第13話
それは交渉ではなく、ただの恐喝だった。
「貴様には二つの選択肢がある。
影魅の欲するものを差し出すか、我々に再び八つ裂きにされ、町を巡り歩くか。
選ぶといい。」
「それ実質一つしか……再び?」
八つ裂きとか恐ろしいなんて思ってたら、既にされていたらしい。怖。
影魅がこわごわと慄いていると、魚人達がなんてことでもないかのように言った。
「二百年くらい前に、調子に乗ったあの女狐が我々の王の巫女に手を出してきてな。
罰として、四肢をちぎり、町中を巡って晒し者にしてやったのだ。」
「三百年では無かったか?」
「二百年も三百年も大した差はあるまい。」
「しかり。」
影魅は口元を引きつらせた。四肢を引き千切られて死なないとか、流石は神様といった所だろうか。それも大概だが、百年の違いが大した差ではないと当たり前のように言っているあたり、時間感覚が人間と違いすぎる。
影魅達が後ろでこそこそ話している中、魚人の恐喝に、九尾は牙を剥き出しして吠えた。
「妾からカゲボウシを奪ったばかりか、また差し出せというのか!」
「そもそも貴様のものではない。」
「妾の支配域で起こったことじゃ!ならば、それは妾のものであろう!」
九尾の怒声に、魚人は嘲るように短く嗤った。
「知ったことではないな。」
蔑みの感情をそのままに言い放つ魚人に、九尾は牙を剥き出しにして、毛を逆立てる。
「貴様らはいつもそうじゃ!妾の邪魔立てばかりする!
だいたい、何故、貴様らが首を突っ込む!理由がないであろう!」
九尾の言葉に、魚人の銛を握る手に青筋が浮かんだ。
「王の小さき子が、貴様の汚らわしい呪いに触れた。」
「は?」
魚人が怒りを込めて、柄で地面を突いた。
「我々の愛しき姫が、貴様のくだらん遊びの為に汚らわしい呪いに触れたのだ!」
激怒する魚人に、九尾が目を見開いて、ぽかんと口を開けた。人とは違う顔でありながら、なんとも人間臭い仕草であった。
「は、は?待て、姫とはなんじゃ!?まさか遥のことか!?」
「その他に誰がいる!」
「お、おぬしら、まさか、あんな幼子にそこまで目をかけているというのか!?おぬしらだけでなく、海主までも!?」
激しく狼狽する九尾に、何を当然の事を、と、目で言う魚人達。
九尾は、信じられないとばかりに目を見開き、怒りを滲ませ、声を荒らげた。
「貴様ら、まさかあんな幼子を神域に攫い、身内にするつもりではなかろうな!?」
「いずれはそうなるであろう。」
「阿呆!普通の人間が神と同じ時間を生きれるか!人間は永遠の時間を生きれる精神構造なぞしとらんのじゃぞ!」
「関係ない。なに、何れ慣れるであろう。それに。」
魚人は影魅を見る。まさか自分のことだと思わなかった影魅は後ろを振り返り、後ろの魚人に「お前の事だ」と指され、びっくりしながら自分を指した。
「え、なに、俺?」
「そうだ。貴殿がいる。だから問題なかろう。」
「え、何が!?」
影魅は恐怖した。なんか知らない内に重大そうな事を任されている!
(あれ?もしかしなくても、このままだと、遥が海主様の臣下になるってこと?)
それは、つまり、遥が人間ではなくなる、ということで。
遥の普通の人生が終了してしまう、ということだった。
影魅は決心した。
(よし、今回の事が終わったら、海主様に進言しよう。)
遥を臣下にしないで欲しい、どうしてもというならせめて成人した後に、と。
影魅が決心している間に話はまとまったようで、魚人が影魅の肩を叩いた。
「貴殿の頼みを受け入れるとの事だ。」
「あ、ありがとうございます。」
「うむ、貴殿は何れ我々の臣下になる身。この程度の事なら何ということはない。」
「あ、はい、そうですか……」
いつかは分からないが、影魅も海主様の臣下となるようだった。権利を与えるとか言っていたのに、使うのは決定事項らしい。権利とは。
なるほど、これが神様の常識か、と、影魅は肩を落とした。港区の人達の危機感が身に沁みて正しかったと実感した瞬間だった。
真希の魂を取り戻せたら、せめて真希はそのままで、自分だけ臣下にしてもらうよう、後で頼もう、と、影魅は遠い目で思った。
影魅が前に出ると、九尾は影魅を忌々しいと言わんばかりに睨みつけていた。
「貴様が海主に取られなければ、こんな事にはならんかったというのに。」
「はあ。」
影魅は困り顔で頬を掻く。それを自分に言われても、どうしようもないというのに。
影魅は嘆息して、九尾と向き直った。
「まずは、お聞きしたい事があります。」
「なんじゃ。」
「真希ちゃんの魂の件です。海主様が、あなた様なら持っているだろう、と。」
九尾の目がぎゅっと細められた。間を置いて、九尾が問う。
「それを聞いて、どうする。」
「あるのなら、この体を返そうと思っています。」
「……返す?」
九尾が困惑の声をあげる。まるで想定外の事を言われたとでも言いたげな声だった。
「おぬし、ねねから体を譲られたのではないのかえ?」
「ねね?」
「ぬ?あっ、そう、真希からじゃ。」
はっと身動ぎし、目を泳がせる九尾。まるで口を滑らせたかのような反応だった。
影魅は訝しげに目を細めるが、話が進まないので流した。
「そうですね。たしかに、私に譲る趣旨の手紙がありました。」
「ならばその体で生きれば良かろう。」
「良くありません。真希ちゃんの未来が無くなります。
確かに彼女がやった事は悪いことです。理由はあったのでしょう。やけになって、自分の命を投げ出してもいいと思えてしまうくらい、苦しかったんでしょう。
だからといって、自殺していいわけがありません。そこで終わらせていいわけがないんです。
その苦しみに寄り添って、なんとかしてやるのが、大人の役目ではありませんか。私は、彼女の命が、これからの未来が取り戻せるのなら、取り戻してやりたいんです。」
胸に手を当てて語気を強める影魅に、九尾は暫く黙り込み、逆立てていた毛を落ち着かせた。そして、影魅を鋭い視線で貫いた。
「それを、妾に信じろと?」
影魅は眉を下げた。嘘など言っていないし、自分なりの誠意を込めたつもりだった。
「信じられませんか?」
「当たり前じゃ。誰が、再び手に入れた命を捨てたいと思う?見ず知らずの幼子の為に譲りたいなどと抜かす?そんな人間など滅多におらぬわ。
大人の役目と言ったがな、大人も幼子も皆変わらぬ。自分が一番大事で、己の命の為なら親族すら見捨てる。それが人間よ。
貴様は、いったい何を企んでおるのじゃ?」
「企みなんて……!」
弁明しようと身を乗り出す影魅に、九尾はひとっ飛びで山道の入口に立つと、黒黒とした眼で影魅を睥睨した。
「ならば証明してみせよ!妾は山の頂きにて待つ。
貴様は山道を通らずに、妾の元へと辿り着いてみせよ!」
影魅は一度瞑目し、決意を秘めた眼差しで九尾を見つめ返した。
「良いでしょう。証明して見せます。」
影魅がそう言うと、九尾は山の闇の中に溶けて消えていった。
影魅は振り返り、魚人達に頭を下げた。
「協力して頂き、ありがとうございました。」
「ふむ。貴殿はやはり礼儀正しすぎるな。もう少し強引でもよかろうに。」
「相手は神様ですし、それに、これが俺のやり方ですから。」
「ま、それが貴殿の良い所であろうからな。」
魚人達が踵を返す。魚人の一人が、銛を掲げた。
「行ってくるといい。」
「はい。行ってきます。」
影魅はもう一度頭を下げて、山道から離れた所から、山に入っていった。
九尾は、山頂で、夜空に昇る月を見ていた。
「ああ、欲しかったのう……」
影魅を信じられない、と言ったのは、嘘だった。
九尾は、この山の神として、様々な人間と関わってきた。良い人間も、悪い人間も、色んな人間と関わり、時に化かし、交わり、生きてきた。
その経験が、影魅が本気で真希を思い、真希の為に魂を取り戻そうとしている事を、肯定していた。
影魅は余裕でこの山頂に来るだろう。試練にもなるまい。影魅は自分の力をあまり自覚していないようだが、もはやこの山で影魅に敵うものは九尾しかいない。
九尾は海主を恨んだ。よりにもよって、あの性質のカゲボウシを神域に入れ、名を与え、己の体の一部を分け与えるなんてことをしてくれたおかげで、影魅は化け物へと成長した。
カゲボウシは、一つの脅威となる性質を持って、この世に降りてくる。そしてそれはいずれ、世界に影を差すような脅威になるのだ。
影魅の性質は、侵食。
それは、犯し、喰らうもの。
触れたものを乗っ取り、奪い、己のものとする力。
己の欲しい者を拐かし、じわじわと魅了する魔の性。
神域に満ちる神気を喰らい、海主の力の一端を、与えられた名と体の一部で持って取り込んだ影魅は、人々からの信仰があれば、神へと成り上がれるだけの力が既にあった。
あれは、触れてはならぬものなのだ。
そういった点では、人間として、雄一は正しかった。問答無用で殺してしまうのが一番正しい。触れるほど、接するほどに、あれは心にも侵食していくのだから。
敵意で心を閉ざしていたはずなのに、いつの間にか、その言葉を聞き入れるようになってしまったように。
無意識に、悪意なく。そうやって、人の心を、日常を、侵していくのだ。
「妾がなんとかするしかないのじゃろうなぁ……」
この一件が終わったら、九尾が影魅にカゲボウシの力の使い方を教えなければ、町の人々がその被害に合うだろう。何が酷いって、影魅自身にはそんな事をする気がこれっぽっちもない、ということだ。
本当は、名付け親の海主が面倒を見るのが筋だ。しかし、相手は傲慢不遜で平気で理不尽を押し付ける、あの海主である。
海主は祟り神であり、超越者である。だから、虫けらのような人間の事など、大して気にもかけない。
あれはあれで、古き神にしては人に寄り添っている方ではあるのだが、基本的に、人間に歩み寄るような存在ではないのだ。
だから、影魅の脅威など気にもしていまい。どれだけ人間にとって脅威となろうと、海主にとっては大した脅威でもないのだから。
だから、九尾は海主が嫌いなのだ。
月を黒い影が横切る。見れば、奇妙なカラスが、九尾を見つめている。式神だ。
「ああ、何処かで見覚えがあると思えば……」
数年前に、自分をエリートなどと騙り、愚かにも自分に挑んできた道化が扱っていた式神だ。面白かったから生かしてやったのだが、影魅にちょっかいでもかけて奪われたらしい。
そういえば、雄一の猟銃も奪われていた。あれには、軽くとはいえ、九尾の祝福がかけられているのだが、それも奪われただろう。やはりカゲボウシの力は脅威だ。
そうやって、無自覚に、侵略していくのだから。
「せめて、」
九尾は項垂れた。
「せめて、悪党であればなぁ……」
影魅は、根っこの部分がどうしようもなく善人だった。せめて少しでも屑な所でもあれば、そこを弄くり回して愉しめたのに。
影魅はただ、救えるかもしれない子供を救いたいだけなのだ。
只々、自分の良心に従って。
もはや手遅れなのに。
なんとも哀れな奴だった。
だからこそ、影魅に言わねばならない。お前の望むものは既にないのだと。
こんな胸糞悪い役回りなど、誰かに押し付けてしまいたいが、それを聞いた影魅が暴れたり、自棄になるなどの万が一の可能性を考えると、それを抑え込める自分がやるしかないのだ。
だから、影魅をここまで誘導したのだ。ここなら誰にも迷惑がかからず、自分の本領を発揮できるから。
近くから、重い足音が聞こえてくる。影魅のものではない。大きい獣の足音だ。遂に、生き物すら侵食して乗っ取ったのだろう。
九尾の眷属には、影魅には絶対に手を出すなと厳命してある。適当な獣や怪異でもけしかけて、後は絶対に関わるな、と。
下手に喰われて力を付けられてしまっては困るのだ。海主のやらかしのせいで、もう手遅れかもしれないが……
ずしり、と、何者かが九尾の背後に立つ足音が聞こえる。
「来ましたよ、九尾様。」
上から声が聞こえて、横目で見ると、なるほど、やはり、影魅は大きな獣の肩に座っていた。
影魅が座っている獣は、一見すると熊のような獣だ。しかし、腕が二対もある。半分怪異と化していたのか、それとも影魅の力で怪異と化したのか。
体のあちこちに罅が入り、黒い煙……影魅の力が漏れ出ている。影魅の力を、その器が受け止めきれないのだ。こうなっては、もう長くは生きられまい。
可哀想だとは思わなかった。弱い者が喰われ、強い者が喰う。弱肉強食、自然の絶対の理。それは、当然のことだった。
影魅は熊の肩からするりと降りる。影魅が上げた腕にカラスがとまり、黒い紙へと姿を変えた。
終幕の先に、現実が突きつけられる、その時がきた。
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