1-4
ゴミ溜めの森は、地の国の外れにある。
残りカスのようなものが集まるカオスな場所で、死を
ベルとメイドのレティを降ろすやいなや、あっという間に走り去る馬車。
「行っちゃったね」
「なにも、あんなに急ぐことはないと思うのですが!」
大きな尻尾を
「怒りっぽいのは、お腹が空いているせいよ。着いたばかりだけど、ごはんにする?」
「
「野宿でも平気よ?」
「私が嫌なんです!」
荷物を抱えたレティは、ずんずんと森へ入っていった。やみくもに歩いているように見えて、危なそうな場所には近寄らない。本能で安全そうな道を選んでいるらしい。
「魔法さえ使えれば、こんな苦労をしなくて済むのに!」
「魔法が使えないから
「冤罪ですけどね!」
レティの反応は、魔族として当たり前の感覚だ。日常的に魔法を使う魔族にとって、魔法を使えないのは不便極まりない。ベルはその苦労さえ楽しむつもりで来たけれど、レティは違う。
「巻き込んでごめんね、レティ」
「なに言ってるんですか。私は姫様専属のメイドなんですよ? 姫様が嫌がったって、ついて行きます」
「……ありがとう」
「お礼はポケットに隠しているお菓子でお願いします!」
ポケットから出したのは、オレンジの皮の砂糖漬け。晩餐会のあと、捨てられそうになっていたオレンジの皮をルシフェルに回収してもらい、牢でこっそり加工したものだ。
「こんなものでいいの?」
「それがいいんです!」
「巻き添えの対価にしてはささやかすぎるけど、いいと言うのならあげるわ」
「ありがとうございます!
人の国の食べ物、一度食べてみたかったんですよね」
「そうだったの? じゃあ、半分こしましょう」
「やったぁ!」
砂糖漬けをもらったレティは、子どものように飛び
かわいらしい反応に、ベルはクスクス笑う。
「はしゃぎすぎて転ばないようにね」
「分かってます!」
「ねぇ、レティ。一緒に拠点にする場所を探すのも楽しいけれど、おしゃべりに夢中になってしまうから別々に探さない?」
「そんなことを言って、珍味を探そうとしているんじゃないですか?」
「あら、バレてしまったわ」
「もう、姫様ったら。でも別にいいですよ、珍味を探しても」
「やったぁ! レティ、ありがとう!」
「ちゃんと拠点も探してくださいね」
「分かっているわ!」
呆れ顔のレティを置いて、ベルはルンルンと方向
(珍味が私を呼んでいる!)
「なにかあったら、大声を出してくださいよ。駆けつけますからね!」
言われなくても、珍味を見つけたら喜びのあまり叫んでしまうだろう。返事をする代わりに後ろ手を振って、ベルは
「ゴミ溜めというからには
見上げれば、空にはぽっかりと穴が空いていた。穴は、ウニョウニョと不安定に大きくなったり小さくなったりを
「あの穴から、天の国と人の国のものが落ちてくるのよね」
この世界は、三連の砂時計のような形をしているのだという。
天の国と人の国、人の国と地の国。それぞれの国の間に
もともと、国の間にオリフィスなんてなかった。信心深すぎる人々に
各国のつながりは、転移魔法陣を除けば穴のみである。
「なにか落ちてきたりしないかしら」
ベルはワクワクした気持ちで、穴を見つめる。あわよくば、食べ物が落ちてこないだろうか。
(落ちてこい、落ちてこい、落ちてこい……!)
だけど、どんなに待っても落ちてくる気配はなく、ただキラキラした金の
「残念……」
ベルは
藪を抜けると、こぢんまりとした家を見つけた。
「家? なんでこんなところに?」
立ち入り禁止区域であるゴミ溜めの森に家があるなんて、ありえない。
思いつくのは、迷い込んでしまった人が駆け込む
「
怪しいけれど、あるなら使ってしまえと心の中の自分がささやく。
(でも、レティを呼ぶ前に安全
長らく放置されていたなら、魔獣が
中を
「世の中、そううまくいかないわよね……って、あれは!」
見つけたのは、切り株に生える
「はわわわ! これはビーフステーキ・ファンガス!」
人の国に生えるキノコで、カンゾウタケとも呼ばれている。何度か晩餐会に出てきて食べたことがあるが、生のままサラダにしたものも、焼いたものもおいしかった。
「さすが、ゴミ溜めの森。期待を裏切らないわ。地の国に人の国のものが生えているなんて、素敵! って、ああっ! あの木に生えている白いヒゲのようなものは、ポンポンマッシュルームではなくて!?」
見回せば、地の国ではお目にかかれないキノコだらけ。頭の中でキノコたちが「
「あれはなにかしら?」
(あの動き……魔獣じゃないわね)
「はな……れろ……」
聞こえてきたのは、男性の
見るからに弱そうだし、密猟者には見えない。草むらに隠れていたということは、ゴミ溜めの森へ迷い込んでしまったのだろうか。だとしたら、助けが必要である。
ベルは注意深く観察しながら、脅かさないようにゆっくり問いかけた。
「あなた、どこから来たの? いつからここに?」
彼はそこかしこに
(青、だわ)
地の国に、澄んだ青色は存在しない。ベルが知る青色は、限りなく灰色に近い青のことで、こんなふうに吸い込まれそうな深い青色を見るのは、初めてである。
「あなたの目、きれいね」
「きれい……?」
言われ慣れていない言葉なのか、疑うような目を向けられる。
「すごく、きれいだわ。もっと近くで見てもいい?」
「いいわけ、な……」
言葉が
「あなた、熱があるじゃない!」
ベルが男の顔色を確認しようとしたとたん、男の
「金の髪に、青の瞳って……」
うそ、うそ、うそ!?
気づいてしまったと自覚したら、とたんに心臓が
(こんなこと、ある!?)
だが現実に、起こり得ている。なにせ、ベルに
「なんでこんなところにいるのよ、勇者ぁぁ!」
ベルの叫びを聞きつけたレティが、
「ぎゃあぁぁ! 姫様が襲われてるぅぅぅ!」
ショックが大きすぎて動けないのか、叫ぶばかりのレティ。ゴミ溜めの森に、彼女の声が響き渡る。
あたふたしている彼女を見ていると、自分の
(まずは状況を整理してみましょう)
ベルの腕の中にいる男は、金の髪に青の瞳を持っている。それはまさに、勇者の特徴として聞いていたもので、魔族には現れないものだ。なんでも、金の髪と青の瞳は天の国からの
「やっぱり勇者」
「勇者!? なんでこんなところに? ハッ! ということは、仲間も近くにいる!?」
レティは尻尾の毛を逆立てて、周囲をキョロキョロと見回す。
「いないはずよ。勇者が
「うわ、人って結構冷たいんですね。……ということは、こいつを差し出せば姫様は魔王城へ帰れるのでは? ああでも、姫様はここで暴食を極めるおつもりだったんですよね」
「ええ。だから、冤罪が晴れると困るのよ。今逃がしても見つかったら終わり、閉じ込めておくにしてもずっとは難しい……となると、いっそ殺してしまったほうが楽かしら」
勇者の行方が分からなくなってからというもの、地の国ではもういないものとして処理されているので、歴代勇者の墓が並ぶ場所には新たな墓石が足されていることだろう。
ベルの追放をもって一件落着となっているし、人の国も勇者一人が戻らなかったところで戦争を
「どうせ殺すのなら、食べてしまっては?」
「えっ?」
「姫様が一線を越えられずに悩んでいたこと、私が知らないとでも?」
「……レティにはなにも隠し事ができないわね」
悪癖を極めるための試練のうち、もっとも
魔王は魔族食いを犯し暴食を極めたが、食指が動いても我に返って引き返す者は多い。というか、それがふつうだ。心の警告を無視すれば、いずれ心が
死ぬのは
「思い切って、冤罪を真実にしませんか? そうすれば、ゴミ溜めの森で暴食を極めることを諦めずに済みます」
「そう、だけど……」
ごくりと
(死にたくないって、ここまで
ベルのそばにはレティがいるが、勇者には誰もいない。
彼の
ささくれ立っていた心が少し落ち着くと、ベルの中に慰めたいという気持ちが芽生える。気持ちの
「ああ、これは……もう放っておけそうにないわ」
「
敵だらけの地の国で生き延びようと
「殺せないのなら、どうしようかしら」
「じゃあ、捨てましょう!」
「レティったら。せめて、体調が戻るまでは面倒を見てあげましょうよ」
「でも、こいつのせいで姫様は冤罪を被ったんですよ」
「あなたのことだって助けてあげたでしょう? 今回も同じことよ」
身に覚えがありすぎるだけにレティは
「同じってことは、体調が戻ったあと、こいつが姫様のそばに
「まぁ、嬉しい。そんなふうに思ってくれていたのね、レティ」
目を細めて微笑むベルに、レティはもじもじと照れる。そうしている間に、ベルはテキパキと勇者を抱えた。
「さぁ、家に運びましょう。レティも手伝って」
「家? 家なんてどこに……って、ええっ!? どうしてゴミ溜めの森に家があるんですか」
「ほら、早く」
「ま、待ってください、姫様!」
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