弁当が捨てられる悪戯が流行ったのは知ってる?(二)
僕たちは、その日のお昼休みから即座に行動を開始した。
最初に向かったのは、弁当を捨てられた被害の第一号である森崎夏樹のもとだ。
森崎は、不快感を隠そうともせず、どこか突き放すような冷ややかさをもって応じた。
「そんなことを知って何になるの?」
もっとも、こちらはただ、弁当を捨てた人物に心当たりがあるかどうか尋ねただけだった。それにもかかわらず、この態度はなんだ。
森崎の机上には、問題集が広げられており、その脇に添えられた白紙のノートは、すでに文字で埋め尽くされていた。
――気が立つのも無理はないか。
受験本番が目前に迫る今、神経を尖らせるのも当然である。場の空気を読み損ねたのは、むしろ僕たちの方なのかもしれない。
それにしても、安江にせよ森崎にせよ、涼香が話を聞きたいと目をつける相手に限って、どうしてこうも一筋縄ではいかないのか。ほんの一言を引き出すだけでも、こちらの気力が削られていく。
とはいえ、渋々ながらも涼香の説明に耳を傾ける森崎の様子からは、両者の間に少なからぬ面識があることが察せられた。
「事件があったのは四月十四日のこと。確証はないけど、おそらく私たちの弁当を捨てたのは
嫌々ながらも、語れば饒舌ではないか。
僕と涼香は困って目線を合わせる。森崎がそこまで断言できるのならばと聞いてみた。
「なにか、証拠があるんですね?」
森崎はきっぱりと告げる。
「ないわよ」
「例えば、森崎さんの鞄の近くに岩船さんが普段使っているハンカチが落ちてたとか、彼女の制服に弁当の具材のソースが付いていたとか?」
「あのさ。私のこと馬鹿にしてるの?」
「ないってことですか?」
「だ・か・ら! ハンカチも具材も、ソースも証拠なんてない」
いや、あくまでも例えばの話だったんだけど……岩船が犯人だと断言したのであれば証拠の一つは必要ではないか。ミステリーにおける最低限の作法である。
「わかったでしょ。そろそろいいよね。勉強の邪魔」
森崎が刺々しく言う。
涼香は「うーん」と、考え込んでいるが、森崎にこれ以上話を聞いたところで成果はでないであろう。
「ありがとう!」と、僕は頭を下げて早々にC組の教室を出た。
「ちょっと、律希?」と背後から涼香の声がした。
◇
次に僕達が向かうのはA組の教室のはずだった。第二の犠牲者である八嶋勇人が在籍しているクラスであるからだ。森崎のC組からはB組を挟んで位置する教室であるが、B組の教室の前で涼香の足取りが重くなった。
「どうしたの?」
B組の教室の中を涼香はじろじろと覗いている。
「なにかあった?」
「いや、岩船さん、今日休みなのかな」
あぁ、と納得する。
さきほど森崎から不当に疑われた岩船葵とはB組の生徒なのか。
「休んでるかどうか、確認するつもり?」
「どうしようかね」と言葉では思案を装いながらも、すでに涼香の足はB組の教室の扉に向けて歩き出していた。
涼香が話しかけたのはドアの近くにいた男子生徒であった。
ひょうきんな笑顔を浮かべた短髪の男子が、隣にいる細身の黒縁眼鏡をかける男子と会話をしている。
「岩船さんって、今日は休み?」
臆することなく涼香が二人の間に入った。
突然、話しかけられた二人の男子生徒の顔には狼狽という文字が刻まれている。
「……えっと。さっきまでいたと思うけど」
「えっ……休みじゃなかったっけ。どうだろう」
「あぁ、たしかに。そっか休みか。どうだろうな」
「いや、いた気もするよな。わかんないけど」
「あぁ。わかんない」
「なっ。わかんないな」
二人の無意味な会話が終わる。
涼香は、「ありがとう」と二人の顔を見ずに告げると、ずけずけと教室の奥へ進んでいく。
「岩船さん、どこかにいる?」
次に声をかけたのは、女子生徒たちだった。教室の一角で、四つの机を囲むようにして三人の女子生徒が工作に興じつつ談笑していた。
「おぉ、久しぶりじゃん、涼香。葵なら、さっき帰ったよ」
紅梅色のニットをまとった生徒が、明るい口調で応じながら、四つの席のうち唯一空いている一つを指さす。そこが岩船の定位置なのだろう。
いつもの四人の中に岩船の姿だけがない状況が瞬時に読み取れた。
「そうなんだ。どうして帰ったの?」
親し気に涼香が訊く。午後の授業はまだ残っている。三人の女子生徒はそれぞれの顔を見合わせて口を結んだ。
「あぁ、ごめん。プライベートな事情だったら無理に言わなくてもいいよ」と、涼香が告げる。
「うん。いや。接着剤がついちゃったみたいで、病院に行ったの」
紅梅色のニットの生徒が応えた。彼女たちの手元を覗けば、艶のある銀色の金属を切ったり、繋げたりしていた。
「急病なの?」
「そうだね。接着剤が手についちゃったんだよ?」
「あぁ。それは大変だね。これ、つくっているから?」
涼香が訊く。
「うん。もうすぐ卒業でしょ? みんなでメタリックバングルをつくっているの」
聴き慣れない言葉だ。疑問があれば、すぐに尋ねるべきであろうが、この空間はいわゆる女子達の空間だ。虫の息でいるのが上策であろう。
目ざとくも、そんな僕の様子を見つけた紅梅色のニットの子が笑う。あろうことか、紅梅色の彼女は僕の眼を見つめながら語りかけた。
「メタリックバングルっていうのはね。金属のチェーンやパーツを切ったり、カンでつないだりして作るバングルみたいな物」
彼女は、それを持ち上げ、僕に向けて手の平を開いた。
「素敵だね」
涼香の無難な反応に、僕も頷く。
「もうすぐ卒業でしょ。何か記念になるものを親友同士でつくりたいと思って。これなら、卒業しても記念に残せるでしょ?」
とても女の子らしい発想だと僕は思った。
「羨ましい」と、端的に涼香が言う。一応、僕も頷いてみせる。
「涼香が羨ましいだってよ?」と女子生徒はニヤニヤと笑う。
「この素敵なバングルをつくっている時に接着剤が皮膚についちゃったの?」
涼香が机に置かれた接着剤を見ながら尋ねる。中の液は、ほとんど残っていないようで残りの一滴を絞るように外身が巻かれていた。
「違う。その接着剤ではないよ。葵が使ってたのはこっち!」と、答えたのは別の女子生徒であった。髪をお団子頭にした彼女は、自席の机の上に転がる別の接着剤を何度か叩く。そっちの接着剤はまだ新品のようであった。
「これ!」と、お団子頭が健気に見せる。
涼香と僕は二人して頷く。
「葵は、バングルをつくってなかった。葵がつくっていたのはジュエリーボックスの方!」
お団子頭の彼女が伝える先に、木目紋の素朴な箱が置かれていた。木製のとてもシンプルなデザイン。よく見れば、そのシンプルさが高貴な趣を演出している……と、言われれば、それらしくも見れるだろうか。
「なら、彼女が触れたのは、木工用の接着剤の方?」
あまり口を開きたくはなかったが、それでも一つ、気になることがあった。岩船という生徒が病院へ向かった理由。その背景に、どうしても引っかかる点があったのだ。
「そう、バングル用の接着剤は葵が持ってきたんだけど、葵自身が使っていたのは、こっちの木用の方」
僕から見て手前と奥に別の接着剤が置かれていた。木製の箱の前に座る女子生徒が接着剤を持ち上げる。
「金属用の接着剤は葵さんのだけど、木製の接着剤は葵さんのではないということだね?」
「そう。これは私の」
お団子頭が木用の接着剤を何度か振りながら応えてくれた。
「ありがとう」と僕は頭を下げた。質問は以上である。
涼香も「ありがとう。また、来るね!」と、その場で脇を閉めて、両手を振る。とても女の子らしい仕草であった。可愛い。緩くなっていく頬を隠すように、僕はもう一度小さく会釈をした。
顔を上げた時、涼香は既に歩き出していた。
僕は慌てて涼香を追いかける。
なんて滑稽なんだ。
「岩船さんって、想像していたよりも悪い人ではなさそうだね」
廊下に出るなり涼香に言った。
「どうして、そう思うの?」
「メタリックバングルだっけ? 親友同士四人で高校生活最後の想い出づくりに励んでいたから、少なくとも、あの集団の中では人間関係を上手く築いたんだと思うことができた。C組の森崎さんは、彼女を非道で悪人のように敵対していたけど、岩船さんには二つの顔があるということかな」
涼香は「なるほどね」と、天井を見つめ考えながらに語った。
「二つの顔か。この学校は特殊でさ。都内でも学業に秀でた者が集結する。学力至上主義とでも言えるのかな。成績が向上する生徒と停滞する生徒の間で亀裂が深まってしまう。いわゆる、難関大学への進学を見限った子たちは、それぞれに結束して奇妙な連帯感を見せるの。最後の高校生活を勉強だけに捧げて哀れではないかと、彼女たちは主張する。失礼な言い方かもしれないけど、彼女たちは妬んでいる部分があるわ。そして、勉強に没頭する生徒達は軽蔑した態度を取りながらも密かに羨望しているの。それぞれが違った一面を覗かせている。三年間過ごしてきたけど、この学校の空気は少し異常かな」
涼香の声は冷たく囁いた。嘲笑と軽蔑が顕在しているように感じる。
今の台詞は、涼香らしくない言葉だと思った。
「涼香は、成績が伸びなかった岩船さんが進学カリキュラムを受講する生徒を妬んで犯行に及んだと思っている?」
「私には、わからないな。帝陵進学カリキュラムに参加できなかったとしても難関大学に合格することは可能だし、現にこの高校にもそうした卒業生たちは何人も存在している。ただ、あのカリキュラムが難関大学への進学を目指す者にとって魅力的なことは疑いようがないよね」
帝陵進学カリキュラム―—僕には縁のないものであった。帝陵高校という名の進学の殿堂において、その最上位に位置する者だけが享受できる特別カリキュラムである。このカリキュラムへの加入を目標として帝陵高校を受験した生徒も相当数いると聞く。
試験は高校一年の末に希望者のみが集まり行われる。カリキュラムへの参加を夢見て、叶わなかった生徒の中にはそれなりの苦痛を味わう者もいるだろう。
敗北者の悔しさは、挑戦者でもない僕には量ることができない。
◇
A組の教室の中に二人目の犠牲者である八嶋勇人はいた。
「私、ちょっと彼のことは苦手なんだ」
涼香は唇を噛む。臆することのない涼香がそんなことを言うなんて珍しい。
「どうして?」と尋ねた。
ただ、彼女は「些細なことだから」と誤魔化す。
八嶋は、自身の席に腰をかけて瞼を閉じていた。腕を交差させて、微かに何かを呟いており、静寂に浸っている様子だ。
「八嶋君、少し話を聞いてもいい?」
涼香に変わり、今回は僕が声をかけた。
「はぁ?」と、彼は鷹のように鋭い目つきで僕のことを見据えた。
咄嗟に「ごめん」と、言葉を漏らす。
「邪魔しないでもらってもいいかな」
八嶋は低い声で忠告をして、再び、眼球を隠した。
「ごめん。八嶋、少しだけ、聞きたいことがあるの」
涼香は、覚悟を決めたように、絞った声で呼びかけた。
八嶋は「ん?」と、首を動かし、細い目を涼香の方へ向けた。
「あぁ。栗原か。久しぶりだな。おまえもいたのか」
不敵な笑みを浮かべる。
「久しぶり」と、憮然とした表情で涼香は答え、すぐに、八嶋を問い質す。
「あなたの弁当が捨てられた事件のことで、知りたいことがあるの」
八嶋は鋭く目を細める。
無言で涼香のことを睨み続けている。
「犯人を探しているの。弁当が捨てられる事件が続いたことがあったと思うけど、その一人一人に声をかけ……」
言葉を並べる涼香に「待て!」と、八嶋が断絶を入れた。
「カリキュラムを辞め、進学を諦めた君は随分と余裕かもしれないね。悪いが受験を捨てた君の探偵ごっこに付き合うつもりはないんだ。僕らは勝負の真っ只中なんだ。無駄足を踏んでる時間などない。正直に言おう。消えてくれ。君が勝手に諦めた道を僕らは必至で歩いてきたんだ。頼むから邪魔をしないでくれ」
あまりにも直截で、酷薄な物言いだった。
僕は言葉を返そうとして、無意識に一歩、彼のほうへと足を踏み出していた。
愛する人が、こんなふうに切り捨てられるのを、ただ黙って見ていることなど到底できなない。
口を開こうとした瞬間、涼香は僕の前方に割り込んだ。
「うん。そうだよね。ごめんね、邪魔して」
涼香は僕の方を向き「行こう」と、無理に微笑む。
八嶋はこちらに振り向きもせず、再び、腕を組んで、瞼を閉じた。
「言い返さなくて良かったの?」
教室を出て、すぐに涼香に聞いた。
「うん。さっきも言ったけど、八嶋と私は仲があまり良くないの。それに、彼の言っていることは正しいよ。彼は自分の本当にやりたいことを捨ててまで勉強に集中している。そんな彼のことを邪魔したらいけないでしょ。受験生にとって、今は人生をかけた挑戦の時なの。私たちが邪魔できるものではなかった」
「うん。そうだね」
教室に一歩足を踏み入れれば、受験を目前に控えた彼らの熱意が否応なく伝わってくる。僕らの調査など、彼らにとってはただの妨害にすぎない。
——ところで、八嶋は涼香に対して、気になることを言っていなかった?
「涼香はカリキュラムを辞めたの?」
涼香に向けられた非道な発言に憤りを覚え、その時は深く考えずにやり過ごした。だが、改めて思い返してみると、看過できぬ言葉であった。
「その言葉の通りだよ」
額面通りに受け止めるとしたら、涼香もカリキュラムを受講していた時期があるということだろう。
「進学をしたかったってこと?」
「うーん。進学カリキュラムに合格した高校二年の当初は、そうだったかもね。でも、進学することを辞めたの。言ったでしょ。他にやりたいことができたって」
「やりたいこと?」
「うん。日本じゃないところで暮らしたいの」
陽炎のように揺らめく光が、廊下の窓から彼女の髪に触れる。廊下の窓から差し込む逆光で、彼女の顔は霞のようにかすんで見えた。隠れた輪郭線が話を続ける。
「日本にいて何もやりたいことが見つからなかったの。海外に行って見つかるとは限らないけどね。異文化や多様性に触れることで少しでも視野が広げられると思った。それに、一人になれば全部が自己責任になる。私に不足している自立心と責任感を養えるんじゃないかなって。急に思い立った甘い考えだよ。計画性も何もない。だからこそ、素敵に思えるの。オーストラリアにしようかな。そんな程度で、未来を決めた。でもね、ワクワクしているんだ」
僕は「オーストラリア?」と、彼女の言葉を反復して訊く。
「そう。それも甘い考えだよ。治安が良くて勉強にも集中できる。英語圏なのに日本とも時差が少なくて、こっちの人とも連絡が取りやすいでしょ」
涼香の内なる想いを聞いて、僕は呆然と言葉をなくした。彼女はこの学校を卒業したら日本を離れてしまう。どう受け止めていいのかと発する言葉をすぐに選ぶことができなかった。
「そろそろ、昼休みも終わりだね」
涼香は快活に微笑んだ。
「先に行くよ」と、小走りに離れていく。
振り向き、突然、彼女が僕に尋ねた。
「海外に行くの。日本に後悔は残したくなった。卒業文集のこと、どうして律希に相談したと思う?」
唐突な質問で、応えられずに僕は立ち止まる。
「よく考えてね」
彼女は妖艶な笑みを浮かべて去っていった。
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