二章 勇者を拾いました

2-1

 ゴミ溜めの森ホーディングフォレストでのきょてんにすることにしたこの家については、相変わらずなにも分かっていない。

 だれかが住んでいた気配はなく、ろうきゅうも見られなかったので、最近建てられたのだろうか。

 とはいえ、深く考えるのは、落ち着いてからでもおそくない。

 勇者を拾ってから五日がつが、彼は目覚めることなく、今もこんこんねむり続けている。

 たおれた原因は地の国にじゅうまんしているしょうだったのだろう、めんえきがついたのかき込むことが減ると、熱も引いていった。


「体調は落ち着いているのに、まだ起きないなんて。ずいぶんなおぼうさんね」

「勇者なんて捨てちゃいましょうよ」

「レティ、って言っているでしょう」

「外は宝の山ですよ、ちんを探しに行きたくないんですか? お留守番、代わりますよ」

 

 留守番なんてとんでもないと、ベルは首を横にった。

 口を開けば勇者を捨てろと言ってくるレティに、勇者の看病を任せられるわけがない。任せたとたん、勇者を家から追い出すに決まっている。

 食料調達に出かけたレティを見送り、ベルは勇者のそばにこしを下ろす。


「宝の山を前にして出かけられないなんて、ばつを受けているようだわ。えんざいなのに……」

 

 きゅるると悲しげな音を鳴らすおなかをさすりながら、ベルはうらめしそうに勇者を見た。


「あなたのせいだけど、あなたがしてくれたおかげで私はここへ来られたのよね。複雑だわ」

 

 ベルは割り切れない感情を持て余すようにため息をきながら、勇者の鼻をちょんとつつく。すると―― 。


「んっ」

 

 勇者はくすぐったそうに鼻にしわを寄せ、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。

 現れたのは、んだ青色の目と、はく色の目。


「……おどろいた。あなた、右目と左目の色が違うのね」

 

 右目が青色で、左目が琥珀色。

 なんてめずらしい目をしているのだろう。不思議なりょくきつけられて、つい見入ってしまう。

 目の色は、生まれ持ったりょくや聖力の強さによって決まる。

 魔力が強ければ琥珀色に、弱いほど黒くなり、聖力が強ければ青く、弱いほど色があわくなる。どちらも持っていない場合は、茶色やヘーゼル色に決まる。

 世界共通のにんしきとして、魔力は地の国のもの、聖力は天の国のものであり、人には魔力も聖力もない。

 しかし、ごくまれにこの法則から外れる者がいる。有名なのは、勇者の特徴とされる神に愛された人が持つ青いひとみだろう。

 青色も琥珀色も、本来人には現れない色。


(その上、両方の色をもつなんて。すごいわ、こんな目を見るのは初めて)

 

 ものめずらしさに、目がはなせない。きょを縮めていることにも気がつかないくらい。 

 ドン! と体を押されて、ようやくベルは夢中になりすぎていたことに気がついた。


「あら、ごめんなさい」

 

 とっさに謝れば、身を起こして周囲に目を走らせている勇者と視線がからむ。

 とうそうを試みた勇者が足をすべらせてベッドから落ちかけたので、ベルは手をばしてめ、ベッドへ押し戻した。


「あなた、五日間も寝ていたのよ? すぐに動くなんて、危ないことをしては駄目」

 

 弟に言い聞かせる時のようにやさしく言ってみたが、勇者はするどい目でにらんでくる。

 動くのもようやくなのに、かくしながら距離を取ろうとしている姿が痛ましい。


だいじょう? 無理しないで」

 

 背をでたら彼が落ち着いたことを思い出してベルが手を伸ばすと、強くきょぜつされる。

 たたき落とされた手は痛くないが、なぜか勇者のほうが驚いた顔をしていて、ベルは不思議そうに頭をかたむけた。勇者は口をはくはくさせながら、ひどくろうばいしている。


(なにか言いたいことがあるのかしら?)

 

 ベルは勇者と距離を取りながら、彼はなにを言いたいのだろうと思いをめぐらせた。

 ちんもくが続き、このままではらちがあかないと勇者――ケイトは口を開く。


「……ここ、は?」

 

 しつけに睨み続けているというのに、目の前の彼女は意にもかいさずふわりとほほむ。


(この笑みは俺を安心させるためじゃない、まどわそうとしてのものだろう)

 

 ケイトは意固地にあやしんだが、それでも彼女は笑みを絶やさない。


「ここは、ゴミ溜めの森。天の国と人の国、人の国と地の国をつなぐ穴の真下。どうしてここにいるの? あなた勇者よね?」

 

 その理由を知るために問いかけたのだが、と思ったしゅんかん、フラッシュバックを起こしたようにある光景が頭にかぶ。

 半地下のろうの中。てんじょう近くにある窓からは、しとしとと降る雨の音が聞こえている。

 魔王に敗れ、ルシフェルにかかえられた時は死をかくしたが、なぜか殺されず牢へ移された。くさりにつながれるどころか、牢とは思えない快適さを提供され、まどうことしばし。

 いしだたみゆかの上を裸足はだしで歩くような足音が近づいてきたかと思うと、一人の女性魔族が姿を現した。

 パッと目を引く美々しい顔。根元から毛先にかけてピンクから淡いむらさきに移り変わるかみ色はばつながらうるわしく、けるように白いはだなまめかしい。

 驚くべきは、その姿。おろした髪を体にまとう彼女は、ぜんだったのである。

 全裸だった。そう、何度だって言う。全裸だったのだ!

 さいの時くらいぜいたくをさせてやろうという、魔族なりの情けだったのか。

 大きなお世話だと、声を大にしてうったえたい。そういうづかいはいらない。


『さぁ、勇者様。わたくしの魅力にいしれてくださいな?』

 

 姿をたりにし、声を聞いて、ケイトは確信した。目の前にいるせんじょう的な女性魔族こそ、とうばつ対象の一人――人をりょうらくさせるしきよくひめアスモ。ケイトを堕落させるためにやって来たのだ。

 彼女に身を委ねれば、すべて丸く収まる。あたかもそれがあるべき姿であるかのような気さえした。

 並の男ならば、ヘラリと鼻の下を伸ばしていただろう。死ぬ前にあたえられた最後のぎょうこうかと、甘んじて手を出していたに違いない。

 だが、ケイトは違った。

 勇者としての|矜きょう》か、あるいは神の祝福のなせるわざなのか。自分の使命を思い出せと、いかりにも似た感情がこみ上げてくる。


『断る』

『そのお願いは聞けないわ。あなたがわたくしのとりこになるまで、帰るわけにいかないの』


 そう広くない牢の中で逃げることもできず、絶望しかけたその瞬間。

 不思議な力が働いたかのように牢のとびらがひとりでに開き、頭の中で「走れ!」と声が響

ひびく。ケイトは転がるように牢を出て、声に導かれるまま走り続けた――以後のおくあいまいである。

 顔をそむけ口を閉ざしながら、ケイトは目の前にいる彼女をぬする。

 つややかなこん色の髪、日焼けを知らない真っ白な肌、切れ長のすずやかな目に、おっとりとしたおだやかなしゃべり方。意識を失ったケイトを放り出すことも、殺すこともできたのに、しなかった。


(魔族はなど持ち合わせていないと思っていた。だが、違うのか……?)

 

 小首をかしげて見上げてくる目は琥珀色をしていて、彼女がまごうことなき魔族なのだと、魔王や色欲姫と同じ生き物なのだと知らしめてくる。


「もっと離れたほうが安心する?」

 

 その気遣いが、くすぐったい。ささくれた心にる。


ほだされてはいけない。彼女は暴食姫、俺を食べるためならなんでもするはずだ)

 

 夢うつつに聞こえてきた会話から、この家には女性が二人いることも、目の前にいる彼女が暴食姫ベルであることも分かっている。

 ケイトが看病だとさっかくしているこうも、暴食姫からしてみればちくの世話をしているようなものに違いない。


(親切心からではない、はず……)

 

 そのしょうに、この家にいるもう一人の魔族は、いぬねこを拾ってきた子どもへ言い聞かせるように「勇者を捨ててきて」と言っている。魔族にとって、人はその程度の存在なのだろう。


らぐな。魔族は人を堕落させるしき存在。看病してもらったくらいで、気を許してはならない)

 

 ケイトは自らをいましめるように、人の国での教えをはんすうする。

 魔族は、神をぼうとくし人をゆうわくする存在。目の前にいる暴食姫は討伐対象である。油断してはならない。


「ねぇ。あなたが私を警戒するのって、私が魔族だからよね……」

 

 俯く彼女の表情を見た瞬間、なにかが引っかかった。

 泣きそうな顔で、ただ黙っているその姿に、思わずケイトは口を開く。


「……きみのせいじゃないよ」

 

 言ったあと、後悔が喉元まで込み上げた。けれど、もう言葉は戻らない。

 ケイトはひとつ息を吐いて、目を伏せた。

 そして、まるで諦めたように、ぽつりぽつりと言葉を選びながら語り出していたのだった。

 勇者の話をひととおり聞かせてもらったベルは、かんびょうづかれが一気にきたようなろう感を覚えていた。

 勇者の話に、疑わしい点はない。ベルとしても、どこかで覚えていた予感が、ついに真実として確信に変わったという感じだ。


(アスモお姉様は勇者をろうらくしようとして失敗、すきいて勇者はだつごく……。勇者はマモンお兄様のことは知らないようだし、考えられるいきさつは、あせったアスモお姉様がマモンお兄様を買収して失敗のいんぺいたのんだ……と、そんなところかしら)

 

 あくへきに忠実でどこまでもブレない二人に、ある種のあこがれにも似た気持ちと(またか、いい加減にしろ)という怒りが混ざり合う。

 モヤモヤとした気持ちを吐き出すように、ベルは深いため息を吐いた。


(冤罪の報復はルシフェルお兄様にお任せして、私は勇者をなんとかしましょう)

 

 なにせベルは、彼を食べてしまった罪で森へ追放された身。勇者が無事だと知られた時点で、追放がてっかいされてしまう。


(それだけは、けなければ)

 

 ゴミ溜めの森行きをしぶりに渋っていたさいしょうのことを考えると、頭が痛くなってくる。

 彼はちがいなく、「姫としての自覚をお持ちなさい!」と言いながら、引きずってでもベルを連れ帰ろうとするだろう。そして今度はお目付役をつけられて、四六時中かんされてしまうのだ。やることなすことすべて魔王に報告され、失望した魔王はベルへの態度を悪化させるに違いない。


(そんなの、絶対にいやよ)


 監視生活なんてお断り! と、ベルは頭を抱える。


「おい」

「え……?」


 まさか勇者のほうから声をかけてくるとは思わず、ベルの思考が止まる。頭を抱えたままパチパチと目をまたたかせ、ゆっくりと顔を上げた。


「やる」

 

目の前にき出されたのは、勇者のこぶし。やんわりとにぎり込まれた中に、なにか入っているようだ。


「わぁ、ありがとう」

 

 なおに礼を言うと、渋い顔をされた。もしかして毒? とも思ったけれど、ベルのはがねぶくろかなう毒には今まで出会ったことがないので、気にせず手を出す。

 小さな包みがぽと、ぽと、ぽと、とみっつ落ちてくる。いだことのないにおいだが、甘くておいしそう。


「これは?」

「看病の礼だ。大したものじゃないが……借りを作りたくない」

(まさか、お礼をくれるなんて。いい人すぎるわ!)

 

 ベルだったら、感謝しない。ましてや、くれたのは食べ物だ。ベルにとっては、これ以上ない最高の礼品である。


(なんだか悪いわ。私、彼を殺す可能性も考えてしまったのに)

「今はそれしか手持ちがないんだ」

 

 表情をくもらせるベルに、足りないと思ったのだろう。不本意そうに、だが申し訳ない気持ちがぬぐえない様子で、勇者は言った。


「こんなにてきなものを頂いたのは初めてよ!」

 

 ゆるんだ顔のまま勇者を見ると、彼はいっしゅん、微笑みそうになった気がした。

 けれど、その顔はすぐに曇り、なにか嫌なことを思い出したようにゆがんでしまう。

 気まずい空気を気にしないかのように、ベルは元気よく話しかけた。


「甘くてとってもいいにおい。これは人の国のお? なんていう名前なの?」

「チョコレートだ」

「チョコレート……。甘そうで素敵な響き」

 

 うっとりとチョコレートのにおいを嗅ぎながら、ベルは言った。


「どうしましょう。看病のお礼にしては過ぎたものだわ。お礼のお礼が必要ね」

「なら、人の国への帰り方を教えてくれ」


 よほど帰りたいのだろう。かんはつれず希望を口にする勇者に、ベルはできないと首を横に振る。


「あなたも知っているとは思うけど、人の国とつながる転移魔法陣は条件がそろわないと作動しないの。魔道具があれば別だけど、あなたも私も持っていない。それに、転移魔法陣はここからずっと遠い場所にあるわ。誰の手も借りずにそこまで移動するのは、私が手伝ってもとうてい無理。ゴミ溜めの森から出ることさえ、難しいと思う」

「そうか……」


 ショックを受けている勇者はかわいそうで少し胸が痛むけれど、こればかりはどうしようもない。だってベルは、勇者が見つかったら困るのだ。

 魔族にくしと魔族を見るたびに睨むようでは、森を出たらすぐに見つかってしまう。彼としては不本意だろうけれど、魔族に慣れてもらわなければならない。


「今の私があなたにしてあげられることは……地の国での生き方を教えることかしら」

「人である俺に、地の国で生きろというのか」

「少しの間だけよ。生き方を知れば、ここを出ることも、転移魔法陣へ向かうことだってできる。それなら、条件が揃っている時を見計らうだけでいいでしょう?」

 

 魔族をたよることがよほど苦痛なのか、しばらくベルから目を背けていた勇者だったが、それ以外に方法はないとさとると、しぶしぶベルと目を合わせて「よろしく頼む」と言った。


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