第2話 追憶と和室
懐かしい匂いがした。い草と襖紙の匂い。二人の子供がかくれんぼをしている。子供の一人が和室の押入れの中に入り隙間なく襖を閉める。暗闇。暗闇の中であの鳥が嗤っていた、喉元に開いた裂け目を歪ませて。怖い、暗い、嫌だ。子供は黙って震える事しか出来なかった。ガタンと音がした。目の前の襖が勢い良く開く、差し込んだ暖かな光に目が眩む。押入れの前に立ったもう一人の子供がいたずらな笑みを浮かべて告げる。
「ミゾレちゃんみっけ」
部屋の明かりに照らされた押入れの中の少女は私自身だった。
***
「……ん」
畳の上で目を覚ます。
他の二人はいない。梟の仕業だろうか
「…どこで見たんだっけあの顔」
あの既視感はなんなのだろうか
花曇は和室にいた。
「…変」
凍星邸の一階西側に位置する和室は昔二人でよく遊んだ為に熟知している。だからおかしい、こんな部屋はあの子、
「…面倒」
花曇は当てもなく縦横に襖を開けながら進んでいく。和室は依然その様相を変えない。
そろそろ見飽きてくる頃、三十二部屋目にして妙な和室に出た。すでに襖が少し開いている。その襖の向こうの和室にも同じく半開きの襖がある。
他に人がいるのかそれとも誘われているのか、疲弊した花曇にはそれを考える余裕は無い。半開きの襖の向こうに進むほかになかった。しかし花曇は唐突にその歩みを止める、彼女は再び遭ってしまったのだ。人面の梟だ。急いで一つ前の和室に戻り襖を閉め別の道の襖を開けて逃げる。逃げながら花曇は玄関で梟を見た時の事を思い出していた。
「…目だ」
二つの大きな黒い瞳、あれと目が合ってから花曇たちは動けなくなった、というより動いてはいけない気になった。いつかTVで見た催眠術の様に。とにかく目を合わせない様に動かなければならない。大丈夫、まだ逃げ切れる。と自分に言い聞かせて襖に手を伸ばす。
ぺちゃり
湿った感触が手に触った。襖にあるまじき感触に思考が一瞬止まる。手元を見る。真っ黒な襖の引手、それが蠢いていた。
「_!」
その悍ましさに思わず後ずさる。引手が蠢きながら襖の上を走る。襖の白と引手の黒がまるで目の様に花曇を睨みつけ_
目。そこで遅れていた花曇の理解が追いついてしまった。見られている。すぐ目の前に梟が来ている。音もなく近づいていたのだ。玄関で見たのは戯れに過ぎなかった。これは狩りだ、獲物を確実に仕留める狩りなのだ。
咄嗟に目を伏せようとしたその時、一瞬だけ目が合ってしまった。ぐわんと頭が揺れる。割れる様に痛む、目を開けなくてはならない、見れば楽になるという思考が頭を侵し入り込んでくる。
「…っ…が」
荒い呼吸の間に声にならない声があがる。逃げなくては。無理やり踏み出そうとした一歩でバランスを崩した花曇は横の襖に勢いよくぶつかる。襖ごと隣の和室に転がり込んだ花曇の頭から痛みが引いていく。それに替わって何箇所も擦りむいた身体中が痛む、それでも身体が動く。逃げれる。
「…逃げなきゃ」
花曇は震える足を引き摺りながら和室を進んでいく。襖を開ける、進む、襖を開ける。後ろで嗤い声がする、梟はどうやら満身創痍の花曇を弄ぶ事に決めた様子である。
畳の縁が二重に見えてくる、もうやめたい、諦めてしまいたい、嫌だ、怖い、助けてほしい、誰に?助けての4文字も声に出せないくせに?黙って震えることしか出来ないくせに?そんな声が頭の中、否、左右の襖から花曇を引き止めようと唆してくる。花曇はそれに聞く耳も目もくれない、というより顔を横に向ける体力がもう残っていなかった。前の襖に手を伸ばす、開ける、進む、前の襖に__
懐かしい感触がした。い草と襖紙の匂い、ハッと顔をあげるとそこには見知った和室と押し入れがあった。後ろから梟の嗤い声がする。押入れを開ける。押入れの中は暗闇だった。その暗闇で花曇は思い出した。その中にに手を伸ばす。何かが手に触れた。背後の梟の嗤い声が怒号に変わっていた。しかし花曇がそれを見つける方が早かった。それは木彫りの梟であった。
「…これだ」
昔紺子と二人でかくれんぼをした。
紺子が鬼で私はここに隠れた。そこでこの木彫りを見た。大きさはサッカーボールほど、胸元に大きな切り傷の入った木彫りの梟が人の顔に見えた私は、それが恐くて仕方なかった。といえども改めて今見ると昔の印象よりかなり小さく見える。
「…なんだ…案外可愛いかも」
こんなのが怖かったのかと少し拍子抜けした。
辺りを見回すと人面梟の姿は何処にも無かった。
せっかく怖く無くなったのに、と少し勿体ない気持ちになった。
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二章へつづく
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