第3話 精神病
そういう意味で、
「幻聴や幻覚などというものを伴うことで、いわゆる、健常者と一緒にしておくと、健常者に危害を加える」
と言われ、隔離するということも考えられたりした。
これは、あくまでも、想像ではあるが、
「当時隔離された」
というのは、
「伝染する」
ということが言われていたからではいか?
と考えていた人もいただろう。
今であれば、精神疾患患者がこれほど増えたのは、社会において、理不尽なことや、自然災害、あるいは、凶悪化した犯罪などが影響している可能性が高い。
たとえば、
「地震や、異常気象などによって、もたらされたもので、それが意識の中に刻み込まれ、それが記憶となって格納されてしまったことで、普段は、あまり意識することはないが、何かのきっかけで、その時の恐怖が思い出されるという、
「PTSD」
などという病気であったり、
今の時代では、
「パワハラ」
「セクハラ」
などと言われる、
「ハラスメント」
と言われる嫌がらせというものが、大きな影響を持っている。
特に、昭和の時代などでは、今でいう、
「ハラスメント」
と言われているのは、当たり前のことであり、
「上司の命令は絶対」
ということであったり、
「男性社員が女性社員に対して、犯罪に当たらないことであれば、少々の言葉でも、別に世間話ということで許される」
という時代だった。
それは、昭和の時代までが、
「男尊女卑」
の時代であり、
「終身雇用」
「年功序列」
という時代だったからだ。
確かに、今のセクハラと呼ばれるものは、少々行き過ぎというところもあるかも知れない。
それこそ、昭和の頃であれば、
「〇〇ちゃん、今日もきれいだね」
というのは、一種の朝の挨拶という程度の、男性社員からすれば、
「一種の社交辞令」
ということだったのだが、今の時代では、
「セクハラだ」
と言われてしまう。
さらに、この問題には、
「個人情報保護」
という観点も含まれているかも知れない。
「まだ、結婚しないの?」
と聞かれたとしても、それは、
「個人の情報をばらした」
という言われ方もするのだ。
普通であれば、
「結婚するしないというのは、個人の自由」
ということからであろうが、それ以上に細かいことをいう人は、
「その人が独身である」
という
「個人情報をばらした」
ということになってしまうのだ。
そうなると、
「社員や部下とコミュニケーションが取れないではないか」
ということになるのだろうが、
「コミュニケーションなど必要ない。命令であれば、メールですればいいだけのこと」
ということだ。
そして、
「分からないことがあれば、指示された人がメールで返し、それでもらちが明かない時は初めて会話をすればいい」
ということになる。
それこそ、
「ロボットの会社のようではないか?」
ということだ。
実際に、パソコンが普及してきた頃は、こんな感じで、
「これほど、味気ないものはない」
と思っていたが、今では、それが当たり前ということになっていて、会社では、
「昔は当たり前だった」
ということがどんどんなくなっていっている。
例えば、
「社員旅行」
であったり、
「忘年会」
「新年会」
「花見」
などがそうであろう。
「俺の酒が飲めんのか?」
などと昔は言われていたということを言っても、今の若者は、
「そんなバカなことを言っていたなんて」
と思うことだろう。
花見に至っては、
「新入社員の最初の仕事が、花見の場所取りだ」
と、昔言われていたことも、信じられないと思うことだろう。
さらには、
「年賀状のやり取り」
「中元、歳暮のやり取り」
昔であれば、
「社内のコミュニケーションとして」
そして、
「会社員のマナー」
として当たり前のことと言われていたものだ。
今はそんなことをしている会社があるとすれば、即刻、
「コンプライアンス違反」
ということになるだろう。
もっとも、忘年会であったり、年賀状のやり取りが、普通の社交辞令として、強制力のないもので、個人の自由ということであれば、別に問題ないが、
「忘年会にこないと、部署内で、村八分に遭う」
であったり、
「上司が、会議をしているところ、会議が終わるまで、平社員は残っていなければいけない」
なとというのは、許されない。
今では、
「嫌がらせ」
「苛め」
ということになるのであった。
だが、昭和の時代には、それらのことが当たり前ではあったが、それをみんなが、
「当たり前のことだ」
ということで、
「諦め意識があった」
といってもいいだろう。
「どうせ、上司に文句を言っても、どうなるものでもない」
なんといっても、自分の会社だけが、そんなひどい仕打ちをしているわけではなく、それこそ、
「お上に訴えても、睨まれるだけだ」
ということになる。
しかも、時代は、
「年功序列」
「終身雇用」
の時代である。
少々嫌なことがあっても、歯を食いしばって我慢していれば、
「そのうちに出世して、自分が、今度は上司として立場が逆転する」
ということ、
そして、
「このまま反発せずに会社にいれば、首になることもない」
ということで、
「とにかく、一定期間我慢すれば、それでいい」
ということになるのだ。
だから、
「皆、それぞれに我慢の仕方も分かっている」
若い連中で、上司から迫害を受けている連中は、それぞれに、コミュニケーションが取れる時代だったんで、
「どうすればいいか?」
ということを話し合いもできるし、
「上司が若い頃がどうだったのか?」
というアドバイスをくれる人もいただろう。
しかし、それが、時代が進んでくると、
「確かに、コンプライアンス違反」
などということで、
「セクハラ」
「パワハラ」
というのはいけないといわれるようにはなってきているが、それでも、会社の中でも、何人かは、
「まだまだ昔の考えが残っている人もいて、気が弱い社員に対して、ハラスメントを繰り返している」
という人もいるのだ。
その時代になると、
「コミュニケーション」
というのを取れない人が増えてきて、特に、
「苛め」
というものを受けている人は、
「誰にも相談できず、一人で苦しんでいる」
という人も少なくない。
会社によっては、
「コンプライアンス違反をしている上司や同僚を摘発してください」
といっているところもあるが、それまで受けてきた理不尽なことを考えると、
「へたに告発して、あとで何をされるか?」
と思うと、
「泣き寝入りするしかない」
と思っている人もいるだろう。
「あの上司だったら、逆恨みして、殺されかねない」
と、それこそ、
「ストーカー被害に遭っている」
と感じている人や、
「実際にストーカーだ」
という上司だっているに違いない。
それを考えると、
「ストレスやトラウマのようなものが蓄積される」
ということになり、昔と違って、
「相談相手がいない」
という孤独感が、一番、今の精神疾患を生んでいるということになるのかも知れない。
だからこそ、今の時代は、
「精神疾患」
という言葉で一括りにされ、
「精神異常」
さらには、
「精神病」
という言葉を使うことは少なくなったのだろう。
「昔の精神病」
というと、
「差別対象」
でもあった。
今では、
「放送禁止用語」
ということで、ここでは書けない言葉が普通に言われていたが、
「昔の昭和の時代に制作された番組で、そんな言葉を使っているから、再放送ができない」
というのも多かったりする。
ただ、それは「言葉だけに限ったことではなく、
「実際に学校でも馬鹿にされた」
ということであったり、
「親が、あの子と遊んではいけない」
ということで、
「子供に差別意識を植え付ける」
ということが多かった。
それこそ、昭和の時代の差別問題というのは、このような、
「精神病患者」
に対しての問題であったり、
「部落問題」
ということで、
「居住地」
の問題だけで、差別を受けたりした。
今の時代には、そんな部落問題と言われるようなものは、ほとんどない。
(一部の地域には残っているということであるが)
精神病というのは、今ではあまり言われなくなったのは、
「幻聴、幻覚」
と呼ばれる、いわゆる、
「精神病」
というものを、
「重度な精神疾患」
という言い方をするからなのだろうか。
どうしても、
「精神病」
という言葉を聞くと、
「差別用語のように聞こえる」
と感じるのは、無理もないことなのかも知れない。
実際に、昭和の時代には、
「精神病」
という言葉が、
「差別の対象」
ということにされたのだからである。
それを思えば、
「目に見えない、プレッシャーやジレンマ。さらには、トラウマ」
などというものが、その人に蓄積されることで、
「精神が、さいなまれていく」
ということになる。
これは、精神病とは違い、明らかに、
「社会が与える、現代における病気」
というもので、
「精神病というものが、差別の対象だった」
という時代とは違う意味で、
「大きな社会問題だ」
といってもいいだろう。
この病院にやってきた患者は、博士が見たその時に、
「この患者は、記憶喪失だ」
ということはすぐに分かったという。
ただ、その記憶喪失の原因が、さすがに一目見ただけでは分からなかったことと、
「紹介状をもってこの病院を訪れる」
ということは、一種の、
「正規のルートでやってきている」
ということからも、
「門前払い」
ということだけはしてはいけないということになるだろう。
それは当たり前のことであり、それ以外のルートとしては、
「警察からの依頼」
ということもある。
例えば、
「家族などが、何かの事件にまきこまれ、そのせいで、精神を病んでしまった」
ということから、
「入院が必要」
ということで、運ばれてくることもある。
普通に、一般病棟で過ごせるくらいの、
「精神疾患」
の患者もいれば、
「放っておくと、自殺をしたり、どこかに逃亡する」
ということもあり得る患者には、
「それなりの病室を用意する必要がある」
といえるだろう。
というのは、
「もし、脱走すれば、妄想癖などから、他の人を殺してしまう」
ということになりかねない。
それは、
「自分が分からなくなってしまい、極度の猜疑心から、まわりが皆敵に見えてくると、殺人事件に発展しかねない」
ということになり、
「預かった人間に責任がある」
ということになると、それこそ大変なことになる。
もちろん、
「保身」
ということも大切であるが、
「医者として、患者を預かっている」
という立場である。
そんな立場で、
「警察に逮捕でもされてしまう」
ということになると、患者はどうなるか?
ということだ。
これが、普通の外科や内科ということであれば分かるが、患者一人一人がデリケートな症状で、
「主治医でなければ分からない」
あるいは、
「どう対応すればいいか?」
ということから、
「先生が拘束されるということはあってはならない」
ともいえるだろう。
当時は、まだまだ精神病の先生というのも、絶対数が少なかっただろう。
しかも、精神病患者というと、一人一人の症状は、ひどいものである。
「目を離してはいけない」
という人ばかりということで、
「それだけ、気を遣わないといけない人が多い」
ということになるのだ。
この患者が、どれほどかは分からなかったが、一緒についてきた、
「石ころのような雰囲気がある付添人」
というのが、博士は気になって仕方がなかった。
博士は、
「佐々木先生」
という人で、当時はまだまだ少なかった精神病の先生の中でも、博士号を取得し、学会でも一目置かれている先生だった。
そもそも、そういう先生が所属している病院ということで、
「警察とも、昵懇ということだったのだ」
というのも、
「当時警察でも、凶悪犯に中に、精神異常者というのが増えてきた」
という話であった。
ただ、
「当時の犯罪というのは、精神異常でもなければ、こんなむごいことはできないだろう」
という犯罪が増えてきていた。
実際に、身体を切り刻んだりと、
「目に見えて犯行現場に異常な精神状態でなければできない」
というような痕を残してみたり、
「犯行声明を、あたかも警察に挑戦することを楽しんでいるかのような犯罪で、警察内部からも、精神異常者でなければ、こんなやり方はしない」
というものもあったりした。
今であれば、
「それも犯人の作戦ではないか?」
ということで、
「プロファイル」
という、犯罪心理学を駆使して、犯人に当たるという部署もあるようだが、当時は、まだまだ
「昭和の警察」
ということで、
「捜査は足で稼いだ情報が一番有効だ」
と言われていた時代で、それこそ、
「人海戦術」
などというのは、主流だった時代である。
政治と絡んでいた李、
「反政府組織」
のような連中が、
「麻薬」
などの海外との取引が絡んだもので、
「海外マフィア」
というものが、その裏側で暗躍しているという時代だった。
今でこそ、犯罪の形態は変わってきたが、それに合わせた捜査方法や、対応部署も、警察内部で、柔軟に対応する時代になってきたといってもいいだろう。
ただ、昭和の時代は、そんな時代ではなく、いい意味でも、悪い意味でも、
「警察というのは、強力な力を持っていた」
といってもいいかも知れない。
それは、警察に限ったことではなく、一般の会社においても同じことがいえるのであり、警察としても、
「コンプライアンスの問題」
が大きかったりするのだ。
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