釣燈籠

柳上 晶

第1話

『なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。』

 優しくされると、傷つきます。好意を向けられると、それがいつ呆れと失望に変わるのかと怖くなります。私は、私に向けられる感情が、何よりも、ええ、何よりも怖かったのです。

 先ほど挙げた言葉は、かの有名なキリスト教。その聖書に書かれている言葉なのです。前向きに、生きる希望を与え、神のことを教えるための本、などと、勝手に思っていたのですが、実際見ると、そればかりではないことが分かったのです。そんな中見つけたこの言葉。私は心を打たれ、今まで生きていた中の空白が埋まったのです。

 なぜ生きているのか。なぜ呼吸をし、歩き、話し、考え、活動を続けているのか。私一人のちっぽけな命。いてもいなくても変わらず、ただ生きるということをしている人生。いや、ただでは生きていません。迷惑ばかりかけていますから、人にかけた迷惑という借金地獄でのたうち回って生きているという方が正しいでしょうか。

 とにかく、私は、生きている意味というものを探してきましたが、それは間違いで、本来なら死んでしまうべき人間だったのではないか。そもそも、生きて迷惑をかけるぐらいならば、生まれる前に死んでしまうべき存在だったのだと思い始めたのだ。

 そんなこんなで、のらりくらりと生きていたものですから、私もとっくのとうに成人を迎え、慌ただしい日々が始まったのですが、ええ、地元から遠く離れた所を選んだものですから、私が井の中の蛙だったことがありありと浮かび上がってきたのです。何でもできる、ではなく、器用貧乏で、最初がすぐにできるだけ。長い間続けていれば、遅れをとるのは私であり、飲み込みは早いがそれ以上ができないのだ。そんな私の心を壊した原因は何なのかわかりませんが、絞ることはできます。人々との友好関係。または、母からの厳しい言葉のどちらかでしょう。

 その程度のことで壊れてしまうような心を持つなど、やはり産まれることは間違いだったのでしょう。普通に生きても壊れるのですから。

 前置きはこれぐらいにしておきましょう。そんな私がどういった人生を歩んでこのようになったのか、語っていきましょう。



 昔から人付き合いが苦手な方でした。声をかけるというのがあまりにも苦手で、相手から来るのを待ち続けているので、友達など片手で数えられるほどです。友達百人など、夢のまた夢でありました。ここまで卑屈な性格になったのにも訳があります。小さな子供に対し、本気で怒る大人や、なぜか私を目の敵にしている大人。私が悪いと言えばそれで終わりですが、その時の私にとっては理不尽に怒ってくる怖い大人だったのです。

 それから周りの顔色ばかり見ては、波風立たないよう陰になるのに徹しました。人の逆鱗に触れないよう、変なことを言わないよう、はっきりとした意見を言わず曖昧な返事をしたり、相手を否定しなくなったり。

 成長し、入った中学校で、浮き足だった人々がところ構わず騒ぎ立てる様は、はっきり言って最悪そのものでした。そんな環境が嫌で、逃げたくて、彼ら彼女らと全く関係ない高校を選んだのです。この頃からでしょうか。私の感情が周りではなく、すべて自分に向き始めたのは。

 人と関わらなかったせいでうまく育たなかった感情は、急激な成長に追いつけず、中途半端なところで止まってしまいました。そしてあろうことか、負の感情が増大したのです。それが自分に向いているのですから、最悪です。自分の思い通りにうまく進まないだけで死にたくなるのですから、よく言われる「失敗を恐れない」など、到底できるものではありません。すればするほど、自分が嫌になっていくのです。

 それなのに、現実はあまりにも厳しく、そして無情でした。

 自分でも呆れるほどの失敗、失敗、失敗…………

 いつしか私は、あり得もしない未来について考えるようになったのです。未来の私は自分のなりたい職業について大成功を収めて一躍有名人になるという薔薇色の人生を歩んでいる、という妄想です。

 実際は、やりたいこともなく、まともな未来も見えず、ただ生きるために生きている。例えるならば、クラゲのようなものです。水の中を揺蕩いながら、生きているのか死んでいるのかわからない生き物。もしかしたら、もう死んでいて、それに気づかず波に流されているのかもしれません。そのような人生、生きている意味があるのでしょうか。

 特別な才能もなければ、これをやりたいという意思も持っていない。私自身、無価値な人間だということを理解してしまったのです。

 それを理解した後、体のだるさと気持ち悪さが一気に襲ってきました。

 ふと、夜道の中、星空を見上げて思い吹けたことがあります。この世全ての生き物に生まれた意味があるというならば、私は何のために生まれたのだろうかと。それを知ったところで何も変わらないのは百も承知だ。ただ、今ここに立っている意味がわかれば、生きる気力も湧くというものです。ああ、現実はそう甘くないようで。

 そこで、考えるだけで止まればよかったのでしょうか、今となっては分かりませんが、ある時、着の身着のまま外へ行き、頭痛と倦怠感でふらふらの体を動かして、人生最後の迷惑をかけに行きました。

 向かった先は踏切です。私はその中に入り、線路の上に立ちました。

 一度もしたことない行動により、心臓はいつもより活発に動き、足が震えだす。それらを私は、意志を持って止めて前を見る。

 嫌なことがあっても、自分の思い込みで全てを消すことができる。何もないように振る舞える。そんなことができても、人生の役には立たないのだと、今更ながらに悟りました。

 カンカンと音が鳴り響き頭を揺らす中で、私は考えていました。私の人生は、あまりにも価値のない人生でした。



 そこから先のことはわかりません。記憶にないのですから。

 さて、私は死んでしまったそうで。ちっぽけな人生一つ消えてから、世界はどう変わっていくのか。まあさして興味はありませんが。ただ、私が死んで悲しんでくれる人がどれほどいてくれるのか、それだけ、知りたくはあります。

 もし運悪く生き返ってこれたなら、死者の国がどれほどか、聞かせてあげましょう。

 では、また来世。

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釣燈籠 柳上 晶 @kamiyanagi177

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