第30話 余韻と現実、尊い転換点

 文化祭が終わった翌週。

 校舎はすっかり静けさを取り戻していた。

 派手な装飾は取り外され、廊下にはいつもの掲示物だけが残る。

 まるで昨日までの喧騒が幻だったかのように。


「……尊い夢から覚めた気分ですわ」

 琴音が窓の外を眺めながら呟いた。

「尊い文化祭が終わってしまって、胸にぽっかり穴が開いておりますの」


「……大げさだな」

 森山は冷静にノートをめくりながら言った。

「だが、もう遊んでいる余裕はない。文化祭で浪費した時間を取り戻す必要がある」


「尊い余韻も認めてくださいまし!」

「くだらない」

 そんなやりとりに、俺は笑いながらも胸の奥に微かな寂しさを覚えていた。


 放課後。

 三人で図書室に集まり、再び問題集を開く。


 ページをめくる音だけが響き、ついこの前まで衣装やポスターに囲まれていた自分たちが嘘みたいだった。

 俺は数学の問題にペンを走らせながら、ふと手を止めた。


(……文化祭が楽しかった分だけ、今の静けさが余計に重いな)


 横を見ると、琴音も珍しく真剣な顔でノートを埋めていた。

 そして森山は相変わらずの集中力で問題集を解いている。


 その姿に、「ああ、本当に受験モードに入ったんだ」と実感せざるを得なかった。


 休憩時間。

 水筒のお茶を飲みながら、琴音がぽつりと漏らす。


「わたくし……文化祭の時、尊い尊いと騒いでおりましたが、実はずっと不安でしたの。

 本当にこんなことをしていていいのかって。でも……皆さまの笑顔を見たら、やっぱりやって良かったと思いましたわ」


「……俺も」

 気づけば自然に口を開いていた。

「勉強を忘れて夢中になった時間なんて久しぶりだった。正直、後悔はしてない」


「ふん……」森山は鼻で笑った。

「効率的ではなかった。しかし――悪くはなかった」


 小さく呟いたその言葉に、琴音がにっこり笑う。

「尊い本音ですわ!」

「やめろ」

 森山の耳が赤くなる。俺は堪えきれず吹き出した。


 夕暮れ。

 図書室を出て帰り道を歩く。

 蝉の声はすっかり消え、涼しい風に秋の匂いが混じっていた。


「これからは、もう本当に勉強一本ですわね」

 琴音の声は、少し寂しげだった。

「最後の文化祭も終わって……あとは受験と卒業を待つばかり」


「……そうだな」

 俺も胸の奥がざわつく。

 進路が定まらない不安と、青春が終わっていく寂しさ。


 けれど、その隣を歩く二人の存在が、不思議と心を温めていた。


(この二人と一緒なら、どんな現実も越えていける――そんな気がする)


 秋の夜風に吹かれながら、俺たちは静かに歩き続けた。

 文化祭の余韻を胸に、受験生としての現実へと踏み出していくのだった。

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