というものに結びついてくるということになる。

 同じところをくるくる回っていると、次第に抜けられないことを見抜くと、

「いずれは力が抜けてしまい、そのままおぼれ死んでしまう」

 ということになるだろう。

 まるで、

「安楽死をさせてもらえない状態で、戦い続けなければいきえない」

 ということに、耐えられるだろうか?

「死ぬことも、生きることもできない」

 ということを打開するには、どうすればいいかというと、

「一度死んで、蘇生する」

 ということが一番ではないかということであった。

 そのカギを握っているかも知れない人物が、今回の問題ということで浮上してきた。

「沢村」

 という人物ではないか?

 そして、そのカギを握っているのが、

「岸田」

 という人物である。

 この岸田という人物は、博士の前で、最初は一言もしゃべらず、

「何を考えているのか分からない」

 という様子で、最初は、

「記憶喪失になっているのは、この岸田という男ではないか?」

 と感じたほどだった。

「記憶を失っているのが、沢村の方だ」

 と気づいた瞬間、

「岸田という男は記憶喪失ではありえない」

 と感じたのだ。

 そう思ってくると、沢村が入院することになり、岸田が、ほぼくっついている状態となったことで、病院の人間も、岸田に対して、意識を深め、好奇心をもってみるようになると、最初、佐々木博士の前で見せた態度と打って変わって、

「人懐っこさ」

 というのを示したのだった。

 その

「人懐っこさ」

 というのは、一見、

「こいつはバカなんじゃないか?」

 と思えるような雰囲気だった。

 話していることが辻褄が合っているようには見えないし、聞いていても、

「皆と同じことをただ繰り返しているだけの、実に面白くない人物」

 という印象が強いのだった。

 実際に、この岸田という男、

「話をするうちに、バカなんじゃないか? って思えてくるんだよな」

 といっている人もいる、

 特に、看護婦などはその代表で、沢村の部屋の世話をしている看護婦に、

「川越るい」

 という人がいるのだが、彼女は、岸田のことを、明らかに、

「バカだ」

 と思っているのだった。

 るいは、どちらかというと口数が少ない看護婦だった。

 それは、

「この病院においても、口数が少ない」

 と言われていて、そもそも、この病院の看護婦は、先生を含めても、あまり口数が多い方ではない。

 患者や、先生のレベルなどを考えればわかるというもので、その分、

「看護婦のレベルも、それなりに高いのだ」

 というのは、

「レベルが低いと、ここではやっていけない」

 ということで、そのレベルというのは、

「先生のしようと思っていることを考え、先読みすることができるレベル」

 ということであった。

 そこには、

「頭の良さ」

 ということは関係がない。

 しいていえば、

「頭の回転の速い人」

 ということになるであろうか。

 そういう意味では、

「川越るいという看護婦は、この病院にふさわしい」

 といえるだろう。

 しかも、一番相性が合うということだったのだ。

 彼女は、最初は、そんな怪しさを感じてはいなかったが、自分が尊敬する、

「佐々木博士」

 が、岸田という男に話を合わせていたり、まるで信じているかのような様子を見ていて、いら立ちを感じていた。

「博士に限って、そんなことはないだろう」

 と思っていて、

「岸田という男が、どれほどいい加減なやつかということが分かってもよさそうだが」

 と考えたのだ。

 彼女から見て、

「岸田という男のどこが悪いのか?」

 ということであるが、

 それが、

「完全に、まわりに媚びを売っている」

 ということと、

「それを分かってやっている」

 ということであった。

「わざとでもなければ」

 そして、

「分かっていない」

 ということであれば、

 その理屈を考えないでもないが、

 理屈どころか、

「理由めいたもの」

 というのも浮かんでこないことから、彼女には、どうしても分からないと思ったのだ。

 実は、これは、

「博士にとっては、実に都合のいいこと」

 ということであり、

「彼女がそのことに一切気づいていない」

 ということが、博士とすれば、

「願ったり叶ったり」

 ということであった。

 なぜなら、博士とすれば、

「自分がほとんど把握できている彼女が、自分の理解できていると思っている岸田のことが分からない」

 ということは、

 岸田の問題ではなく、

「博士の方で、巡らしている計画が、うまくいっている」

 ということになるという証明でもあった。

「岸田というのは、あくまでも、スポークスマンということであり、あいつのいっていることは、ただ当たり前のことを言っているだけ」

 ということで、博士とすれば、

「裏もあれば表もある」

 というのが、普通の人間なのだが、

「この岸田という男にはそれがない」

 ということになるのだが、

 だからといって、

「表だけ」

 というわけではない。

「この男は裏しかない」

 ということだ。

 だから、彼女には、

「岸田という男の正体が分からない」

 ということになるのだ。

 これは、彼女だけでなく、ほとんどの人が、

「表のない人間などありえない」

 と考えている。

 なぜなら、表しか人は見えていないからだ。

 だから、裏しか見えないということは、

「存在していて、見えているのに、その存在を確認することができない」

 そう、

「石ころのような人間だ」

 ということの正体はここにあったのだ。

 だから、彼女には、その存在は見えているのだが、正体が見えない。

 それは、誰でもそうなのだろうが、彼女の場合は、

「人間には、裏表が存在する」

 ということを、ハッキリと理解している人には、岸田のような、

「表のない男」

 という存在がありえないということになるのであった。

 だから、

「博士は、岸田という男を見るのに、その目線を、彼女に合わせることにした」

 彼女には、

「悪い」

 ということになるが、自分の研究のためということで、許してもらえるだろうと考えたのだ。

 そして、彼女を通りて岸田を見ているうちに感じるようになったのは、

「蘇生ということ、そして生まれ変わりというのが、不可能ではない」

 ということであった。

 ただ、

「蘇生」

 であったり、

「生まれ変わり」

 というのは、今まで考えられている常識というものとは、けた違いの葉圧送であることに違いないと思うのだった。

 実際に、

「蘇生」

 と、

「生まれ変わり」

 というのでは、その種類がまったく違っているものであり、

 それが、

「難病克服」

 そして、

「そのための、

「難病発見」

 というものに、

「どこまで食いついてこれるか?」

 ということになるのだった。

 さらに考えることとして、

「生まれ変わり」

 というものを考えた時、

「もう一つの考え方ができる」

 というもので、それが、

「よみがえり」

 という発想である。

 つまり、

「黄泉の国」

 という、

「死者の世界から戻ってくる」

 ということで、宗教的にいえば、まさに、

「輪廻転生」

 というものに似ている考えといってもいいだろう。

 その発想は、

「死を目の前にすると、三途の川」

 というものがあり、

「そこを渡ると、死後の世界」

 という考え方であったり、

 別の考え方として、

「死後の世界に行く前に裁判があり、そこで、どの世界に行くかが決定する」

 というものである、

 裁判は今の世界からの発想なのか、死後の世界での裁判の発想が、人間界での裁判を作ったのか?

 まるで、

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 という発想になるのであろう。

 要するに、この人は、

「生まれてくる」

 ということも、

「死んでいく」

 ということも味わったわけである。

 普通であれば、

「生まれてくる」

 というのは、まだ物心もついていないわけで、生まれてくるときの意識というおがある人はいない。

 さらに、死んでいくときも、意識があるのかどうか、死んでしまうのだから、死んだ人は教えてくれるというわけでもないので、それこそ、

「分かるはずがない」

 ともいえるだろう。

 もっといえば、

「生まれる時」

「死んでいく時」

 というものを、

「今の人間が分からない」

 というのは、

「何かの力が働いている」

 といってもいいのではないだろうか?

 それは、

「人間にはどうすることもできないもので、それこそ、

「神様の力」

 なのかも知れない。

 それこそ、

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 ということと同じで、

「死ぬ時も生まれる時も分からない」

 ということから、

「人間に、輪廻転生を感じさせない:

 という何かの力である。

 それを悟ることで都合の悪いものがあるとすれば、それが、

「神様」

 というものなのか、

「人間を抑止することで、存在することができる」

 と思うような、

「三すくみ」

 であったり、

「三つ巴」

 と言われるものの一角なのかも知れないと感じるのだった。

 それが、一種の、

「生まれ変わり」

 というものと、

「黄泉がえり」

 というものとの違いだと考えると、

 どうしても、そこに、

「輪廻転生」

 というものが絡んでくるということになるだろう。


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