動く人体模型の話(二)

 この一連の出来事を、単に“怪奇”とひと括りにするのは適切ではない。それぞれ別個の動機と背景をもつ現象が、偶然にも同一線上で発生したと見るべきだ。

 第一の怪異――人体模型が理科室から忽然と姿を消し、やがて何事もなかったかのように元の位置に戻っていたこと。

 第二の怪異――その模型が、まるで意図的に演出されたかのように“首を吊る”形で現れたこと。

 おそらく、古賀が休職に至った直接の契機は第一の事象ではあるまい。だが、それを否定するには何らかの合理的な説明が必要だ。涼香のような鋭敏な観察者は、根拠なき推論を受け入れないだろう。

 問題の核心は、むしろ第二の怪異にある。悪質な悪戯であったにせよ、実行者は相応の労力をかけて準備している。模型を吊るすための縄をわざわざ用意し、天井のクロスを剥がした上で、野縁のぶちと呼ばれる天井下地にまで手を伸ばした形跡がある。

 この執念深さを前提とすれば、犯人が証拠をうっかり残す可能性は低い。そうした冷静さと用意周到さを併せ持つ者でなければ、このような演出は不可能だ。

「人体模型が消えた理由から調べることにしないかい?」

 涼香に尋ねた。本筋は首吊りの調査をするべきであろうが簡単な案件から片付けたい。それに、調査の中で何か新たな情報を手にする場合もある。

「うん。私も、そっちから調べた方がいいと思う」

 彼女は同意すると、コンビニで買ったであろうサンドウィッチを口に運んだ。

「あんまり、食欲が沸いてこないよ」

 僕は自分の弁当を見つめ嘆く。

「どうして?」

 どうしても何も、人体模型の奇妙な話を聞いたからだ。別に、それが人間以外の力が働いていると信じているわけではない。それでも、この場所で昼食を食べるのは少し気味が悪い。

「わざわざ事件のあった理科室で昼食をとる必要はあったの?」

「二人だけで食事をしたかったでしょ?」

 涼香が妖艶な笑みを浮かべる。

 やっぱり可愛い。まるで、恋人同士じゃないか。

 そして、そんな僕らをクリクリとした瞳を持つ人体模型が見つめている。吊り橋効果という言葉がある。不安や恐怖を感じる場所で異性と出会うと恋に落ちやすいという心理現象だ。心拍の上昇を恋愛感情と勘違いしてしまうのが理由である。感情が先にあって、その感情の原因を探すという人間の心の錯覚を利用した効果だという。

 ―—もっと涼香を怖がらせるんだ、人体模型よ!


「あの細い足で本当に動けるのかね?」

 人体模型を眺め鼻で笑った。

 ―—おまえ笑われてるぞ!

「で、何か心当たりはあるの?」

 涼香に聞かれた。

 心当たりはないが、手がかかりになりそうなことがないわけではない。

「仮に人体模型を動かした人物を犯人と呼ぶことにしよう。その犯人像は限定されるよね?」

「うん。その日、四階で活動してた人物かな」

 そう。その日、サッカー部は三つある四階の階段の踊り場を占領していたのだ。外から搬入しない限り、その模型が四階以外の場所を通る事はできない。だとすれば、その日に四階にいた人物の中に人体模型を移動させた犯人がいるはずだ。

「ある程度、限定できそうだね。四階は特別教室と部室しかない。その日、活動してた団体はわからないかな。できれば、その部の内情に詳しい人がいいけど」

「それなら私たちのクラスの菊井君に聞けばいい。彼、新聞部だから、部活以外にも色んな活動に詳しいから」

 涼香が勢いよく席から立ちあがる。

「待って!」

 まだ、僕の弁当箱の中には具材が残っている。それに、この理科室で昼食を取った本当の理由があるだろう。

「人体模型をもう少し見たい」

 きっと何かヒントが隠されているはずだ。


 人体模型には様々な種類があるらしいが、この人体模型はトルソー型と言われるものだという。人体の胴部を切り取った形の模型で、内臓や生殖器を取り出すことが可能だ。

「こう見てみると、学校の怪談話に使われちゃう理由もわかるよね。私の通ってた中学校にも人体模型はあったけど、こんなにも人型に似せてなかったから」

 たしかに、全身で仁王立ちする人体模型には圧迫感を抱いた。僕が通っていた中学校にも人体模型があったが、股下や腕先は表現されていなかった。

 目の前の人型と向かい合って立った。背丈や体格は僕より若干小ぶりなだけ。この模型が首を括っていれば、本物の人間が自殺をしていたと勘違いをしただろう。

「これがバラバラに机の上に散らばっていたんだよね?」

 涼香は模型の内臓を触る。

 心臓、肝臓、膵臓、胃、腸、腸、膀胱、どれも取り出すことができる。現に「見て!」と、涼香は腸の部分を両手で取り外した。ホームベース型にまとまった腸を僕に見せつける。大腸も小腸もその形に固められていて、伸ばすことなどできない。

「破損箇所があるね?」

 ビニールテープで手当てをされた内臓の一部を僕に見せる。誰かが落としたりして破損させたのだろう。そういえば、首吊りした人体模型の足元の机には臓器が散らばっていたと聞いている。もしかしたら、その時の傷跡なのかもしれない。

「これ、持ち出すのは大変だよね?」

 涼香は人体模型の後ろに周り、脇の下から抱えるように彼を持ち上げようとした。

 儚げな身体が揺ら揺らとよろめく。「危ないよ!」と、人体模型を手で抑えた。

「なかなか重たいね」

 この大きさだ。女性一人が持ち上げるには苦労するだろう。

 まだ他にも手がかりが隠されているのかもしれないので中腰になって、人体模型の内部を探る。

「何やってるの?」

「これさ」と、気になった箇所を指で示した。

 膵臓や腸の一部にも損傷している箇所があり、臓器のパーツが欠けてる部分すらある。

「なかなか欠けそうにはない素材で作られている。さぞかし勢いよく叩きつけられたんだね」

 僕は、臓器の素材を手で確かめながら発する。素材には、蝋細工ろうざいくやプラスチック、シリコンやゴムが使われているのではないか。

「なんとなく、情報は掴めた。新聞委員の菊井君のところに行こうか?」

 涼香は同調し、その部屋を出た。

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